モデルの「内面」を引き出す造形:ローマ法王3人の胸像を制作した彫刻家、奥村信之

文化 美術・アート

日本人として初めて、ローマ法王庁(バチカン)関係者から促されて、3代にわたり法王のブロンズ像を制作した奥村信之。ローマ郊外にある奥村のアトリエで、彫刻家としてのこれまでの歩みを聞いた。

奥村 信之 OKUMURA Nobuyuki

具象彫刻家。イタリア在住。1953年、東京生まれ。75年、ローマ国立美術アカデミア入学。帰国後、東京学芸大学卒業。85年にイタリアへ移住し、90年に巨匠エミリオ・グレコに弟子入り。マルタ騎士団長、ローマ法王などの肖像を多数制作。古典的な古代密蝋型鋳造(イタリアン・ロストワックス)手法を駆使し、真のリアリズムを追求している。
http://nobuyuki-okumura.com/index.html

ローマ郊外ブラッチャーノ湖畔にある、古代エトルリア人が築いた洞窟をアトリエにして制作にはげむ奥村信之。いまやイタリア人彫刻家でさえ、その煩雑なプロセスを嫌い、使わなくなった古典的な鋳造法で作品をつくり続けている。2003年、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世の胸像を制作し、瞬く間に名声を得た。この作品は、バチカン宮殿図書館の「バルベリーニの間」に飾られている。

貴族がつないだ法王との縁

奥村信之 イタリア人でもカトリック信者でもない自分が、まさかヨハネ・パウロ2世の胸像をつくれるとは夢にも思いませんでした。

しかも設置された場所は、バロック時代を代表する巨匠ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが設計した部屋です。さらに驚いたのは、私の作品と向かいあうように置かれていたのが、ベルニーニ作のウルバヌス8世の胸像でした。

約400年の時空を超えて対峙した私の作品を見て、ベルニーニは「日本人もなかなかやるね」と言ってくれているかもしれません。イタリア人の彫刻家たちは、造形感覚に極めて優れていますが、繊細な表現ができるのは日本人だと自負しています。

奥村が制作した高さ約75センチのヨハネ・パウロ2世の胸像(左)。宮殿内には、奥村作品(中央)と、ベルニーニ作の胸像(右)が向かい合うように飾られている。(奥村氏提供)

なぜ法王の胸像をつくることになったかというと、幸運なご縁に恵まれたからです。1995年に、ここブラッチャーノに住む貴族の肖像を作りました。完成披露パーティーの招待客の中に、ローマ法王を輩出したこともあるボルゲーゼ家の末裔夫妻がいました。「ぜひ夫の肖像もつくって欲しい」とボルゲーゼ夫人に頼まれ、アルテーナ(ローマ南東)にあるボルゲーゼ公爵邸に何度も足を運びました。

ボルゲーゼ公爵邸で、粘土原型造りをする奥村(奥村氏提供)

公爵のさまざまな表情や骨格などを徹底的に観察し、ブロンズ像を完成させると、夫妻は多くの知人に私のことを宣伝して下さいました。そしてマルタ騎士団のローマ総長フランツ・フォン・ロブスタイン氏が、法王庁とのご縁をつないで下さったのです。

総長は、自身の肖像だけでなく、ヨハネ・パウロ2世(当時のローマ法王)の胸像もつくってみるよう促してくれました。半信半疑でしたが(法王の胸像の原型となる)粘土状態まで仕上げてその写真を渡すと、すぐに法王の右腕といわれたピオ・ラーギ枢機卿から「在位25周年の記念式典で謁見をアレンジするから、すぐにブロンズ制作するように」との返事がきました。それから半年間は、持てる力の全てを振り絞り、制作に打ち込みました。

私は、本来はモデルの人と話し、色々なインスピレーションを積み上げながら制作をします。しかし、この時ばかりは仕方がないので、法王の業績を調べ上げ、写真をベースに作り上げました。

2003年10月16日のヨハネ・パウロ2世の在位25周年記念式典にて、法王(写真左)から感謝の意を表される(奥村氏提供)

恩師グレコに促され、リアリズムを徹底追求

ヨハネ・パウロ2世は胸像を見て、奥村の手を握りながら「ありがとう、ありがとう」と何度も謝意を述べたという。それは、巨匠エミリオ・グレコが告げた「おまえの資質はリアリズムにある。ぬくもりのある血の通った作品を作れ」という言葉に従って作品づくりに励んできた努力が報われた瞬間だった。

奥村 ブロンズ像は何千年も先まで残ります。私が会った頃の80歳代の法王はパーキンソン病が進み、お顔はむくんでいましたが、威厳に満ちていました。その厳かさと、世界中を回って活躍されていた60歳代の精悍なお顔を合体させ、あえて年齢不詳ながら、法王の人となりの全てを集約させようと、私なりの仕掛けを施しました。法王の血管をあえて隆起させることで、最盛期の若々しさを演出しつつ、輪郭に丸みをもたせることで、年を重ねることで出てきた風格を表現しています。つまり、60代の頃と80代の2つの顔を刻み込んだのです。

彫刻でも文学でも、よりリアリティを持たせるために、創作は必要です。コンピューターグラフィックや3Dプリンターなどを使えば、その時の物理的な現象のみを捉えることはできます。しかし、それは単なる実物の写しでしかなく、リアリズムを極める世界とは全く異なります。人物の本質を捉え、さまざまな表情を織り込むからこそ、ぬくもりが通った作品ができあがる。作品に普遍性を持たせることができる。そう気付かせるきっかけをつくってくれたのが、恩師グレコでした。

ローマにある巨匠エミリオ・グレコのアトリエで、グレコ(左)と歓談する奥村(奥村氏提供)

奥村は1975年、東京学芸大学美術科(彫刻専攻)を休学し、ローマ国立美術アカデミアに入学。グレコの授業などを受講する。しかし、本格的にグレコに弟子入りしたのは、85年に再びイタリアに渡って以降のことだ。それまでの道のりは長かった。

奥村 留学後に一度帰国し、大学卒業後10年間は東京でゴジラ映画のセットづくりや、(美術を)教える仕事をしていました。しかし、彫刻への思いが断ち切れず、妻を連れて、ローマに舞い戻りました。

翌年には娘も誕生し、仕事も日本からの注文が多く順調でしたが、バブル崩壊とともに収入が途絶えてしまいました。それでも日本に帰ることは全く考えませんでした。自宅の目の前に広がる湖で娘と泳いだり、中世の面影が残る街に身を置いているだけで、創作意欲がどんどん湧いてきました。

ローマの北30kmに位置するブラッチャーノの街並み。奥村のアトリエは、このすぐそばにある。

90年にグレコのアトリエに出向き、「あなたの生徒でした」と自己紹介すると「よく覚えているよ」と言ってくれ、私の作品を見ながら、肖像を中心とする「リアリズムの分野に秀でている」と評価してくれました。後から聞くと、昔の生徒が訪ねて来ると、誰にでも「覚えている」と言ったらしいのですが、この言葉に舞い上がり、具象彫刻の道を邁進しました。亡くなる前の5年ほど、作品を仕上げるごとにアドバイスいただいたことは貴重な財産です。

イタリアの古典的鋳造法を守る

奥村が制作でこだわっているのが、3000年前から続くブロンズ彫刻の「古式精密ロウ型鋳造」(イタリアン・ロストワックス)技法だ。

アトリエの入口にて

奥村 わざわざ手間も時間もかかるこの技法を用いて大作をつくる彫刻家が、イタリアでも少なくなりました。今では鋳造に必要な専門職人もほとんど残っていません。

私が粘土でつくった原型をシリコンで型取りし、さらにそれを石膏で固定する作業をする「型づくり職人」は、ローマ市内に1軒しかありません。また、シリコンを取り外した中に、ロウを流し込み、一旦固めた後、そのロウの部分を焼いて溶かし(脱ロウ)できた空間に、溶岩(ブロンズ)を流し込む工房も、ローマにはないのでフィレンツェまで出向いています。

とても面倒くさい工程だと思われるでしょうが、他の技法に比べ、寸法精度と美しい鋳肌(いはだ)が得られるので、細やかな人間の表情や、髪の毛一本・シワ一本までも丁寧に表現するのに最適な技法なのです。

私の場合、こうしたロウ型原型制作工程(最終的にブロンズを流し込む前段階)では、徹底的に細部をチェックして、必要に応じて再彫刻します。最終確認を自分の目でして、(ロウ原型の上に)自分のサインを入れて、正真正銘のオリジナル作品を世に出すので、型を何度も使い回したような作品とは一線を画します。

この技法をつかうと、彫像石膏の素材、脱ロウ時の窯の温度、ブロンズの配合割合、融解温度など、それぞれに微妙な違いがでるので、出来上がりに1つとして同じものはありません。陶器の窯出しと似た心境で、偶然性に身をゆだねるわけです。とはいっても、金属の配合にはこだわり、独自性を追求しています。

また鋳造後にも、ブロンズの表面に研磨や着色を施さない技法を用い、鋳物の肌感を生かし、自然の風合いを大切にしています。この仕上げ方をすると、年数が経てば経つほど、さらに味わいが深まり、経年変化も楽しめます。それが、私がギリシャ・ローマ時代の伝統的な技法を守りたいと思っているゆえんでもあります。

洞窟を利用したアトリエ。「彫刻家は汚れ仕事なので、このような空間のほうが好都合」と奥村は語る

東西の彫刻文化の融合

奥村の作品は、大きく分けて4タイプある。ヨハネ・パウロ2世に代表される人物像、馬など躍動感を表現したもの、ギリシャ神話の神々などをモチーフにしたもの、そして日本の美の要素を入れた仏像などだ。

「思考するヒポクラテス」(奥村氏提供)

奥村 抽象彫刻やポップアートがもてはやされていますが、私は古典的なブロンズ彫刻の世界を極めたいのです。その中でも、「外見だけでなく、内面をうまく引き出している」と評価されている肖像づくりで、自分の強みが一番発揮されると思っています。最近では日本からの制作依頼も急増しています。

福岡県行橋市の第1回国際公募具象彫刻展の大賞を受賞した「思考するヒポクラテス」像が、昨年から同市の複合文化施設で展示されています。古代ギリシャのヒポクラテスが、右足を上にして足を組み、右手を頬に添えて思索する「弥勒菩薩半跏思惟」(みろくぼさつはんかしゆい)像のようなポーズを取っており、「東西文明を超えた普遍性を追求した工夫が面白い」と評されました。

その評価はありがたいですが、私の創作哲学における東西文明の融合とは、ローマで33年間学んだ堅牢な造形感覚と、運慶や快慶から脈々と日本人に流れる繊細な感性を活かすこと―すなわち、西洋のダイナミックさと、東洋(日本)のしなやかさを組み合わせることなのです。

現在、香川県小豆島で、「東西文化の融合」と「世界の平和と繁栄」をテーマに、私の作品を展示する「祈りのミュージアム」(仮称)の建設計画が進行中です。バチカンに奉納した3代にわたる法王像や、ギリシャ神話に登場するオリュンポス12神像、仏像、空海像などが展示される予定です。

私は、現代における文化の発祥地はギリシャ・ローマで、それがシルクロードを経てたどり着いた最終地点が東の国、日本であると考えています。今後は、そのお返し(感謝)の意味を込めて、日本からも世界に向けて東西文化を融合した作品を発信していきたいです。

取材・文:川勝 美樹
写真:ミライ・プルヴィレンティ

バナー写真:ローマ法王フランチェスコの胸像制作用につくった石膏型を手にする奥村

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