「“ヤマガタ”から世界を変えたい」通訳者・山之内悦子

文化 Cinema

世界的な知名度はあまり高くない山形に、世界に誇るべき映画祭がある。山形国際ドキュメンタリー映画祭。一地方都市の映画祭がなぜ世界の人を魅了するのか。第1回から参加し、世界と日本をつなぎ続けている通訳者・山之内悦子さんにインタビュー。

山之内 悦子 YAMANOUCHI Etsuko

英語通訳者。1954年愛媛県生まれ。慶應義塾大学文学部在籍中のカナダ留学が縁で、25年以上バンクーバーに暮らす。アジア系移住者として関わった人権問題や先住民運動について学ぶため、ブリティッシュコロンビア大学大学院で教育社会学を専攻。同修士課程修了。サイモンフレーザー大学や日米会話学院で、通訳者養成プログラムの講師を務める。山形国際ドキュメンタリー映画祭には毎回通訳者として参加している。2013年秋に同映画祭についての本『あきらめない映画 山形国際ドキュメンタリー映画祭の日々』(大月書店)を出版。その英語版を出すために現在翻訳中。

アジア初の国際的なドキュメンタリー映画祭である「山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)」は、山形市制施行100周年記念事業として1989年に始まった。以来、隔年で開催され、ドキュメンタリー映画の普及に貢献。山路(やまじ)ふみ子文化賞や川喜多(かわきた)賞をはじめ、いくつもの賞を受け、世界的な知名度も高い。

第1回のコンペティション部門への応募数は260本に過ぎなかったが、現在では1000本を超える応募作品が集まる。日本の一地方都市で開催される映画祭になぜ多くの人が集まるのだろうか。第1回から通訳者として映画祭に関わっている山之内悦子さんに話を聞いた。

山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)とは

1989年に始まった映画祭がドキュメンタリーという形をとったのは、当時山形県上山市牧野(かみのやましまぎの)で、住み込みで映画を撮っていた小川紳介監督の影響が大きいといわれている。以降、奇数年10月に一週間を通して、山形市中央公民館、山形市民会館、山形美術館など約7会場において、インターナショナル・コンペティション、アジア千波万波の2つのコンペの他、各回、スペシャル・イベントが行われる。2006年、映画祭実行委員会はそれまでの運営母体であった山形市から独立し、2007年の映画祭からは「特定非営利活動法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭」として運営している。

“ヤマガタ”で初めて生まれた連帯感

山之内さんがYIDFFに通訳として参加したのはまったくの偶然。登録していたエージェントがたまたまYIDFFの仕事を請け負ったからに過ぎなかった。

「1989年当時、映画祭の通訳をしたこともなかったですし、映画にもドキュメンタリーにもあまり思い入れはありませんでした。ですから、私にとって第1回YIDFFはまさに“豚に真珠”。上映されたすべての作品を理解できたわけではありません。ただ、作品にかける監督たちのヒリヒリするような想いは感じました」

アジアではまだドキュメンタリー映画が十分に認められていない時代。各国から集まった監督たちは、孤軍奮闘で作品を作っていたという。

「予算的にも厳しいし、ドキュメンタリー映画ならではの苦労も数知れません。それでも、長いものに巻かれるのではなく、おかしいことはおかしいと言いたい。力のあるものに迎合するのではなく少数者の声にも耳をかたむけ、社会に生きる一人ひとりがどうすれば解決できるのかを考えていきたい……“山形=ヤマガタ”は、なあなあで済まさず、物事を突き詰めて考える人が集まる空間でした。ヤマガタにのめり込んだのは、そうしたヤマガタの世界観が私の目指しているものと似ていたからです」

山之内さんだけではなく、YIDEFに集まった多くの人たちが連帯感を感じていた。

「ぎりぎりまで突き詰めて作品を作っている人が、同じように頑張っている人たちと出会い、『やっぱりこれでいいんだ、このまま頑張ればいい』と前に進む力を得ることができた。ヤマガタはそうした場所だったんです」

YIDFFインターナショナル・コンペティションで通訳をする山之内さん。

どこまで踏み込むのか、作家たちの葛藤は続く

ドキュメンタリー映画の定義はさまざまだ。手法も多様で、インタビューを中心に構成された映画もあれば、劇映画と変わらない手法で撮影された作品もある。ビデオカメラを気軽に使えるようになり、セルフ・ドキュメンタリーと呼ばれる作品も増えている。

2013年11月18日、『ヤマガタ後夜祭』と名付けられたイベントが開催され、『ゆきゆきて、神軍』で知られる映画監督・原一男さんと山之内さんがドキュメンタリー映画やYIDFFについて語り合った。(会場=渋谷・アップリンク)

「完全な客観報道がないように、客観的に見えるドキュメンタリー映画にも必ず監督の主観が入っています。ひとつの社会的な事象を追うとしても、10人監督がいれば焦点のあて方にも10通りあって、みんな違う映画を作るでしょう。逆にいえば、個人的な想いがあるからこそ多くの人に伝わる映画になると私は思います。ただ、ドキュメンタリー映画ではカメラの存在がとても大きい。撮る側はもちろん、撮られる側も常にカメラを意識してしまう。『ここまで踏み込んでいいのか』と葛藤する場合もあるでしょう」

山之内さんはドキュメンタリー映画に魅せられる一方で疑問を感じることもあるという。2013年YIDFFの最優秀賞(山形市長賞)を受賞した『殺人という行為(The Act of Killing/監督ジョシュア・オッペンハイマー=Joshua Oppenheimer)』がその例だ。インドネシアで行われた大量虐殺を加害者の視点でとらえ、人間の深層をあぶりだした作品だが、「被害者の一人だったら、身が震えるほどの怒りを感じたと思います」。しかし、オッペンハイマー監督の話を聞いたとき、考え方は納得できたと話す。

殺人部隊のリーダーで、1000人は殺したと広言するアンワー・コンゴ(写真奥)が、実際に行われた虐殺シーンを自ら再演する。日本では『アクト・オブ・キリング』の邦題で2014年4月、シアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開。(c) Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012

「オッペンハイマー監督が問いかけているのは、私たちと加害者であるアンワー・コンゴ(Anwar Congo)はどれだけ違うのか、ということ。誰の中にもある暗闇を見てほしかったと監督は丁寧に説明してくれました。今までタブーになっていた歴史の1ページをきちんと見てほしいという強い想いもあったそうです。ぎりぎりまで葛藤して、必死に自己探求しながら作品を作っていることが彼の言葉から伝わってきました。そうした作家たちの真摯な姿勢こそドキュメンタリー映画の魅力だと思います。

方法こそ違いますが、想いを伝えるという部分では通訳者も同じ。通訳というのは単語の羅列を縦から横にするだけではありません。聞いたことの意味を理解して伝えなければならない。ドキュメンタリー制作と翻訳・通訳は似ているところがあります。それに、数分前まで観客と一緒に作品を見て感じた想いをゼロにして通訳することは私にはできません。ヤマガタの仕事が何よりも魅力的なのは、私たち通訳者も人間として参加することを期待されていることです」

和風レストラン「香味庵」は、映画祭期間中の夜10時から午前2時まで、ゲストや映画関係者・市民の交流の場として開放される。

自分たちの物語を語るための第一歩

第1回から四半世紀。YIDFFはドキュメンタリー映画の間口を広げることにも貢献してきた。1993年に特集プログラムとして上映された「世界先住民映像祭」がそのひとつだ。

「先住民は長い間、支配される側にいました。映像においても、先住民は支配する側が思うような映画を作るための素材に過ぎなかった。でも、先住民にすれば『自分たちの物語は自分たちで語りたい』という意志があります。1993年が『国際先住民年』だったこともあり、ヤマガタでも特集プログラムとして『世界先住民映像祭』を開催することになったんです」

通常、映画祭では主催者が上映作品を決定するが、「世界先住民映像祭」はその権限を「世界先住民映像作家連盟」に委ねた。「今まで、好き勝手にイメージを使われてきた。あなたたちがプログラムを組んだら同じことになるが、その権利を渡してくれたら、ヤマガタは画期的な映画祭になる」という要望に応えたのだ。

「集まった作品は実に多彩でした。ブラジル・カヤポ民族による作品は、初めてビデオを手にした素人が森を守るために密猟者を記録するものでしたし、一方で劇映画風の洗練された映像や、すでに世界各地で放映された作品もありました。彼らが選んだからこそ多種多様な作品が並んだわけで、『これからは自分たちが自分たちのイメージをコントロールするんだ』という意志表明を先住民作家たちがしたのです。新たな歴史の始まりに立ち会っているのを実感し、通訳していても鳥肌が立つほどでした」

しかし、YIDFF自体の大賞に『黒い収穫(Black Harvest/監督ボブ・コノリー=Bob Connolly、ロビン・アンダーソン=Robin Anderson)』が選ばれたことで事態は一変する。パプアニューギニアの高地を舞台に混血のコーヒー豆農場主と近代化を夢見る先住民部族のリーダーらの協力や対決を描いた作品だが、先住民族の作家から「新植民地主義の視点だ」「対象を人間として扱っていない」など批判的な意見が噴出したのだ。

「私は今でも、先住民作家たちの感じ方に同意します。審査員にはメラタ・ミタという先住民の監督も一人含まれていました。彼女は身を引き裂かれるような思いだったでしょうね。自分は、これまでそのような映画に反対して運動してきたのに、どんな顔をしてニュージーランドに帰れるのか……つらかったと思います。ただ、先住民の作家たちは、表彰式後に大賞作品が上映される前に会場から黙って出て行くという静かで、主催者のメンツをつぶさない抗議活動を選択しました。今まで強大な権力と戦ってきた人たちならではの知恵を感じました」

言葉から生まれる差別を実感する日々

カナダ在住の山之内さん自身も、言語的、視覚的なマイノリティとして、不当な扱いを受けた経験を持つ。若い頃は人種差別をなくすための演劇に力を注いだ。先住民族を支援する活動は彼女にとってもうひとつのライフワークだ。

「考えてみれば、言葉という点では日本でも何度かマイノリティの一員になったことがありました。最初の体験が転校。四国の山の中で育ったのに、小学5年生の途中で松山という愛媛県の県庁所在地に移るわけです。わずか40キロしか離れていないけど、言葉が違うから合わせなければならなかった。松山弁に慣れたと思ったら、東京の大学に入学してまたイントネーションが変わる。次はカナダに移って、英語になる。その度にバカにされないように必死で適応しました。多民族国家であるため平等なイメージがありますが、カナダにも差別はあります。先住民は長い間不当な扱いを受けてきましたし、戦時中、そして戦後しばらくは、日系人もその対象でした」

日本にもアイヌなど先住民の歴史がある。「世界先住民映像祭」でも、アイヌ参加者のチュプチセコルさんが、日本の娯楽映画などでアイヌ人がどれほどの偏見を持って描かれてきたかを検証している。

「チュプチセコルさんは『ステレオタイプの間違った見方なのに、誰も批判してこなかった。それこそが恥ずかしい』と言っていました。目を見開かされる思いがしましたね」

誰もが“素”の自分を生きられる世界を目指して

山之内さんが願うのは、皆がありのままの自分を生きられる世界。マイノリティであっても、それを個性として生きていける社会だ。ヤマガタでその可能性を感じることができたという。

「いくら運動しても世界は変わらないという無力感にとらわれて諦めた人も、おかしいところがいっぱいあると思いながら明日のことで精一杯だという人もいると思います。でもヤマガタに来ている人たちは、なんとかそこから抜け出て、頑張ろうとしている。よりよく生きるヒントを探そうとしている。実際、1993年からの20年で、たとえば先住民族を取り巻く環境は随分と変わりました」

ヤマガタという場で、よりよい世界への変化を少しでも加速させたいと山之内さんは願っている。

山形国際ドキュメンタリー映画祭(歴代の主な受賞作品と入場者数)

1989年……上映作品数:80本/入場者数:11920人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『踏切のある通り』(イヴァルス・セレツキス/ソ連/1988年)
山形市長賞 『ルート1』(ロバート・クレイマー/フランス/1989年)
優秀賞 『井戸の上の眼』(ヨハン・ファン・デル・コイケン/オランダ/1988年) 『ノーボディー・リスンド』(ネストール・アルメンドロス、ホルヘ・ウリャ/アメリカ/1988年) 『精神の武器』(ピエール・ソヴァージュ/アメリカ、フランス/1989年)
【スペシャル・イベント】 ロバート&フランシス・フラハティ・メモリアル上映、日本ドキュメンタリー映画の黎明(~1945)、他
1991年……上映作品数:153本/入場者数:14486人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『頑固な夢』(ソボリッチ・ベーラ/ハンガリー/1989年)
山形市長賞 『閉ざされた時間』(シビル・シェーネマン/ドイツ/1990年)
優秀賞 『アメリカンドリーム』(バーバラ・コップル/アメリカ/1990年) 『その昔7人のシメオンがいた』(ヘルツ・フランク、ウラジミール・ネイスネル/ソ連/1989年)
【スペシャル・イベント】 日米映画戦 パールハーバー50周年、日本ドキュメンタリー映画の興隆(1945~1960)、他
1993年……上映作品数:139本/入場者数:20509人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『黒い収穫』(ボブ・コノリー、ロビン・アンダーソン/オーストラリア/1992年)
山形市長賞 『動物園』(フレデリック・ワイズマン/アメリカ/1993年)
優秀賞 『阿賀に生きる』(佐藤 真/日本/1992年) 『予測された喪失』(ウルリッヒ・ザイドル/オーストリア/1992年)
アジア・プログラム 受賞作品
小川紳介賞 『私の紅衛兵時代』(呉 文光[ウー・ウェンガン]/中国/1993年)
【スペシャル・イベント】 世界先住民映像祭、小川紳介特集、日本ドキュメンタリー映画の躍動~1960年代~
1995年……上映作品数:278本/入場者数:21028人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『選択と運命』(ツィピ・ライベンバッハ/イスラエル/1993年)
山形市長賞 『メタル&メランコリー』(エディ・ホニグマン/オランダ/1993年)
優秀賞 『ピクチャー・オブ・ライト』(ピーター・メトラー/スイス、カナダ/1994年) 『スクリーンプレイ:時代』(バーバラ・ユンゲ、ヴィンフリート・ユンゲ/ドイツ/1993年)
アジア百花繚乱 受賞作品
小川紳介賞 『ナヌムの家』(ビョン・ヨンジュ/韓国/1995年)
奨励賞 『暴力の情景』(陳以文[チェン・イーウエン]/台湾/1994年) 『かたつもり』(河瀬 直美/日本/1994年)
【スペシャル・イベント】 電影七変化、日本ドキュメンタリー映画の格闘~1970年代~
1997年……上映作品数:187本/入場者数:22875人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『エルサレム断章』(ロン・ハヴィリオ/イスラエル/1997年)
山形市長賞 『アフリカ、痛みはいかがですか?』(レイモン・ドゥパルドン/フランス/1996年)
優秀賞 『ペーパーヘッズ』(ドゥシャン・ハナック/スロヴァキア/1996年) 『LET ME GO あなたは叫んだ』(アンヌ=クレール・ポワリエ/カナダ/1997年)
アジア千波万波 受賞作品
小川紳介賞 『鳳凰橋を離れて』(季紅[リー・ホン]/中国/1997年)
奨励賞 『パラダイス』(セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ/カザフスタン、ロシア/1995年) 『仕事、仕事』(フアド・アフラヴィ/イラン/1996年)
【スペシャル・イベント】 日本ドキュメンタリー映画の模索~1980年代以降、「大東亜共栄圏」と映画、他
1999年……上映作品数:188本/入場者数:20600人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『不在の心象』(ヘルマン・クラル/ドイツ/1998年)
山形市長賞 『メイン州ベルファスト』(フレデリック・ワイズマン/アメリカ/1999年)
優秀賞 『掃いて、飲み干せ』(ゲルト・クロスケ/ドイツ/1997年) 『ハッピー・バースデー、Mr. モグラビ』(アヴィ・モグラビ/イスラエル、フランス/1999年)
アジア千波万波 受賞作品
小川紳介賞 『ハイウェイで泳ぐ』(呉耀東[ウー・ヤオドン]/台湾/1998年)
奨励賞 『綿打ち職人』(朱伝明[ジュー・チュアンミン]/中国/1999年) 『老人』(楊天乙[ヤン・ティエンイー]/中国/1999年)
【スペシャル・イベント】 小川プロダクション特集、つくる・見せる・変える~日本・韓国のビデオアクティヴィズム、他
2001年……上映作品数:173本/入場者数:18490人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『さすらう者たちの地』(リティー・パニュ/フランス/2000年)
山形市長賞 『ヴァンダの部屋』(ペドロ・コスタ/ポルトガル、ドイツ、スイス/2000年)
優秀賞 『真昼の不思議な物体』(アピチャッポン・ウィーラセタクン/タイ/2000年) 『シックス・イージー・ピーセス』(ジョン・ジョスト/アメリカ、イタリア、ポルトガル/2000年)
アジア千波万波 受賞作品
小川紳介賞 『夢の中で』(メリッサ・リー/オーストラリア/1999年) 『愛についての実話』(メリッサ・リー/オーストラリア/2001年)
奨励賞 『不幸せなのは一方だけじゃない』(王芬[ワン・フェン]/中国/2000年) 『別れ』(ファン・ユン/韓国/2001年)
【スペシャル・イベント】 “今”、“ここ”、“世界について”――ロバート・クレイマー特集、アジア千波万波 スペシャル・プログラム、他
2003年……上映作品数:177本/入場者数:19338人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『鉄西区』(王兵[ワン・ビン]/中国/2003年)
山形市長賞 『スティーヴィ』(スティーヴ・ジェイムス/アメリカ/2002年)
優秀賞 『生命(いのち)』(呉乙峰[ウー・イフォン]/台湾/2003年) 『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』(リティー・パニュ/フランス/2002年)
アジア千波万波 受賞作品
小川紳介賞 『一緒の時』(沙青[シャー・チン]/中国/2002年)
奨励賞 『雑菜記』(許慧如[シュウ・ホイルー]/台湾/2003年) 『ハーラの老人』(マーヴァシュ・シェイホルエスラーミ/イラン/2001年)
【スペシャル・イベント】 沖縄特集 琉球電影列伝/境界のワンダーランド、学校プログラム 学ぶこと、教えること、作ること――ドキュメンタリーの学校にて、他
2005年……上映作品数:145本/入場者数:19963人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『水没の前に』(李一凡[リ・イーファン]、鄢雨[イェン・ユィ]/中国/2004年)
山形市長賞 『ルート181』(ミシェル・クレフィ、エイアル・シヴァン/ベルギー、フランス、イギリス、ドイツ/2003年)
優秀賞 『海岸地』(アルベルト・エリンフス、オウジェニー・ヤンセン/オランダ/2005年) 『静かな空間』(メルヴィ・ユンッコネン/フィンランド/2005年)
アジア千波万波 受賞作品
小川紳介賞 『チーズ と うじ虫』(加藤 治代/日本/2005年)
奨励賞 『大統領ミール・ガンバール』(モハマド・シルワーニ/イラン/2005年) 『ガーデン』(ルーシー・シャツ、アディ・バラシュ/イスラエル/2003年)
【スペシャル・イベント】 日本に生きるということ――境界からの視線、私映画がら見えるもの スイスと日本の一人称ドキュメンタリー、他
2007年……上映作品数:238本/入場者数:23387人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『鳳鳴(フォンミン)―中国の記憶』(王兵[ワン・ビン]/中国/2007年)
山形市長賞 『アレンテージョ、めぐりあい』(ピエール=マリー・グレ/ポルトガル、フランス/2006年)
優秀賞 『旅―ポトシへ』(ロン・ハヴィリオ/イスラエル、フランス/2007年) 『M』(ニコラス・プリビデラ/アルゼンチン/2007年)
アジア千波万波 受賞作品
小川紳介賞 『秉愛(ビンアイ)』(馮艶[フォン・イェン]/中国/2007年)
奨励賞 『溺れる海』(ユスラム・フィクリ・アンシャリ(ユフィク)/インドネシア/2006年) 『バックドロップ・クルディスタン』(野本 大/日本、トルコ、ニュージーランド/2007年)
【スペシャル・イベント】 やまがたと映画、交差する過去と現在――ドイツの場合、他
2009年……上映作品数:123本/入場者数:22195人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『包囲:デモクラシーとネオリベラリズムの罠』(リシャール・ブルイエット/カナダ/2008年)
山形市長賞 『忘却』(エディ・ホニグマン/オランダ、ドイツ/2008年)
優秀賞 『Z32』(アヴィ・モグラビ/イスラエル、フランス/2008年) 『要塞』(フェルナン・メルガル/スイス/2008年)
アジア千波万波 受賞作品
小川紳介賞 『アメリカ通り』(キム・ドンリョン/韓国/2008年)
奨励賞 『ビラル』(ソーラヴ・サーランギ/インド/2008年) 『されど、レバノン』(エリアーン・ラヘブ/レバノン/2008年)
【スペシャル・イベント】 シマ/島  漂流する映画たち、映画に(反)対して  ギー・ドゥボール特集、他
2011年……上映作品数:241本/入場者数:23373人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『密告者とその家族』(ルーシー・シャツ、アディ・バラシュ/アメリカ、イスラエル、フランス/2011年)
山形市長賞 『光、ノスタルジア』(パトリシオ・グスマン/フランス、ドイツ、チリ/2010年)
優秀賞 『阿仆大(アプダ)』(和淵[ホー・ユェン]/中国/2010年) 『5頭の象と生きる女』(ヴァディム・イェンドレイコ/スイス、ドイツ/2009年)
アジア千波万波 受賞作品
小川紳介賞 『雨果(ユィグォ)の休暇』(顧桃[グー・タオ]/中国/2011年)
奨励賞 『アミン』(シャヒーン・パルハミ/イラン、韓国、カナダ/2010年) 『龍山(ヨンサン)』(ムン・ジョンヒョン/韓国/2010年)
【スペシャル・イベント】 公開講座:わたしのテレビジョン 青春編、東日本大震災復興支援上映プロジェクト「ともにある Cinema with Us」、他
2013年……上映作品数:210本/入場者数:22353人
コンペティション部門 受賞作品
ロバート&フランシス・フラハティ賞 『我々のものではない世界』(ハディ・フレフェル/パレスチナ、アラブ首長国連邦、イギリス/2012年)
山形市長賞 『殺人という行為(アクト・オブ・キリング)』(ジョシュア・オッペンハイマー/デンマーク、インドネシア、ノルウェー、イギリス/2012年)
優秀賞 『リヴィジョン/検証』(フィリップ・シェフナー/ドイツ/2012年) 『サンティアゴの扉』(イグナシオ・アグエロ/チリ/2012年)
アジア千波万波 受賞作品
小川紳介賞 『ブアさんのござ』(ズーン・モン・トゥー/ベトナム/2011年)
奨励賞 『怒れる沿線:三谷(さんや)』(陳彦楷[チャン・インカイ]、菜園村の人々/香港/2011年) 『モーターラマ』(マレク・シャフィイ、ディアナ・サケブ/アフガニスタン/2012年)
【スペシャル・イベント】 6つの眼差しと〈倫理マシーン〉、未来の記憶のために――クリス・マルケルの旅と闘い、他

(山形国際ドキュメンタリー映画祭公式サイトなどを基にnippon.com編集部作成)

YIDFF写真提供=特定非営利活動法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭 撮影=花井智子、撮影協力=アップリンク 参考文献=『あきらめない映画 山形国際ドキュメンタリー映画祭の日々』(山之内悦子/大月書店)

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