すばる望遠鏡との30年:天文学者・林左絵子「宇宙の果てを知りたくて」

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2019年、ハワイ島にある国立天文台の「すばる望遠鏡」は初観測から20周年を迎えた。長年プロジェクトに携わってきた林左絵子さんに、自らの体験を交えつつ、すばる望遠鏡の功績と日本の天文学の進化について聞いた。

林 左絵子 HAYASHI Saeko

1958年秋田市生まれ。理学博士(東京大学)。自然科学研究機構国立天文台および総合研究大学院大学 准教授。90年より、大型光学赤外線望遠鏡「JNLT」(現在のすばる望遠鏡)プロジェクトに加わり、主に望遠鏡光学系に関わる基礎実験、設計検討、製作立ち会いに携わる。98年、ハワイ観測所現地に赴任。2017年より口径30メートルの超大型望遠鏡「TMT」推進室(現在の名称はTMTプロジェクト)所属。

2019年9月、観測史上最も遠く離れた最も古い銀河の集まりが見つかった。130億光年かなたにある12の銀河からなる「原始銀河団」の発見には、米ハワイ島にある「すばる望遠鏡」などの望遠鏡が大きな役割を果たした。宇宙年齢が8億年の時代の初期宇宙を知るための「重要な発見」だと報じられている。

宇宙の果てを見てみたい——この夢を実現するために、天文学関係者たちは性能の優れた望遠鏡を開発してきた。ハワイ島マウナケア山(標高4205メートル)山頂付近には、世界各国の天文機関が設置した13基の望遠鏡がある。1999年1月から観測を始めた国立天文台ハワイ観測所のすばる望遠鏡はその一つ。主反射鏡(主鏡)の口径8.2メートルは世界最大級だ。運用20周年にあたる今日まで、宇宙の謎の解明につながる数多くの重要な発見をしてきた。

親に黙って東大を受験

林左絵子さんはすばる望遠鏡の設計段階から関わってきた天文学者だ。理工系に進む女子が極めて少なかった時代に、自ら進路を切り開いてきた女性天文学者の草分けといえる。

「今でも理工系に進む女子学生は決して多くないでしょうが、私が高校生だった頃はかなり珍しい方でした」と林さんは言う。

戦後日本の高度経済成長期に生まれ育った林さんが小学生の時に、強烈な印象を受けた出来事があった——1969年「アポロ11号」の月面着陸だ。「その時の、『人間は力を合わせるとあんなことができるようになるんだよ』という先生の言葉が胸に焼き付いています」

国立天文台(東京・三鷹)の展示室にある「すばる望遠鏡」の模型前で
国立天文台(東京・三鷹)の展示室にある「すばる望遠鏡」の模型前で

中学、高校では吹奏楽部の活動に明け暮れる一方で、本を読むことも大好きだった。「中学校では、図書室の本を手あたり次第に読みました。まだインターネットがなかった時代なので、他の世界のことを知る手段は本しかありませんでした。中でも、(米SF作家)アイザック・アシモフが書いた物理、科学の解説書シリーズがすごく面白かった」

大学進学を考える時期になると、理工系に進もうと心に決めた。「通っていた高校は男子生徒が8割で、先生は女子を放っておいてくれたから楽でしたね。男子はいい大学、いい会社に就職するために必死になるけれど、当時の女子は幼稚園の先生か看護師になるというのが主な職業の選択肢でした。私は地球物理の勉強をしたいと思っていた。でも、親は女子に高等教育はいらないと反対していました。嫁にいけなくなると心配して…」と笑う。「ただ都合のいいことに、高校の時には親と住んでいなかった。当時は父親の転勤に家族が同伴するのが普通でしたが、私はついて行かなかったんです。だから、親に黙って願書を出しました」

そして東京大学理学部に入学。「でも、職業につながるとは思いませんでしたね。ロールモデルが周りにいないから、将来のことは具体的に考えられなかったんです」

「たった一人の日本人」としてマウナケア山へ

1987年東京大学大学院を修了し、同年マウナケアの天文台で働くただ一人の日本人となった。赴任したのは当時英国、オランダ、カナダが共同運用する電波望遠鏡(後述)「JCMT (=James Clerk Maxwell Telescope )」だった。「1990年までそこで働きました。別に英語が得意だったわけではなく、日本に職がなかったので…」

大学院時代、長野県の東京天文台(現・野辺山観測所)で電波望遠鏡の性能を最大限に引き出すための作業を経験したことが、JCMTの調整・整備の仕事に大きく役立った。2015年3月からJCMT は「東アジア天文台」に引き継がれ、日本・韓国・台湾・中国が共同運営をしている。

当時すでに結婚していて夫も天文学者だったが、林さんは単身赴任をためらわなかった。「天文学者の就職先は多くありませんから、単身赴任になることは最初からお互いに想定していました。でも海外で仕事をして本当によかった。一歩日本の外に出ると、女性だろうとアジア人だろうと関係なく、とてもフェアです。成果を上げれば認めてくれる。当時は1日16時間ぐらい仕事をしました。昼には山の上で整備をして、いったん山の途中、高度3000メートルの宿舎に戻って食事を取り、夜その成果を確かめるためにもう一度山の上に行って観測を行う。どういう性能が出るか、望遠鏡の限界を極めたいという思いに突き動かされていました」

1990年、国立天文台は助手1名を公募した。すばる望遠鏡のプロジェクトに予算が付く見通しが立ったためだ。林さんは応募して採用され、設計段階から関わることになった。「91年度の本予算に組み込まれて、主鏡の材料作りが始まりました」

口径8メートルの1枚鏡

当時、世界の光学望遠鏡は口径4メートルが主流だった。「日本にはそれまで口径188センチメートルの望遠鏡しかなかった。それがいきなり8メートル級を作るというので、本当にできるのかという懐疑的な声もありました」と林さんは振り返る。

「主鏡を1枚で造るのか、あるいは分割して後で組み合わせて作るのか、という問題もありました。ある大きさ以上になるとどちらも難しい。分割鏡は並べた後に隣との段差がないようにするのが大変。すばるのような1枚鏡は、造るのも運ぶのも大変ですが、いったん設置してしまえば、あとは比較的楽です」

すばるの主鏡は、熱膨張率がほとんどない特殊なガラス材を米コーニング社に発注して同社のカントン工場(ニューヨーク州)で製作され、コントラベス社のワンパン工場(ペンシルバニア州)に運ばれて研磨された。「当時、日本で造らなかったのは、日本の狭い道路では鏡が通れないからと冗談で言ったものです。でも、運搬の際は米国の広い道路の3車線全部を使っていましたから、本当に日本では難しかったでしょうね」。材料の溶かしこみから研磨完了までには8年の月日を要した。同時に広視野の主焦点カメラなどさまざまな観測機器も開発された。

1994年完成した主鏡鏡材を研磨のために輸送中の光景 ©国立天文台
1994年完成した主鏡鏡材を研磨のために輸送中の光景 ©国立天文台

2002年、すばる望遠鏡の前にたつ林左絵子さん。主鏡の検査は高所作業車に乗って操作するため、安全帯を付けている(提供:林左絵子)
2002年、すばる望遠鏡の前にたつ林左絵子さん。主鏡の検査は高所作業車に乗って操作するため、安全帯を付けている(提供:林左絵子)

1997年にハワイ観測所が開設され、林さんは98年に赴任した。すばる望遠鏡の主鏡が現地に着いたのが同年11月で、翌年1月には画像撮影の初観測に成功した。

「1987年の時とは違って、家族も一緒でした。最初は子ども一人でしたが、ハワイでもう一人生まれた。私の担当は、主鏡の性能調整、維持、向上です。連れ合い(林正彦氏)はマネジメント担当で、2006年から10年までハワイ観測所の所長を務めました」

「ハワイ観測所には常勤職員が約100人いて、そのうち研究者15人ぐらいでしょうか。エンジニアやメカニックの多くは地元の人たちです」

複雑な仕組みのすばる望遠鏡は、夜の観測が始まる前に調整をきちんとしなければならない。問題があれば、エンジニアたちとのチームワークで解決する。冬にはドーム屋上の雪かきや建物周辺の氷割りなど、体力的に大変な作業もある。風が強い時は吹き飛ばされそうになりながらも、降雪後できるだけ早く観測ができるように林さんも雪かきに励んだという。

除雪車が道路の雪を吹き飛ばす(左)。林さんも雪国出身の強みを発揮。屋上での作業のため安全帯装着(右)
除雪車が道路の雪を吹き飛ばす(左)。林さんも雪国出身の強みを発揮。屋上での作業のため安全帯装着(右)

さまざまな種類の望遠鏡が独自性を発揮 

宇宙に関する情報の多くは、天体から届く光(電磁波)を分析することによって得られ、望遠鏡の種類はどの電磁波が観測対象かによって異なる。「電磁波は、波長によってガンマ線、エックス線、紫外線、可視光線、赤外線、電波に分けられます。すばる望遠鏡は可視光線と一部の赤外線が観測対象です」(林)。可視光では主に、太陽のような恒星や、その集団である銀河が見える。赤外線は星形成領域のように温度の低い天体や、宇宙空間のちりに隠されて可視光では見えにくい天体の観測に適している。

電波望遠鏡はブラックホールの周辺から届く微小な電磁波を捉える。2019年4月、日米欧などの8つの電波望遠鏡の連携で巨大ブラックホールの撮影に成功した。その他、ブラックホールや超新星爆発から発生する重力波を観測する重力波望遠鏡(東京大学宇宙線研究所の「かぐら」が19年10月稼働開始)がある。エックス線や遠赤外線の観測には、宇宙に打ち上げられた望遠鏡が必要となり、日本初の赤外線観測衛星だった「あかり」(運用終了)や、太陽からのエックス線などを捉えて活躍中の「ひので」衛星がある。こうしたさまざまな望遠鏡がそれぞれの独自性を発揮して、宇宙の謎に挑んでいる。

「望遠鏡は進化し続けていますが、すばるが今でも特に他をリードしている2つの分野があります。まず、高い集光力と解像度を持つ望遠鏡と性能の優れたカメラの組み合わせによって、宇宙で最も遠い天体の記録を次々と塗り替えました。天文学者には地球から最も遠いところを見たいという欲求ともう一つ、‟第二の地球” を見つけたいという欲求があります。すばるは太陽系外の惑星の直接撮影に成功しています。最遠宇宙の観測と系外惑星の直接観測の分野では、追随を許しません」

ちなみに、太陽のような恒星を巡る系外惑星が発見されたのは1995年で、スイスのチームによるものだった(チームを率いた2人の科学者は2019年のノーベル物理学賞受賞)。だが、この時は系外惑星を直接捉えるのではなく、間接的な観測を積み上げて証明したものだ。すばる望遠鏡は直接その姿を見ようというプロジェクトに挑み、2013年、地球から約60光年離れた太陽型恒星を回る「第二の木星」の撮影に成功した。

次世代望遠鏡で「第二の地球」を

太陽系外の「第二の地球」の直接観測に画期的な成果が期待されるのが、日本、米国、中国、カナダ、インドの5カ国で製作中の口径30メートルの「TMT (Thirty Meter Telescope)」だ。当初は2022年の完成を目指していたが、建設予定のマウナケアがハワイ島先住民の「聖地」でもあるため、現在建設反対運動が激化して現地工事着手の見通しが立っていない。

「でも現地工事だけが大きな問題ではないのですよ」と林さんはさらりと言う。「主鏡を造るのに長い時間がかかるので、のんびりとはしてはいられません。すばる望遠鏡の時には、主鏡を造り始めたのが1991年。完成までには8年を要しましたから」

「米国で主鏡を製作したすばる望遠鏡建設時の30年前とは違い、日本の技術は飛躍的に進歩しています」。TMTの主鏡製作は、材料の供給および成形など全て日本のメーカーが担当する。時間のかかる研磨工程は日米中印の4カ国が分担して行う予定だ。1枚鏡のすばるとは違い、492枚の分割鏡となる。

一方、欧州、また米国の大学連合を中心とする共同体がそれぞれ南半球のチリで次世代望遠鏡の建設を進めている。「大事なことは南半球、北半球の両方で観測できること。例えば、『天の川銀河系』に一番近い銀河は北半球からしか見えないし、『天の川銀河』のそばにある小さなお供の銀河(大・小マゼラン雲)は南半球からしか見えない。ですから、チリの望遠鏡チームとは、性能の点で手抜きしないでお互い頑張ろうねとエールを送り合っているんです」

「TMT」のプロジェクトが難航しようと、宇宙の謎を解明するための人類の探求が後戻りすることはないだろう。最後にこう聞いてみた——「宇宙人はいると思いますか­」。「いると思いますよ」と林さんはきっぱり答えた。「少なくとも何らかの生命体は存在するでしょう。天文学者は皆そう信じているはずです」

バナー写真:すばる望遠鏡のドーム上空を通過する国際宇宙ステーション(Photo by Dr. Hideaki Fujiwara - Subaru Telescope, NAOJ)

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