小湊昭尚『尺八は歌う』

文化

日本の伝統楽器・尺八を「歌うように演奏できる」と小湊昭尚はいう。人間の声と合わない楽器はないから、“歌う”尺八はどんなジャンルの音楽ともコラボレーションができる。その信念のもと、彼は尺八とともに世界に旅立つ!

小湊 昭尚 Kominato Akihisa

1978年福島県生まれ。 民謡「小湊流」家元の長男に生まれ、5歳より両親の手ほどきを受け、舞台活動を開始。1995年より琴古流尺八の人間国宝・山口五郎氏(故人)に師事。2001年、東京芸術大学音楽学部邦楽科尺八専攻を卒業。現在、古典に加え、民謡、ポップス、ジャズなどジャンルにこだわらず、テレビ、ラジオをはじめ国内外でのコンサート、イベントなど多方面で活動中。

尺八は竹製の縦笛で、日本の代表的な伝統楽器のひとつ。7世紀末から8世紀初頭に唐(現在の中国)から伝えられたといわれている。江戸時代に入ってからは、禅宗の僧侶に用いられ、江戸中期以降は庶民にも広がっていった。しかし現在の日本では、尺八は完全な古典音楽ととらえられており、愛好者は年々減少しているという。

しかし今、ストリートでの演奏や異ジャンルの楽器とのコラボレーションで、尺八の新たな可能性を追い求める男がいる。スコットランド出身の人気女性歌手であるスーザン・ボイルのCDに参加し、歌手・坂本九(故人)の大ヒット曲『上を向いて歩こう』を雅に奏でて絶賛された、尺八の若手奏者・小湊昭尚氏だ。

小湊さんの演奏の模様はコチラ→【動画】『尺八 小湊昭尚 -宇宙と一体になる音色-』

歌声のように個性が出せる楽器

――今の日本では、尺八というと年配の方が愛好するものという印象が先行し、どんな楽器なのかあまり知られていないと思われるのですが。

「日本で尺八が古くさい楽器だと思われているのは確かです。そういう意味では、日本よりも海外の人のほうが理解が進んでいると感じます。先入観がないぶん、演奏を聴いた観客からは、『尺八ってすごくかっこいいね』『日本の古典曲は、まさに現代音楽だ!』などと言われます。その通りで古典は抽象性が高く、前衛的です。目をつぶって尺八を吹いていると、自分と対話をして、さらに宇宙を感じ一体化するような感覚になります。これは、尺八が仏教の『法器(ほうき)』であったこととも関係があるかもしれません」

――「法器」とはなんですか。

尺八を吹く虚無僧

「『法器』は神聖な器具という意味です。尺八は、江戸時代に入ってから禅宗の一派である普化宗(ふけしゅう)の僧侶に使われるようになりました。普化宗では、尺八を吹くことがお経を唱えるのと同じ意味を持っていました。そのため、尺八は『法器』だから楽器と呼んではいけない、一般の人も触ってはいけないとされたのです。そして、普化宗の僧侶である虚無僧(こむそう)が、托鉢の時にお経を唱える代わりに尺八を吹きながら歩いたわけです」

――もともと庶民からは遠い存在だった?

「実はそうでもない。江戸時代の中期には一般に開放されて、普通の人も演奏できるようになりました。そうしたら、すごくはやったんですね。独特の外見を持つ虚無僧のかっこよさにあやかりたいなんていうこともあったかもしれません。単純な楽器でありながら本当に演奏の幅が広いというのも人気を得た理由だったと思います」

――確かに見た目はそれほど複雑ではないですね。

「尺八は、いわゆるエアリードという種類の楽器です。歌口(うたくち)という口を当てる部分に息を入れて音を出す単純な形です。穴も表側に4つ、裏側にひとつの合計5つだけ。名前も単純で、長さの基準が『一尺八寸(約54.5センチメートル)』ということから、漢字で一尺八寸と書いた真ん中二文字を取って尺八という名前になったといわれています。

形が単純なだけに音程の調律がとても難しく、最初は安定した音がなかなか出ません。でも、さまざまな奏法があって、音色に大きなバリエーションがあります。だから奏者が訓練を積んでいくと、どこまでも表現力が広がるのです。歌のように豊かな音色を響かせることができるという点で、本当に人間の声に近いと思います。同じ『ド』や『ラ』の音を吹いても奏者によって個性がはっきり出て、誰が吹いているのか聞き分けられるくらいです」

尺八の可能性は無限!

――小湊さんは、どうして尺八に惚れ込んだのですか。

「父が民謡家で、4つの時に民謡を学ぶところから音楽を始めました。だから、最初に尺八を吹いた時も、声や歌とのつながりを強く感じました。僕は、この縦笛にある可能性は、尺八が『歌う』からこそ表現できると思っています。人間の声と合わない楽器はないと思うのですが、尺八は『歌う』からこそどんな楽器ともコラボレーションができる。僕は尺八で歌っていきたいのです」

――日本の伝統楽器以外とのコラボレーションには、そんな思いがあったのですね。新しい挑戦を始めたのには、何かきっかけがあったのですか。

「もともと僕は、大学卒業までは古典しか学んでいませんでした。尺八の2大流派のひとつ琴古流の先生について11歳の時から習い始めて、大学生になるまでは五線譜も読めないくらいでした。そして、高校生の時から教えを受けていた人間国宝の山口五郎先生が、大学2年生の時に亡くなってしまいました。だから、大学を卒業した時には、仕事はない師匠はいないという状況。どうしていいかわからなかった。

そんな時に、たまたま知り合ったギタリストが手元に持っていた映画『ゴッドファーザー』のテーマ曲のスコアを、『尺八で吹いてみてよ』と差し出してきたのです。本当に軽い気持ちで吹いてみたら、自分でも意外なくらいにしっくりきた。それで現代曲のレパートリーを10曲くらい作って、ストリートに出るようになったのがきっかけです」

――江戸時代ならともかく、現在の日本のストリートで尺八というのは珍しいですね。

「どんな形でもいいから尺八を広げてほしい、だからいろいろなことに出会って挑戦してほしい、というのが亡くなった師匠の言葉です。それから、何より続けることが一番難しい、どんなことがあっても続けなさい、ともおっしゃっていました。その言葉が心のなかに強く残っていたことが、ストリートの演奏や、現在の活動につながっていると思います。

尺八は基本が歌なので、合わない楽器はありません。ピアノでもチェロでもマリンバでも、もしくは伝統楽器の和太鼓でも三味線でも、どんな楽器ともセッションできます。音楽と音楽のコラボレーションだけではなくて、ビジュアルとの相性もいい。ダンスと尺八もいいですし、この間は書道とのコラボレーションもしました。尺八の基本が歌である限り可能性はどこまでも広がると思います」

――そうやって模索してきた可能性を、今後はどういう方向に広げようと考えていますか。

「今は一生懸命すぎて具体的な目標は考えられないです。ただ、20代でできなかったことを30代で何とかしたいとは思っています。一生の礎になるものを作りたい。

これまで1回きりのセッションも含め、グループ活動をたくさんやってきたのですが、今後は個人の活動により軸足を移していきたいと考えています。20代でストイックに学んできた枠を超えるイメージです。ジャンルに束縛されない演奏をして、たとえ批判を受けても自分がいいと思うものを信じる30代にしたい。楽器を鳴らすことでなく、この楽器を使って自分を表現することを考えています。

古典はこれからもずっと吹いて、一般の人たちに伝えていきたいです。でも、僕のような若手奏者には、古典を吹く機会がなかなかないし、数少ない機会である尺八の演奏会では、聴衆のほとんどが尺八を習っている人たちです。だから僕は、楽器をやっていない人たちにも、『なるほど尺八には素晴らしいものがある』『おもしろい』と感じてもらえるような演奏をしたい。それと平行する形で古典にも磨きをかけて、尺八の復興を果たしたいと思っています」

撮影=松田 忠雄

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