行正り香:働く女性に大人気の料理研究家

文化

人気料理家の行正り香は、“仕事と家庭の両立”を強いられてきた多くの女性の支持を集めてきた。近年その活躍の場は、海外への日本食プロモート、子ども向け英語学習サイトの開発など多岐にわたっている。新連載「行正り香の手軽でおいしい和食レシピ12」をスタートするに当たり、彼女の生活哲学を語ってもらった。

行正 り香 YUKIMASA Rika

1966年、福岡県生まれ。料理研究家。アクティブラーニング教材「カラオケ!English」などを手がける株式会社REKIDS代表取締役。カリフォルニア大学バークレー校卒。帰国後は電通でCMプロデューサーとして活躍し、在職中から料理本を出版。著書は50冊以上、累計売り上げ80万部以上。中国語版、韓国語版にも翻訳されている。2011年よりNHKワールド、「Dining with the Chef」に出演。主な著書に『レシピのいらない和食の本』(講談社)、『今夜は家呑み』(朝日新聞出版)など。

始まりは一杯のスープから

料理を始めたきっかけは、米国留学時代にホストファミリーに夕食を作ることだったそうですね。

行正り香 はい、18歳の時にカリフォルニア州のソノマに留学しました。1年間地元の高校に通っていましたが、もともと勉強は得意ではなかったし、大学に進むお金もないので、帰国したら英語でも教えようと思っていました。

でも、ホストファミリーのお父さんが「せっかくだからジュニアカレッジに行ったら?」と提案してくれて。しかも「日曜から木曜まで夕食を作ってくれたら、生活費は払わなくていいよ」と。それまでに私がその家で作った料理はポテトスープだけだったんですが、お父さんはたった一杯のスープを飲んだだけで「きみは料理の才能があるから」と、私に“仕事”をくれたんです。

一杯のスープから、すべてが始まったんですね。

行正 そうなんです。それで約2年間、週5日夕食を作っていました。幸運だったのは、1度たりとも文句を言われなかったこと。料理ってほめられてうまくなるものなんです。まずい時もあったと思いますが、批判は一切なし。だからこそ料理が嫌いにならずに続けられたんです。

その後、カリフォルニア大学バークレー校に進学されました。

行正 周りの人の勧めで編入を申し込んだら合格したんです。大学の寮のキッチンで料理をしたらみんな集まるようになって、よく週末などにパーティーをしていましたね。みんなからお金を集めて巻き寿司を作ってあげたり…。

就職は日本でされました。米国に残ろうとは思わなかった?

行正 大学時代に米国社会の厳しさを痛感しました。私はここではやっていけないと思い帰国しましたが、日本で就職活動もしたことがなくて。でも、時は1980年代後半。ちょうど日本の企業が国際化をし始めた時期だったので、英語ができる人材を求めていたんです。幸運にも電通に採用され、コピーライターの仕事を任されました。でも、自分には才能がないとすぐに気づきました。自分がどれだけ苦労して考えても、周りには一瞬でそれ以上のコピーを思いつく人がたくさんいた。ここで自分が戦っても勝ち目はないと思い、すぐにCMプランナーやプロデューサーになりたいと、希望を出しました。

半径5キロ以内でトップを目指せ

見極めが早かったんですね。できないと思っても、そこで無理に頑張ってしまう人も多いですが。

行正 昔から父に、「半径5キロメートル以内で1番になれるものを見つけなさい」と言われていたんです。高校時代に留学したのも、苦手な勉強の中で英語が1番“マシ”だったから。先生に英語の発音を褒められた、というだけの理由です。コピーライターをしていた時は、半径1メートルでも、10メートルでも1番は無理でしたね(笑)。だったら、英語を使って海外向けのCMを作るとか、海外のタレントと交渉するとか、そっちの方が自分の能力を生かせると思ったんです。

私は、「何でも努力すれば、できるよ」という言葉は信じていません。やってもできないこと、苦痛なこともある。私にとっては数学がそういう存在で、ルートが出てきた瞬間、私の数学人生は終わりました(笑)。苦手なことをひたすら頑張るよりは、好きなことをやって才能を伸ばした方が、未来に生かせる可能性が高いと思いますね。

海外CMのプロデューサーをされていた時は、しょっちゅう海外へ行かれていたそうですね。

行正 多い時はひと月ほとんど日本にいませんでした。そうやって世界中の国々で得た経験は、今になって生きています。私はスーパーマーケットが大好きなので、現地で必ずのぞくんです。すると、その地域に何があって何がないのかが瞬時に分かります。ある意味、そうやって世界中のマーケティング調査をずっとしていました。

2011年からNHKワールドで「Dining with the Chef」という番組に出演していますが、海外の人たちに日本食を教える時に、日本以外のスーパーでどんな食材や調味料が売られていのるか、という知識はとても役立っています。

2007年、42歳で独立なさっていますが、料理家としてというよりは、子ども向けの学習サイトを作るためだったとか。

行正 36歳で長女を、38歳で次女を産んで、その時に子どもたちの顔を見て「ああ、彼女たちもルートが出てきたら数学とお別れだろうな」って直感したんです(笑)。私にとても似ていたから。子どもに自分以上のことは望めません。いつか私のように勉強に挫折する日が来ると本能的に確信しました。だから、もっと楽しく学べる仕組みがあったらいいなと思って、インターネットとエデュケーションをかけあわせたビジネスを思いついたんです。

そこですぐ独立してやってしまうところがすごいです。

行正 最初は社内プロジェクトとして提案するつもりでした。でも、信頼していた上司に相談したら、「お前がやるしかないだろう」と言われて。それを聞いて私は、「自分の金でやれ!」という意味だと思って、すぐに辞める準備を整えてしまったんです。あとになって上司から、そういう意味じゃなかったと言われたんですが(笑)、決めてしまったことなので、いただいた退職金と貯金を使って自分の会社を作り、コンテンツを少しずつ開発してきました。でもこの10年は鳴かず飛ばず。失敗ばかりで、まったくビジネスになりませんでした。

今年に入ってようやく、英語の4技能(聞く、話す、読む、書く)を上達させる英語教材コンテンツ、「カラオケ! English」が「e-ラーニングアワード」という大きな賞をいただき、英語学習の生徒も400人以上になりました。10年間続けて、やっとスターティングポイントに立てた、という感じです。

英語と料理の共通項とは

その一方で、料理研究家としては独立してからの10年間はかなりご活躍されていました。最初に本を出したきっかけはなんだったんですか?

行正 帰国後、料理はごく普通にやっていたのですが、会社員時代に周囲の友人に頼まれてレシピをメールで送っていたんです。それがどんどん広まり、そのうち日本全国の知らない方から「ありがとうございました」とメールをいただくようになって。しかも、「もうちょっと味が濃い方がいい」とか「薄い方がいい」とかいろいろな感想もいただいたので、それを反映してレシピを調整していきました。だから私のレシピは誰もがおいしいと思う平均値の料理なんです。

そうこうしているうちにこのレシピをまとめた本を出版したいという方が現れて、1冊目を出したらすぐ次の話も来て…。そうやって10年がたち、20年目になって気がついたら著書が50冊近くになっていました。

料理本は働く女性たちにファンが多い

料理と英語の仕事で共通していることってありますか?

行正 結局、「楽しさ」を伝えたいということですね。英語ができる人生って、出会いが増えてステキでしょう? 英語はグローバル言語ですから、世界中の人たちとコミュニケーションを図ることができます。料理ができる人生も同じ。いろんな人と豊かな時間を過ごせてステキでしょう? 特に料理は誰でも手が届く。料理も英語も人生を楽しくする技術です。その方法論を教えてあげたい。そんな気持ちで作っているのが料理本であり、英語学習コンテンツです。

料理研究、英語学習コンテンツの開発、子育て、ものすごく忙しい毎日でしょうね。

行正 でも、夕方6時にはワインを開けていますよ!(笑) 私は掃除が途中であっても朝9時半には仕事を始めて、夕方6時にはワインを開ける、と決めているんです。逆に、それを超える仕事はしないように心がけています。大切なことはちゃんとプライオリティを付けて、自分の生活の中で守るべきことは守っていきたいなと。

プライオリティさえ決めれば、キャパシティオーバーになる仕事は断ることができます。すべて逆算して考えて、その時の最優先事項を大切にしながらコントロールしないと、最後はいい加減な仕事をすることになり、自分も他の人たちも苦しめてしまいます。私にとって、自由で一見無駄な夜の時間はとても大切です。お酒を飲みながら音楽を聴いたり、映画を観たり、友達を食事に招いておしゃべりしたり…。そういった時間が実はインプットになり、クリエーティブな発想のアウトプットにつながっていきます。

会社員時代もそのような生活を?

行正 当時はもちろん無理でした。サービス業なので残業もあったし、飲み会に行けば、始まりが遅いから午前さまなんてことも。でも、あの時代が嫌だったかというと、違います。関係した人たちからいろんなことを学ぶことができました。もともとは超アナログ人間だった私が、インターネットで仕事をしようと思えたのは、現場でエディターやデザイナー、エンジニアの仕事に接して、リアルな話を聞けたからです。

最近、特に若い人はワーク・ライフ・バランスや仕事の効率を求める傾向が強いですよね。

行正 もったいないなあ、と思います。若い頃に効率を優先すると、学びの機会が少なくなります。無駄なこともやらないと、エキストラのチャンスなどやってきませんよ。それはある意味、インターネットで好きな情報だけを得るのと同じです。ネットで興味を持つものだけクリックしていては、自分の関心以上の広がりはありません。新聞を読むようにして、どんどん脇道に入っていくのが大切です。興味のないことでも脳にたたき込んでおく。楽して情報に接してはいけません、どん欲に未知の世界に頭を突っ込んで行く。

だから私は、体力のある35歳くらいまでは、与えられた仕事は少し無理をしてもやった方がいいと思います。若いうちからセーブしていたら、インプットが少なすぎて、年を重ねたときにアウトプットできなくなるのではないかな、と。一見無駄に見えるようなものも意識的にインプットしていかないと、時代を読む力が、早い段階で衰えてしまう気がします。

海外で和食を作るコツ

11月から連載シリーズ「行正り香の手軽でおいしい和食レシピ12」が nippon.comで始まります。日本料理の特徴や魅力ってなんですか?

行正 一言でいうと、「油が少ない」ということです。さまざまな国の料理を食べてきましたが、ここまで油を使わない料理は画期的です。もちろん、トンカツや天ぷらなど油を使う料理もありますが、それ以外の料理は、使っても大さじ1杯くらい。そういう料理って、世界を見渡すと実はあまりないんですよ。だから日本人は年をとってもそれほど太らないのかもしれませんね。

和食の味付けの基本は、「さみしさ同量」。つまり、砂糖、みりん、しょうゆ、酒を同量合わせることです。これに水を加えて調整すれば、野菜も魚も何でも“日本料理”の味付けになります。何時間も煮込む必要もなく、シンプルで手早く作れるのは、調味料自体を発酵させ、時間をかけて作られているから。かつお節しかり、味噌(みそ)しかり…。複雑な調味料を使っているので、調理する時は、短時間でおいしいものができるんですね。

シンプルなのに複雑に見えるのは、器にも理由があります。世界中に美しい器がありますが、形のバラエティーという面では和食器は突出しています。豆皿から大皿まであらゆる形のものがあり、しかも季節によって使うお皿が変わります。世界中どこを見ても、器を季節で変える国は見たことがありません。和食器は本当にアートの世界ですね。

海外で日本食を作るときのコツはなんでしょう?

まずは頭の中にある「日本食は難しい」という先入観を取り除くことです。だしを作らなきゃいけないとか、すべての食材をそろえなくてはいけないとか、面倒なことはいったん忘れてください。調味料を「さみしさ同量」で配合すると何でも作れる、と思えばハードルはグンと下がります。ご飯はパックご飯でもいいですし、だしも顆粒(かりゅう)だしを使えば十分おいしくできます。日本人だって、普段の生活では顆粒だしを活用しているんです。最初からかつおと昆布でだしをとらなきゃと思った瞬間に、出会えるはずであった日本食ワールドの扉が閉ざされてしまいます。

料理はファッションやインテリアと同じ。面積が大きく、一番目立つコートやトップス、床や壁などから考えた方が、インパクトが変わりますよね。いくら高級な靴をはいていても、レストランで席に座ったら見えませんから(笑)。だから最初から小鉢料理などディテールは後回しにして、一番目立つメイン料理から学んでいただきたいのです。

形から入るのもおすすめです。日本風にしたいと思ったら、21センチメートルくらいの、7寸皿という大きさの和食器を手に入れてみてください。それを26センチメートルくらいの白いプレートの上にのせ、お箸を置くだけでテーブルが一気に和風モダンになります。そしてメインの料理を一品だけ作ってみる。あとは細かいことは気にしない。まずはそこからスタートです。ぜひヘルシーでおいしい日本料理を学び、人生を楽しむツールを増やしていってください。

インタビュー・文=宇佐美 里圭 撮影=名取 和久

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