震災10年、東北・福島と台湾

「日本は台湾や香港にもっと積極的に」――世界初のヘビメタ議員、台湾フレディ・リムが考える新時代の日台関係

政治・外交

李登輝に代表される日本の教育を受けた世代が徐々に歴史となる中、新しい世代の台湾人はどんな日本観を持っているのか?立法委員(国会議員)で、メタルロックバンド「ソニック」のボーカルでもあるフレディ・リム(林昶佐)氏に、震災10年を機にオンラインで話を聞いた。

林 昶佐 Freddy LIM, Tshiong-Tso

台湾立法委員(国会議員)、ミュージシャン。1976年、台湾台北生まれ。国立台北大学卒。1995年、在学中にメタルバンド「ソニック」を結成し、日本はじめ、世界ツアーを行うなど、台湾を代表するロックバンドとして成功する。2004年、李登輝の思想を伝える李登輝学校に第1期生として入校。国際的な人権擁護活動にも力を入れ、2010年、アムネスティ・インターナショナル台湾の支部長に就任。2011年、東日本大震災では友人らと共にチャリティー募金を行い、100万元(約387万円)を寄付した。2014年、ひまわり学生運動にも参画。時代力量党の創設メンバーとして、2016年の立法院選挙(国会議員選挙)に出馬し初当選。その際、英国放送協会(BBC)から「議会に入った世界初のヘビーメタル・ミュージシャン」と紹介された。その後、同党を離党し、2019年、無所属で2期目の当選を果たす。
https://freddylim.com/

日台関係は政府間レベルでも深化を

「短期的には、日本政府にこれまで自粛や制限されていた台湾政府との交流について、もっと踏み込んでほしいと思います。例えば米国のように政府高官が台湾を訪問するようになってほしいです。長期的には国交樹立を含めた国家関係の正常化です」

台湾の立法委員(国会議員)でミュージシャンのフレディ・リム(林昶佐)氏は、日本と台湾との関係が、政府間レベルで深まることへの希望を語った。

「日本の政治家で台湾との交流に熱心なのは主に保守層で、私たちのようなリベラルな政治思想とは必ずしも相いれない点もあります。しかし、それを超えられるベースが私たちにはあり、違うからこそ交流を進め、国家関係の正常化を進めるべきです。そうすることで、台湾も『一つの中国』の枠組みで存在そのものを置き去りにされることはなくなります」

フレディ・リムはオードリー・タン(唐鳳)行政院政務委員、コスプレイヤーとしても若者に人気の頼品妤立法委員と並び、台湾本位の政治観で、台湾社会の柔軟さや多様性を代表する若手オピニオンリーダーだ。

フレディ・リム氏
フレディ・リム氏

この世代の台湾人は、李登輝に代表される戦前の日本の教育を受けた日本語世代の孫の代に当たる。日本文化を日本語で吸収したかどうかの違いはあるが、当局が日本の情報を制限していた戒厳令下にあっても、日本文化と共に成長した。

「気が付いたらそこに日本があったというのが、私たち世代の共通する思い出だと思います。私にとっては、『キン肉マン』『ドラゴンボール』、そして「志村けん」でした。今の子どもたちも『鬼滅の刃』を見ていますので「日本」は身近にあります。想像力が豊かで面白そうな社会が広がっている、小さい頃、日本にはそんなイメージがありました。小学校の頃、家族と初めて日本に行った際、『街がきれいで、秩序があって、安全』だと思いました。おそらく多くの台湾人が、当時、こんな感想や日本観を持っていたと思います」

一方で、大人になってからは、秩序だった日本の社会は、見えざるプレッシャーも手伝って形成されたものだと考えるようになった。子どもの頃に抱いていたイメージとの間にギャップが生まれているというのだ。

「ソニックのライブ後の気楽なパーティーでも、日本人は欧米のファンとは違って行儀がいいし、私たちが喜びそうなものをプレゼントしてくれるなど気遣いが素晴らしい。でも、会話は慎重で、打ち解けた感じがしないことがあります。日常的にプレッシャーの中で生活していて自然と身に付いた態度なのかもしれません」

そして、台湾人の日本観は、かつての学びの対象から、ここ数年は友人という立場に変わっていると付け加えた。

「例えば、同性婚や先住民族のトピックなどで、台湾は日本よりも進んでいると思います。その代表例とも言えるのが、オードリー・タンでしょう。伝統的なアジア文化圏から飛び出しそうな、今の多様性を大切にする台湾社会を体現していると思います。単に台湾社会の方が、プレッシャーが小さく、新しい考え方への抵抗が少ないからかもしれません。そして、何でも日本から学ぶというより、物事によっては自分たちで解決しなければならない、今の世代には、そういう考え方が浸透しています」

フレディ・リム氏
フレディ・リム氏

日本人がなくしたものを李登輝から見いだす

フレディはアムネスティ・インターナショナルの台湾支部長を務めるなど、国際的な人権擁護活動にも積極的に関わっていることでも知られている。

「4歳からピアノを習いロックの世界に入る中で、欧米のミュージシャンが積極的に政治や社会へのメッセージを音楽にのせていることを知りました。私自身もメッセージを音楽に込め、実際の社会活動でも実践するようにしました。国民党による中華中心主義的な学校教育で培った見方から離れ、違う立場から物事を見たり接したりするようになり、徐々にそれはアムネスティ・インターナショナルでの活動にも発展していきました」

「ソニック」でボーカルを担当するフレディ・リム氏
「ソニック」でボーカルを担当するフレディ・リム氏

台湾主体の考えや世界的な人権擁護活動に関わる中、2004年、フレディは李登輝が自身の思想や政治観を伝える政治塾・李登輝学校に、第1期生として入校する。

「李登輝総統は既に、すでに政治の第一線からは退いていましたが、年齢からは到底想像できないほどの、知識欲の塊のでした。ある時は私が持っていたマンガに興味を示し、テクノロジー関連の話になるとITとIoTの違いやAIについて深く知ろうとする――いつも新しい情報や知識を得ようとしていました。面白いことに、その姿は私が知っている日本人とは違うものだったのです」

2004年、『魁!!男塾』のコスプレをするフレディ・リム氏(左)と李登輝氏(右)
2004年、『魁!!男塾』のコスプレをするフレディ・リム氏(左)と李登輝氏(右)

そして、日本人が李登輝に共鳴するのは、現代の彼らがなくしてしまったものを、知らないうちに追い求め、補っているのではないかと考えるようになった。

「日本人の李総統への礼の尽くし方や著書の引用を見るたびに、私は日本人が失ったものを補っているように感じるのです。戦後の日本人は、戦争の負い目もあって、内向きだったと思います。アジアで担うべきリーダーシップや負うべき責任について避けてきた。例えば地域の安定について、自分たちの発した言葉が、隣国からどのように取られてしまうのか、すごく気にしていた。いつも慎重で、保守的。しかし、日本は紛れもなくアジアの中で政治的にも社会的にも1、2を争う大国です。もっと地域の発展に貢献し、責任を負うべき存在です。そんな日本人が抑えていたものを、李総統の発言で補っていたのではないでしょうか」

李登輝氏の追悼告別ミサでは、現役の台湾総統として渡米した際、母校コーネル大学で演説した際のタイトル「民之所欲 長在我心」(国民が何を求めているかを、常に心に留め置かなければならない)が掲げられた。フレディ・リム氏もミサに駆け付けた
李登輝氏の追悼告別ミサに向かう。「民之所欲 長在我心」(民の欲するところ、常に我が心にあり」は李登輝氏の政治信条だった

政界進出と親友オードリー・タンとの再会

2014年、フレディにとって本格的に政治の世界へ進むきっかけとなる事件が起きる。当時の与党・国民党が中国と締結しようとしていたサービス貿易協定について、社会全体を巻き込んだ反対運動・ひまわり学生運動だ。

当初フレディは、運動の中心となっていた学生らに寄り添いサポートすることが、先輩としての役割だと思っていた。しかし、運動に深く関わるうちに、彼らの将来や生活が危機に瀕していることを強く感じたのだ。その後、運動はリーダーらが中心となって新政党「時代力量」の結党へと発展する。フレディもそれに加わり、2016年、同党から立法院選挙(国会議員選挙)に出馬して初当選を果たした。

「出馬すべきか本当に悩みました。私の選挙区は、高齢化が進む地域で、国民党のベテラン議員が地元に強固な地盤を築いていたので、選挙戦は相当厳しいものになると考えていました。ただ、ひまわり学生運動で若者をあおるだけあおり、身を引いてしまうのはいかがなものか。やるからには誰も成し遂げたことがないようなことをしたい、そう思って出馬しました。その後、考え方の相違から離党して無所属となりましたが、同じように必死になって選挙に臨み、再選を果たしました」

立法院で発言するフレディ・リム氏
立法院で発言するフレディ・リム氏

2020年は新型コロナウイルスの流行で、台湾の防疫対策が世界的に注目された。その中で戦略物資となったマスクを、デジタル技術を駆使して販売店の在庫状況が一目で分かる「マスクマップ」作りを主導したオードリー・タンは、日本でも注目されるようになった。

実は、フレディとオードリーは2000年頃からの親友だ。オードリーはソニックの音楽にほれ込み、フレディはオードリーの天才的な思考や映画「マトリックス」のような電脳的な未来観に夢中だった。

2021年3月9日、立法院のホームページで「開放国会行動方案」(開かれた国会を目指す行動方案)が正式にローンチした。本方案の世話人を務めるフレディ・リム氏(左)とオードリー・タン氏(右)
2021年3月にスタートした「開かれた国会を目指す」プロジェクトでは親友のオードリー・タン氏とともに世話人を務める

「若い頃は、ほぼ毎週末、お互いの家を行き来して、音楽やデジタル技術がもたらす未来の話ばかりしていました。私自身、プログラミングは彼女から習ったようなものです。今思えば空想、バカ話のたぐいだったのかもしれません。それでも本当に楽しい時間でした。

その後、私は音楽活動で、彼女はビジネスで忙しくなり、疎遠になっていましたが、2016年、オードリーが行政院(内閣)のデジタル担当の政務委員に任命されたのです。まさか国政の場で親友と再会するとは思いもしませんでした。

今年、3月下旬の台湾最大のロックフェス『大港開唱(メガポート・フェスティバル)』にもオードリーを招待しました。このコロナ禍で、世界で唯一予定通り開催される大型音楽イベントで、台湾がコロナ対策で成功していることを意味しています。世界にアピールする意味でも、シンボルとなったオードリーへの出演を依頼しました。後日、ライブアルバムとしてウェブでも公開しようと思っています」

香港問題の協力は日台関係深化のチャンス

2016年の初当選以来、フレディは立法院で外交・国防委員会に所属し、中国からの有形無形のプレッシャーと、日々対峙(たいじ)している。

「台湾政府は、一見、中国に対し非常に強硬な姿勢で臨んでいるように見られます。例えば、まだ世界が新型コロナウイルスの脅威にさらされる以前から、水際対策を徹底し、中国との往来に制限を設けました。しかし、台湾は民主国家であり社会であるため、政府の号令一つで全てできるわけではありません。国民の支持や協力があってはじめて可能で、今も続けているのです。例えば、オードリーのマスクマップもそうですが、彼女は民間で進んでいたプロジェクトを調整し、発展させたのでした。これらは市民が社会に貢献しようとする高い意識があって、初めて実現できたのです。政府と国民が一つになって中国と向き合っているのです」

香港問題で人道支援を訴えるフレディ・リム氏
香港問題で人道支援を訴えるフレディ・リム氏

民主派活動家への弾圧だけでなく、「香港国家安全維持法案」(国安法)で一国二制度が事実上崩壊したといわれる香港について、台湾では香港人の支援を進めている。そして日本も積極的に関わってほしいという。

「今や香港やウイグル、チベットの問題は国際的な関心事です。台湾では、特に香港人の移民や留学に大きく門戸を開き、自由を求める香港人がやってきています。ただ、中には最終目的地が台湾ではない人もいます。人道支援として彼らが希望する国へ向かえるようにするためにも、国際的な連携と国家間の協力関係が不可欠です。私は日本にもっと積極的に関わってほしいと思っています。また、日台関係の側面からも、関係をもう一段引き上げるチャンスだとも考えています。残念ながら、民間交流の熱量に比べ、政府間の交流は進展しているとは思えません。台湾と米国の関係が従来よりも引き上げられた今、日本はもっと積極的になっていいと思います。香港問題での協力は、は日台関係の深化にとっていい機会だと思うのです」

台北で開催された「東日本大震災から10年、東北友情特別展示」を見学
台北で開催された「東日本大震災から10年、東北友情特別展示」を見学

写真提供=立法委員林昶佐国会事務所

バナー写真=フレディ・リム(林昶佐)氏

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