ブルース・リー なぜ、今でも日本人に愛され続けるのか?
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「新しい強さ」
筆者がブルース・リーに出会ったのは、小学3年生だった1974年。父親に連れられて映画館で『ドラゴン危機一発』を見た。華麗な連続キックは芸術的で、銃を持たなくても、仮面ヒーローに変身しなくても敵をなぎ倒す姿に、「新しい強さ」を感じた。今思い返せば、観客の熱気は異常だった。映画館の前には入場を待つ長い列ができ、リーの突きや蹴りをまねたり、「アチョー!」と怪鳥音と呼ばれる奇声を上げたりする人であふれていた。上映が終わると、力をみなぎらせたリーが乗り移ったかのような姿で歩く者が続々と劇場から出てくる。皆がいっぱしの武術家気取りだった。
スクリーンで展開された「ハイキック」「回し蹴り」は衝撃だった。バレエダンサーのごとく舞うようであり、武と美を兼ね備えていた。さらに武具ヌンチャクは、日本人にとって想像を絶した武器だった。ジャグリングのようにも見える華麗なさばきはインパクトが絶大で、ヌンチャクブームが起きて犯罪に悪用される事件さえ発生した。
彼の鍛え上げた肉体美は、それまでに見ていた西洋人のものとは明らかに違いながら、驚異的な存在感があった。武道家然とした道着を着用せず、研ぎ澄ました筋肉をさらすことで武術家たることを示していた。リー以前の肉体派俳優といえばチャールトン・ヘストン、カーク・ダグラス、チャールズ・ブロンソンら、日本人とはまるで違う体格、絶対にまねのできない夢想の対象だった。東洋人の体つきのリーが西洋人を圧倒する。それはまさに「革命」であり、当時の日本人は、「君たちにもできるのだ」という覚醒を促すメッセージを受け取ったかのようだった。
残念ながら、リーの作品の日本公開は世界から数年遅れ、当時の日本人は生前を知ることがかなわなかった。だからこそ、日本人のリーへの情熱はより激しく、より長く続くのである。
ブルース・リーのプロフィール
- 本名:李振藩(LEE JUNFAN)、BRUCE LEE
- 芸名:李小龍。子役時代には複数の別名あり
- 生年月日:1940年11月27日
- 命日:1973年7月20日
- 身長:167~175cmとされるが、諸説あり
- 体重:60~64kg
- 血液型:B
- 靴のサイズ:25cm前後とされるが、諸説あり
*筆者提供のデータに基づき編集部で作成
消えるゆかりの場所
リーの生誕85周年に当たる2025年、日本国内でも大ヒットした香港映画『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦(きゅうりゅうじょうさい)』、『スタントマン 武替道』では、リーのポスターが映り込んだシーンがあった。香港文化博物館と米国のブルース・リー財団が共催する博覧会「平凡・不平凡―李小龍」も盛況で、26年まで開催される。リーの影響力の大きさを今更ながら感じさせるが、香港で往年の彼をしのぶことは難しくなっている。
かつてリーが住んだ邸宅「棲鶴小築」は一時ラブホテル「羅曼酒店」となった後、19年に取り壊された。『死亡遊戯』のロケ地となった「南北楼/レッドペッパーレストラン」はコロナ禍を受けて20年末に閉店。ファンクラブ「李小龍會」も、25年7月に拠点としていたオフィスを契約が満了したのを機に一時的に閉じた。ビクトリアハーバーを望む名所「アベニュー・オブ・スターズ」に立つリーの銅像を訪れるのは、もっぱら日本人をはじめとする海外からの観光客だ。
本場・香港でさえ、時代の趨勢(すうせい)にはあらがえない。ましてや世界的に見ればなおさらだ。欧米やアジア各国では、リーの映画が上映される機会がほとんどなくなったが、例外は日本だ。アニバーサリーのたびに主演作が大々的にロードショー公開され、出版物も後を絶たない。日本で発行されるリー関連の雑誌やムック本での特集の多さ、多彩さは群を抜き、ファンが所有する遺品の数では日本が世界一だという説さえある。
日本の武術にも造詣
なぜ日本だけが「特異点」となっているのか。リーと日本とのつながりを手掛かりに考えてみたい。
「友よ、水になれ / Be Water, My Friend」。リーが残した有名な言葉だ。元は孔子による言葉「水は方円の器に随(したが)う」とされ、本来は「交友や環境により、人は善悪のいずれにもなる」というたとえである。だが、リーの言葉は剣豪・宮本武蔵が著した『五輪書』での解釈に基づき、「環境に支配されず、自らが変わることで事態を乗り越える」という前向きで主体的な意味が込められている。
ちなみに、この言葉は2019年の香港民主化運動で再びクローズアップされた。14年に若者が民主的選挙を求めた「雨傘運動」の際、集団で行動していたために当局によって一網打尽になった。この教訓を踏まえ、「水のように散らばれ」という意味で「Be Water」が合言葉になったのだが、海外メディアが「リーの言葉だ」と色めきたった。
話を戻そう。リーは進学した米ワシントン大学在学中から哲学に傾倒し、独自の武術を創造するため、あらゆる武術書を渉猟するなかで『五輪書』に出会った。彼の書庫には同書が残されていたことが確認されている。大学時代は柔道も学んでおり、黒澤明のアクション時代劇映画『椿三十郎』などをたびたび見ていた。
もう一つ、彼の格言を挙げたい。最高傑作とされる『燃えよドラゴン』の船上シーンで語られる「戦わずして勝つ流儀 / the Art of Fighting Without Fighting」だ。リーは挑発してきた拳法家を相手にせず、この言葉を語って小舟に誘導し、船とつながっていた綱を切り離す。中国の兵法家、孫子の言葉と通じるものだが、エピソードは日本の戦国時代の剣豪、塚原卜伝(つかはら・ぼくでん)の故事にそっくりなのだ。渡し舟の中で真剣勝負を挑まれた卜伝は、相手を先に中州へ上がらせたうえで自らは竿(さお)を突いて舟を出し、「戦わずして勝つ」と語り、血気を戒めた。
卜伝のエピソードを、リーが知っていたかどうかは分からない。だが、『燃えよ』を見た日本人が強い共感を覚えたことは間違いない。リーは中国の思想・哲学、日本の武士道精神を融合し、映画で表現した。その独自の哲学が日本人の琴線に触れたというと言い過ぎだろうか。
とはいえ、リーが「日本ベッタリ」だった訳ではない。第2作『ドラゴン怒りの鉄拳』は、反日・抗日映画である。舞台は20世紀初頭の上海。リー演じる主人公が公園に入ろうとすると門番に制止される。看板には「中国人と犬、入るべからず」と書かれ、憤慨する主人公に通りかかった日本人が「犬のまねをすれば入れてやるぞ」と侮辱する。実際こうした看板はあったものの、英国人が中国人に向けて掲げていたものだった。同作品では日本人が敵役で、主人公の所属する武術館に殴り込みをかけたり、師匠を毒殺したりする。
『怒りの鉄拳』は、日本人に虐げられた中国人を鼓舞するというテーマであるにもかかわらず、その完成度の高さから日本での人気も高い。「反日でも、素晴らしいものは素晴らしい」という考えを日本人に受け入れさせたことは、リーが成し遂げたもう一つの「革命」だった。
異邦人としての魅力
香港を拠点としてわずか3年の間に世界的スターとなったリーだったが、香港の人々はアメリカ生まれ、アメリカ国籍だった彼にどこか一線を引いていた。生前は雑誌などの人気投票でも1位になったことはなく、受賞歴は台湾の台北金馬映画祭での審査員特別賞のみだ。一方、アメリカではアジア系への社会的差別に加え、功夫(カンフー)を中国人以外に伝授したとして中国武術界からは裏切り者扱いされた。どこへ行っても異邦人だった。
黄色人ながらコーカサス系の血が流れるリーは、広東語と英語を自在に話し、どこか国籍不明の風貌を漂わせる。激しい武術を繰り出しながらも、表情からは深く内省的な静謐(せいひつ)さがにじみ出る。彼にとってアメリカも、香港も「安住の地」ではなかった。だが、リーのナショナリティー不在という業(ごう)は、映画を通して国境や民族を越える普遍的なアートに結実したといえよう。
リーが登場した当時、日本は敗戦から立ち直って高度成長を遂げていた。だが、再び乗り出した国際社会において、日本人は欧米諸国への劣等感をぬぐい切れなかった。その屈折した心理を乗り越える希望を、日本人はリーに見い出したのではないか。普遍性を体現しつつ、日本人の深淵に通じる思想、哲学を内包する存在。その二面性がリーの魅力であり、今なお日本で愛され続けている理由だろう。
ブルース・リー関連年表
1940年 父親の演劇巡業中に米サンフランシスコで出生
1941年 香港に帰還
1948年 子役俳優として活動開始
1955年 中国功夫の詠春拳に入門(53年の説あり)
1959年 米国での市民権獲得のためサンフランシスコへ(素行不良による勘当との
1961年 ワシントン大学入学(後に中退)
1962年 シアトルに初の武術道場設立
1967年 ロサンゼルス道場設立、截拳道(ジークンドー)誕生
1970年 シアトル、オークランド、ロサンゼルスにあった3道場を全て閉館
1971年 香港へ2度目の帰還。初主演作『ドラゴン危機一発』が世界公開
1972年 『ドラゴン怒りの鉄拳』『ドラゴンへの道』が世界公開
1973年 7月20日死去。『燃えよドラゴン』が世界公開
1974年 日本で主演作が次々と公開され大ブームに
1978年 遺作『死亡遊戯』が完成、世界公開。日本で第2次ブーム
1993年 伝記映画『ドラゴン/ブルース・リー物語』が世界的大ヒット。第3次ブーム到来
*筆者提供のデータに基づき編集部で作成
バナー写真:香港の観光名所「アベニュー・オブ・スターズ」に立つブルース・リー像=2023年6月28日(REUTERS/Tyrone Siu)