「日本画」の魅力をもっと世界に伝えたい―山種美術館館長・山崎妙子

文化 美術・アート

江戸時代の絵師・伊藤若冲などの展覧会が人気を呼ぶ一方で、明治以降の日本画の魅力はまだ広く認知されていない、と山種美術館(東京・広尾)の山崎妙子館長は言う。岩絵の具や紙、絹などの伝統的な画材が生み出す独特の質感や色の美しさを国内外のより多くの人たちに見てもらいたいと、多角的な取り組みを続けている。

山崎 妙子 YAMAZAKI Taeko

慶応義塾大学経済学部卒業。東京芸術大学大学院美術研究科修士課程を経て1991年後期博士課程修了。学術博士。2007年、山種美術財団理事長兼山種美術館館長に就任。著書に『速水御舟の芸術』(日本経済新聞社、1992年)など。

暗闇の中、メラメラと赤く立ち上る炎に群がる蛾(が)の舞——妖しい美しさを放つ「炎舞」は明治時代から昭和初期にかけて活躍した画家・速水御舟(1894〜1935)の代表作。40歳で早世した御舟の120点に及ぶ作品をはじめ、明治以降の日本画の個性的な傑作を数多く収蔵しているのが山種美術館(東京・広尾)だ。

山種美術館の初代館長はかつて「相場の神様」と呼ばれた山種証券(現・SMBC日興証券)の創業者、故・山崎種二(1893~1983)。現在、孫の山崎妙子さんが館長を務める。

「絵は人柄」の信念が生んだ山種の個性

出光美術館、三井記念美術館、根津美術館、サントリー美術館など実業家のコレクションが基となった美術館と比較して、その個性はどこにあるのだろうか。

「当館の特色は、まず、日本初の日本画―主に明治以降の作品―専門の美術館であるということです。所蔵するのは1800点余りで、必ずしも多いほうではないですが、画家の代表的な作品がそろっているのが魅力でしょう。祖父・種二には、購入した(江戸時代の絵師)酒井抱一の絵が偽物だったという苦い経験があって、それからは自分と同時代の作家の作品を、画家と直接交流しながら買えば間違いはないと思うようになったそうです。『絵は人柄である』という信念を持って多くの画家たちと親しく家族付き合いをしました。その中には、横山大観、川合玉堂、上村松園、奥村土牛(とぎゅう)、東山魁夷などがいます」

速水御舟『炎舞』(重要文化財/制作年=1925年 山種美術館)
速水御舟『炎舞』(重要文化財/制作年=1925年 山種美術館)

個人的に親交のあった画家たちは、自らの自信作を親しかった種二に所蔵されることを望んだために、質の高い作品がそろったという。「祖父は自分から画題を選んで依頼することはなかったのですが、例外があり、昭和43年(1968年)に完成した皇居の新宮殿のために魁夷が制作した壁画『朝明けの潮』を見て、同趣の作品を国民の誰もが見られる場所に飾りたいからと頼み、『満ち来る潮』という幅9メートル、縦2.1メートルもの大作を描いてもらいました。他にも安田靫彦(ゆきひこ)、山口蓬春、上村松篁(しょうこう)、杉山寧(やすし)、橋本明治にも新宮殿にある作品と同じ画題の作品を依頼しています。こうした作品も当館のコレクションの特徴と言えますね」

速水御舟は種二が本格的に絵画を収集し始めた頃にはすでにこの世を去っていたため、生前の種二と親交がなかった数少ない画家の一人だ。だが、御舟の絵が好きだった種二の意向を受けて、2代目館長の山崎富治が、運営主体である山種美術財団の土地や債券などを処分してコレクションの一括購入に踏み切り、「御舟美術館」と異名を取るほどの所蔵作品数を誇るようになった。

恩師・平山郁夫画伯に励まされて

「祖父は床の間の日本画を四季折々に掛け替えたり、洋間には油絵を飾って、日常生活の中で絵を大切にしていました。幼い頃、私も祖父の膝の上で床の間の絵を眺めたものです。祖父から『何でも買ってあげるよ』と言われると、画用紙をおねだりしては絵を描いていました」と山崎さんは振り返る。

絵が好きでも、画家になろうとは思わなかった。いずれは山種証券で働きたいと、大学では国際金融を学ぶ。だが、卒業する頃はまだ男女雇用機会均等法施行前で、4年制大学卒の女子には就職が厳しい時代。「結局、やはり美術の仕事に関わりたいと一念発起して猛勉強し、二浪して東京芸術大学の大学院に入りました」。当時芸大教授で後に学長になる著名な日本画家、故・平山郁夫氏から「せっかく芸大に入ったのだから、日本画の実技も学んで画家の心が分かる研究者、そして館長になりなさい」と助言され、専攻の美術史と合わせて実技も学んだ。「平山先生やその門下の方に教えていただきながら、法隆寺の壁画模写もしました。日本画の技法や素材について勉強したことは、今の仕事にとても役立っています」

芸大大学院を修了した年に転んで大けがを負い、医師から「一生足が不自由になる可能性もある」と言われた。入院中の山崎さんに恩師の平山画伯から一通のはがきが届く。「人の一生は年輪のようなもの。今が年輪の固く締まる時と信じて、じっと我慢しなさい―そう書かれていました」。その言葉に励まされて、2年間の松葉づえの生活を耐えたという。

「日本画」の魅力を最大限に引き出す

2007年に館長に就任。1966年日本橋兜町で開館した山種美術館が仮移転を経て広尾で生まれ変わったのはその2年後だ。外観は都内でも閑静な地域の景観に溶け込むデザインで、正面ロビーにはカフェが併設され、街の憩いの場となっている。館内は完全バリアフリーで、壁や床の素材から照明に至るまで日本画をよりよく鑑賞できる工夫を凝らしている。「日本画は、絹や和紙に墨や岩絵の具、胡粉(ごふん=貝殻から作る白色顔料)などの天然絵の具で描かれており、極めて繊細で傷みやすいという性質があります。光に弱いので、作品を万全に保護できる照度を保つ配慮をしつつ、複数の照明器具を効果的に組み合わせて、絵の質感や色の魅力を最大限に見せるようにしています」

公の場では和服を着用することが多い
公の場では和服を着用することが多い

近年、江戸時代の天才画家・伊藤若冲や、幕末から明治にかけて活躍した奇才の絵師・河鍋暁斎の人気で「日本画」への関心が高まっているが、まだ一般的な認知度は低いと感じている。「かつては展覧会といえば西洋美術ばかりが人気を集めていましたが、最近では若冲や暁斎がブームになっているように、日本美術の方がむしろ人気が高いのではないかともいわれています。西洋文化に憧れた時代から、日本の良さを見直す時代へと、社会が変化している表れなのかもしれません。とはいえ、幅広い年齢層の人たちが日本画に関心を持ち、何度も当館に足を運んでもらうためには、知恵を絞って、いろいろな企画を考えていかなければなりません。特に若い人は、義務教育で日本画を描いたり、鑑賞したりする機会があまりないことも、関心が薄い原因の一つではないかと思います。日本画を鑑賞していると、季節の移ろいや自然の美しさを再発見することがよくあります。高尚なアートとして考えるのではなく、身近に感じてほしいと願っています」

若い人が展覧会に足を運ぶ「きっかけ作り」のために、さまざまな取り組みをしてきた。オリジナルグッズの考案、関連イベント、SNSでの情報発信などはもちろん、カフェでは、展覧会ごとに出品作品にちなんだ花や果物、動物などをモチーフにしたオリジナルの和菓子をメニューに加える。「和菓子を目当てに来館したとしても、それが一つの入り口になります。お友達と楽しくお茶をするついでに絵を見てくれれば…」

最近の展示では、ゲームアプリ、テレビアニメなどで人気の『明治東亰恋伽』(めいじとうきょうれんか=通称「めいこい」)とのコラボレーションでグッズや和菓子を販売した。横山大観、菱田春草が明治時代の「イケメン」として登場するコンテンツで、「大観と春草の絵をマジマジと見た。普段見る機会がなかったから、コラボの機会に興味を持てて良かった」などのツイートもあり、若い人たちに展示を見てもらえたという手応えは十分だったそうだ。

『明治東亰恋伽』とのコラボで販売した缶バッジ
『明治東亰恋伽』とのコラボで販売した缶バッジ

作品の保存と新しい日本画の創造

展覧会にまつわる多角的なプロデュース力を発揮している山崎さんだが、収蔵作品を守るための地道な努力も重要な仕事だ。前述のように日本画は岩絵の具や紙といった材料を使っているために傷みやすい。「作品の保存と公開という、相反する使命を両立させることはとても難しい課題ですが、展示室内の最適な環境づくりや、傷んだ作品の修復など、常に前向きに取り組むようにしています」

また、若手日本画家の発掘・育成にも力を入れる。1971年から97年まで実施していた「山種美術館賞」を2016年に再開させ、19年に2回目を実施した「Seed  山種美術館 日本画アワード」は、45歳以下ならだれでも応募できる公募展だ。「全てを岩絵の具で描くといった伝統的な手法にこだわらず、部分的にアクリル絵の具や油彩も使用できるなど、画材の条件を広げました。応募作品にはいろいろな表現があって素晴らしかった。3年に1度の公募展を通じて、若手をもっと応援していきたいですね」

応募作品を見ると、現代アートのような趣の作品もある。「『日本画』と『洋画』の境界線が、少なくとも表面的にははっきりと捉えにくい作品があることは事実です。日本画の伝統を土台に現代に即した表現を模索した力作が多く出品されました。美術の歴史を通してみても、伝統は更新され、その時代の新しい表現が生み出されています。伝統が失われているというより、むしろ新しい日本画が創造されているといえます」

海外の人にも見てほしい

日本画の未来を担う画家たちを応援する一方で、山種美術館の日本画のコレクションをもっと海外の人たちに見てほしいという強い思いがある。

「館蔵品を通じて、岩絵の具、紙、絹など天然の素材の美しさを生かした日本画の表現を海外の人たちに見てほしい。日本画の魅力は印刷物ではなかなか伝わりません。岩絵の具などの鉱物を膠(にかわ)で紙や絹に定着させる手法なので、粒子が荒く、キラキラ、ザラっとしている。この独特な質感をぜひじかに見て感じていただきたい」

これまでも、外国人に分かりやすい切り口の展覧会を企画してきた。例えば2014年「Kawaii 日本美術 ―若冲・栖鳳・松園から熊谷守一まで―」展では、当時海外にも広がりをみせた日本発の「Kawaii文化」に着目し、「Kawaii」というキーワードを通して室町時代から現代までのさまざまな「かわいい」作品を紹介した。現在開催中の「東山魁夷の青・奥田元宋の赤―色で読み解く日本画―」(~12月22日)では、日本画独特の美しい色を生み出す絵の具の魅力に力点を置き、天然岩絵の具の原石も展示して、画材への興味も喚起する工夫をしている。

東山魁夷『年暮る』(1968年、山種美術館)
東山魁夷『年暮る』(1968年、山種美術館)

奥田元宋『奥入瀬(秋)』(1983年、山種美術館)
奥田元宋『奥入瀬(秋)』(1983年、山種美術館)

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、海外からの観光客に向けた情報発信に一層力を入れるつもりだ。

「上野、浅草などのメジャーな観光地ではないので、現時点では1日5人ぐらいしか外国の方の来館がありません。せっかく東京に来て、誰もが行くところだけを観光するのではなく、海外であまり見る機会のない明治時代以降の日本画に触れる機会をぜひつくってほしい」

祖父、父に続く3代目の館長として、日本画の魅力をより広く発信し、新たな世代につなげていくための手腕が試されている。

バナー:山種美術館(東京・広尾)のエントランスロビーで
バナー写真・インタビュー撮影=三輪 憲亮

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