SNS

最新記事

ニュース

More

徐莉玲:日本と台湾をアートでつなぐ

清野 由美【Profile】

[2018.11.03]

日本には世界的に活躍するデザイナー、クリエーターが多い。近年は、日本と台湾の交流が進む中で、日本からの刺激を受けながら、台湾のクリエーティブシーンが目覚ましい発展を見せている。台湾発クリエーティビティの育成者として、日台の一流人材をつなぎ、デザイン教育とそのブランドビジネス展開に重要な役割を果たしている人が、徐莉玲(シュイ・リーリン)である。

徐莉玲

徐莉玲HSU Li Lin1952年台北生まれ。74年中国文化大学美術学科卒業。米スタンフォード大学院修士。日本のアパレル企業でインターンシップを経験後、台北の百貨店「中興百貨」でゼネラルマネージャーを務め、流行に敏感な女性をターゲットにした展開で、台湾の百貨店を刷新する。1987年第1回東京クリエイション大賞海外賞を受賞。2007年に「學學文化創意基金會(シュエシュエ・ファウンデーション)」を夫の林伯實(Por-Shih Lin)とともに設立。台湾クリエーティブシーンの発展、若い世代の育成に力を注いでいる。現在、台北で「學學文化創意基金會」副理事長、「台北市學學実験教育機構(シュエシュエ・インスティテュート)」校長を務める。

工場街がクリエーティブエリアに変身

大きくカーブしたガラスのピクチャーウインドーから、台湾特有の亜熱帯的な緑が見渡せる。その向こうには台北の国際空港、松山機場の眺め。ドイツのデザインチーム「E15」が設計した「台北市學學実験教育機構(シュエシュエ・インスティテュート)」をランドマークに、かつて工場街だった一画は、モダンな高層ビルが立ち並ぶ斬新なエリアに変身している。

インスティテュートの7階にある「シュエシュエ・ホワイトギャラリー」。韓国のアーティスト、安尚秀(Ahn Sang-Soo)による「活一字」展が開催されていた。

徐莉玲(以下、徐) 2005年に私は夫の林伯實とともに、このインスティテュートの母体となる「學學(XUE XUE・シュエシュエ)」を設立し、非政府系財団として、台湾で初めての総合的な文化・クリエーティブの教育事業に進出しました。インスティテュートでは、小学生から社会人まで、幅広い年代を対象にしたクリエーティブ教育を行っています。昨年は「高等部」を新設し、将来的には「大学部」を開設することを目標にしています。

インスティテュートがある界隈は、以前は工場街で、流行とは無縁の場所でしたが、最近は再開発が進んで、画廊やメディア、クリエーティブ企業が集まる先進的なエリアとして大きく変化しましたね。

13年前にシュエシュエを立ち上げた時は、世の中に「デザイン」や「マーケティング」という概念が浸透しておらず、大学でもそれらを教えているところは数えるほどでした。それが今では、台湾にある約150の高等教育機関の中で、90校近くがデザイン関連の講座を開講しています。デザインとクリエーティビティが産業の競争力を高めるという認識が、この10数年で私たちの社会に広まってきたことがうれしいです。

インスティテュートには学生たちが賑やかに出入りする。

東京暮らしで感じた日本と台湾の差

「學學(シュエシュエ)」という命名は、『礼記』の中にある「学ぶことと教えることは、それぞれ学問の半分を占める」という一節にちなむ。インスティテュートのカリキュラムは、デザイン、マーケティング、アート、写真、音楽から、色彩学、流行学、古典文学、デザイン思考など多岐にわたり、先生と学生が学びを交換できるように組まれている。独自のデザイン教育に懸ける徐の原点には、彼女が20代で味わった危機感がある。

 当時のアジアでの流行発信地は、何といっても日本でした。私は大学の美術学科で学んでいたので、建築、インテリア、グラフィック、ファッション、テキスタイルといったデザインの多様な領域に馴染みがあり、日本のトレンドに敏感に反応していましたが、台湾の社会一般はそうではありませんでした。

卒業後はインターンシップの形で日本のアパレル企業「オンワード樫山」に働くチャンスを得て、数カ月間、東京で暮らしました。日本のファッション産業が急激に発達していた時期で、自国との差をいろいろ考えましたね。

その後、台北の百貨店に就職して、ブランド力を高めるマーチャンダイジングを担当することになったのですが、台湾では私の開発した商品が話題になると、すぐにそれがコピーされて、安い値段で売られてしまう。知的財産権という概念がなく、創造性の意味や意義もほとんど考えられていませんでした。台湾でアパレルといえば、下請けの工場がほとんど。作ることはできるけれど、デザインすることはできない。台湾の産業構造が、安価な労働力を最大の売り物にしていたので、悩ましい状況でした。

1990年代のトレンドを研究し、アートとしてアウトプットする学生もいる。

デザイナーのブランド力で台湾の百貨店史を塗り替える

1970年代後半から80年代にかけては、東京発のクリエーティブがさらに大きく花開いた時代。「TD4」と呼ばれた日本人デザイナー、高田賢三、三宅一生、山本寛斎、山本耀司が、パリで活躍し、東京の街には「パルコ」や「ラフォーレ」といったファッションビルが次々に建てられて、世界中で話題になっていた。徐はそこから刺激を受け続けたという。

 東京の動きを見て、台湾はこのままではダメだ、という思いはどんどん強くなりました。では、東京ではどのようなブランドが成功したのか? そこを考え抜きました。私が気付いたのは、ケンゾーにしても、イッセイにしても、みな自国の文化をベースに発信していること。日本に古くから伝わる着物の柄や色、型を、彼らは上手に取り入れて、時代に合った特別なものに昇華させていたのです。

そのことに気付いて、私も自国の文化をサポートしなければいけないと考えました。台湾ならではのクリエーティビティを見つけて、発信することで、状況が変えられると思ったのです。

1978年から13年間、ゼネラルマネージャーを務めた台北の「中興百貨」では、従来の百貨店像にとらわれない画期的なマーチャンダイジングに取り組んだ。徐の手腕によって、台湾の百貨店史は塗り替えられたと大きな評判になった。

 中興百貨ではセールスとともに、オリジナルブランドとアートイベントのプロデュース、商品の陳列に力を入れました。重点を置いたのは、当時の常識だったコストダウンではなく、美的、芸術的な側面です。この店に来れば、女性たちは美しいものとは何か、アートの価値とは何かが分かる。台湾の女性たちの間には、デザインやアートへの欲求があったのに、それに応えている店はない状態でしたから、その点にはこだわりました。

台湾の若手デザイナーの作品を集めたコーナーを展開したり、時代の先端で活躍をする人々を講師に招いてセミナーを催したりと、情報発信に力を入れました。セミナーで取り上げたテーマは、「自分のブランドの立ち上げ方」といったマーチャンダイジング・ビジネス的なことや、「世界のトレンド」「台湾文化の魅力」といった概念的なことなど多方面。そのころから、「学校」の役割をすごく意識していたんですね。

台湾の感性を一言で表すと「温和」

1990年代に台湾の経済発展が本格的になるにつれ、デザインが持つ力と、その価値への認識は台湾の中で高まるようになった。

 社会が豊かになるにしたがって、文化的なエリート、優秀なクリエーターが台湾にとどまってくれることが、社会の利益にもなることに、ようやくみんなの意識が向いてきたのです。

イッセイミヤケの革新的な織物、「禅」を思わせるヨウジヤマモトのストイックなデザインなど、日本のファッションには、日本ならではの感覚が息づいていました。それにならって、私たちも台湾ならではのセンスというものを確立しなければいけないと思いました。

私が考える台湾ならではのキーワードは「温和」です。台湾の人々は情にあふれているのですが、自分たちの思いを大声で発散するのではなく、振る舞い方は穏やかで温もりがあります。その美点を、デザイン・色彩教育を通してさまざまな作品やプロダクトに反映していくことが、私たち世代の務めだと思っています。

豊かなカラーが至るところに

インスティテュートの建物は10階建て。7階のイベントスペースでは、セミナーやイベントが催され、内外の人たちが賑やかに行き交う。各階では、小学生から大学生まで、さまざまな年代の生徒、学生が制作した絵画、デザイン、ファッション、インスタレーションなどが常設的に展示されている。

教室には幅広い年代の生徒・学生たちの作品を展示。インスピレーションと批判的思考を養い、社会問題に切り込むことを学生に推奨している。

 私たちがとりわけ力を入れているのが色彩教育です。台湾では小学校から高校まで、美術教育はまだ狭い部分でしかなされていません。とりわけ地方では、そのチャンスが少なく、大学でデザインの領域に進もうと思っても、基本となる栄養が十分に与えられていない状態が続いています。私たちが開発したインターネットの色彩アプリ「シュエシュエ・カラーズ」は、その壁を突破するための象徴的なプロジェクトです。

シュエシュエ・カラーズには誰でもアクセスできますが、これを使って私たちは台湾の地方にある小学校と、「地域の色発見」の授業を行っています。海や山などの自然や、植物、動物、建物、先住民族の服などから、現地の小学生が自分たちの地域を象徴するテーマカラーを5つピックアップする。その5つの組み合わせや配分で、ファッションやインテリアがどのように変化するか、目で実感するのです。

インターネットを使えば田舎にいることが不利ではなくなりますし、自分たちが暮らす場所の色を発見することで、地域への誇りが養われます。これまで人々の間には、台湾には「特色」がないといった思い込みが強くあって、日本のように繊細な感覚で「色」が意識されることは少なかったと思います。でも、色彩教育を始めてから、みんなが自分たちの文化には驚くほど豊かな色があるんだ、と驚いています。

今、台湾の観光キャンペーンは「Meet Colors!」をキャッチフレーズにしています。私たちが直接関わったわけではありませんが、昔なら「色」で訴えることは考えられませんでした。もしかしたら、私たちの取り組みと、このキャンペーンがどこかでつながっているのかな、とひそかにうれしく思っているところです。

日本を代表するクリエーターとアート交流

世界の先端で活躍するデザイナーとの交流にも積極的だ。徐の夫はガラス企業「台湾ガラス」グループの代表であり、徐もデザイン担当の取締役を務める。アーティスト、杉本博司が2017年に、神奈川県小田原市に作った芸術施設「小田原文化財団 江之浦測候所」では、同社が高度な技術力を必要とする建築ガラスを提供した。

深澤直人さんがシュエシュエのためにデザインしたガラスのピッチャー

 シュエシュエはこれまで12年間、2000人以上の専門家とともに、1万以上に上る講座を催してきました。とりわけ日本との縁は深く、「無印良品」のプロダクトデザインで有名な深澤直人さんをはじめ、グラフィックデザイナーの佐藤卓さん、写真家の藤井保さんら、日本を代表するクリエーターの方々にも、セミナーの講師になっていただくなど、いろいろな形で貢献をお願いしてきました。深澤さんとは長年のおつきあいで、シュエシュエのオリジナルバッグや、ガラスのピッチャーも作っていただいているんですよ。

若い時から、どうにかして台湾にデザイン、アート、マーケティングの意義を根付かせたいと、試行錯誤を繰り返してきました。その一環として、内外の人材と交流を重ねてきた中から、台湾で新世代のデザイナーや、ブランドショップオーナーたちが育って、台湾のデザインシーンが活性していることがうれしいですね。台北の街には今、私が好きなファッションデザイナーのお店がたくさんあります。おススメですか? 一つに絞るのは難しいです(笑)。

インタビュー・文=清野 由美
撮影=熊谷 俊之

この記事につけられたタグ:
  • [2018.11.03]

ジャーナリスト。1960年東京都生まれ。東京女子大学文理学部卒業。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。在学中、英ケンブリッジ大学客員研究員。出版社勤務の後、92年からフリーランス。国内外の都市開発と地域コミュニティ、ライフスタイルの転換を取材する一方で、時代の先端を行く各界の人物記事に力を注ぐ。『アエラ(現代の肖像)』『朝日新聞』『日経ビジネスオンライン』などで記事、コラム、インタビュー、書評などを執筆。著書に『住む場所を選べば、生き方が変わる』(講談社)など。

関連記事
その他のインタビュー

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • ニッポンドットコム・メディア塾 —ジャーナリストを志す皆さんに
  • シンポジウム報告