ミステリー作家・大沢在昌氏が語る『新宿鮫』の魅力

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ミステリー小説界の第一人者・大沢在昌氏の人気シリーズ『新宿鮫』の12作目となる『黒石(ヘイシ)』(光文社)が2022年11月に刊行された。単行本・文庫あわせて累計800万部を超え、長年の執筆活動の功績に対し、紫綬褒章が授与された。『新宿鮫』について、創作活動について、大沢氏に話を聞いた。

大沢 在昌 ŌSAWA Arimasa

作家。1956年生まれ。愛知県名古屋市出身。慶応義塾大学中退。79年第1回小説推理新人賞を「感傷の街角」で受賞し、デビュー。91年 「新宿鮫」で第12回吉川英治文学新人賞と第44回日本推理作家協会賞長編部門受賞、94年「無間人形 新宿鮫4」で 第110回直木賞。日本冒険小説大賞を数度にわたり受賞したほか、柴田錬三郎賞。吉川英治文学賞なども受賞。第一回日本推理作家協会チーフブレンダー。2022年秋に紫綬褒章を受章。

『黒石』はどうやって生まれたか

『新宿鮫』第1作の発表は1990年。主人公の新宿署の刑事鮫島は、組織のなかで孤立しながらも歌舞伎町を舞台にした数々の凶悪事件に単独行で対峙していく。決して妥協せず、とことん犯人を追い詰めていく執念深さに、暴力団からは「鮫」と呼ばれ忌避されていた。数少ない理解者は、上司の桃井課長と恋人であるロックシンガーの晶(しょう)。その桃井は10作目となる『絆回廊』で捜査中に射殺され、薬物犯罪のスキャンダルから晶とも別離となった。次の『暗約領域』をはさみ、『黒石』出版までの経緯はどうだったか。

前作『暗約領域』(2019年)は、『絆回廊』(2011年)の出版から9年近く、間が空きました。『絆回廊』で課長の桃井と晶という大きなメンバーが退場したので、これでシリーズも終わったとお考えの読者もけっこういたようです。僕の中では全然そんな気はなかったのですが、あれだけ大きな出来事を起こして、何もなかったかのようにまた書くわけにもいかず、次の作品を書くにあたっては、やはり覚悟がいった。一言でいうと、「面倒くせえなあ」というのがあって、年数がかかってしまいました。

『暗約領域』では、2人がいなくなったことの説明も必要だし、鮫島本人がどのように変化したのか、シリーズものなので触れないわけにはいかない。なおかつ事件の中身がけっこう複雑だったので、長くなった。それで疲れたというのもあり、次はシンプルな話にしようと最初から決めていました。

それからもうひとつ、書店で『暗約領域』のサイン会をやったとき、ちょうどコロナ直前でしたが、たくさんのお客さんがおみえになって、ほぼ全員から「9年待ちました」と当たり前のように言われた。こんな時代に9年間も待ってくださる人がこんなにもいるというのは大変なことで、ちょっと感動しましてね。「次はいつですか?」と聞かれて、さすがに「今度はそんなにお待たせしません」と言ったのですが、みんな信じていないみたいだった。なんせ、出版社の担当編集者に「来月から鮫の新しい連載スタートするから」と言ったら、「ああ、はいはい」てな感じで聞き流されたくらいで、僕がファックスで原稿送ったら本当に驚いていた。それが可笑(おか)しかったし、当初からシンプルなものにしようと考えていたので、この『黒石』のキャラクターもすんなり出てきた。サックリ、そんなに苦労しないで書けたという印象です。

『黒石』では、鮫島は中国残留孤児2世の組織「金石(ジンシ)」内部の権力闘争に端を発した殺人事件を解明していく。組織内の覇権を握ろうとする黒幕が、特異な武器を用いる殺し屋「黒石」を使って反抗するメンバーを殺戮していく。「シンプルな物語」とはいえ、緊迫感のある場面の連続で一気呵成に読める。

「金石」は『絆回廊』で初登場し、暴力団も怖がる組織と書いていますが、インターネットを通じてのネットワーク型の組織です。ただし、「金石」にまつわる物語は、『絆回廊』から『黒石』でいったん終了です。陸永昌(ルーヨンチャン)という中国と日本のハーフの犯罪者はタイに逃亡中ですが、彼はいずれ「金石」とは別の扱いで登場させようと思っています。

大沢在昌氏の最新作『黒石(ヘイシ)』光文社刊
大沢在昌氏の最新作『黒石(ヘイシ)』光文社刊

僕は、ずいぶん前から新しい形の組織として、残留孤児2、3世が台頭してくると思っていました。もう暴力団を書くのも飽きたし、中国マフィアも便利屋さんみたいに使うのも嫌で、中国人でも日本人でもどちらでもない、どちらでもあるというような、ちょっと鵺(ぬえ)みたいな集団を書くのは面白いと考えていました。取材は全然していません。新聞や週刊誌に載っているネタをくっつけて、あたためていれば考えつく。特別誰かに聞いたりしないし、参考になるような本もそんなに読んでいません。いつもそんな感じで書いています。

僕は学生の頃、麻布十番に住んでいたので、その頃から六本木で遊んでいました。それ以来、いまでも六本木で飲み続けていますが、『新宿鮫』を書こうと思ったとき、僕は新宿なんて全然知らなかった。ただ、六本木を書くのは飽きたし、銀座には行くけどちょっと違う。やっぱり犯罪多発というイメージでいえば歌舞伎町だし、「面倒くさいけど、ちょっと勉強して書くか」というのが第1作目のときでした。でも、歌舞伎町には、ほとんど飲みに行ったことはないし、取材らしい取材はしなかった。別にヤクザは六本木でもさんざん見てきたし、そういう点ではことさら新宿を舞台にしても困ることはありませんでした。

暴力団、中国マフィアなど、その時代時代の組織犯罪を背景とした作品群はマンネリ化せず、いまも人気作品として読み継がれている。第1作が発表されてから年月を経て、主人公の鮫島や作家自身に変化はあったか。

第1作では、鮫島の年齢は34、5歳という設定でした。今の作品のなかでは10年くらい歳をとったことになっている。第1作のころの鮫島はまったく妥協できない人間で、相手にヤクザ者が多かったということもあり、やたら厳しく、また警察組織というものに対しても反抗的だったわけです。でも、それをずっとやっていたらバカでしょう、というのが僕の中にありました。だから鮫島にも変化はある。

作品を書くうえでも、たとえば警察用語や隠語は、第1作、2作の中でよく使ったけど、そのあと警察小説ブームがあって、みんなが使うようになったので逆に嫌になった。警察組織の官僚小説みたいなものは他にも書いている人がいるので、そこはもういいや、と。『新宿鮫』は警察小説であると同時に、鮫島本人の物語でもあるので、回を重ねるごとにどんどん彼の人間性とか、そっちの方に寄っていったというところはあります。そのように読まれていたこともあって、鮫は警察小説の中でもちょっと特殊な立ち位置にあるのかなと思う。だからヤクザもあまり出てこなくなったし、そもそもヤクザが出てきて脅す、みたいなシーンばっかり書いていてもつまらない。そういうシーンはあってもなるべく短く終わらせるというように変わってきましたね。

鮫島が長くファンに支持される魅力、理由とは

僕にはよく分からない。狙って作った人間ではないので、体制内反体制、キャリアで窓際というシチュエーションは、そもそも鮫島ひとりで捜査をするためのエクスキューズとして創作したものでした。それがこんなにも大きな支持を集める結果になったのも不思議な気がします。孤立しているけども腐らない、手を抜かないというのが鮫島の生き方です。たぶん、会社とか組織内で同じようなポジションにある多くの人が、共感をもってくださったのでしょう。

「青臭さを捨てたら鮫島が鮫島でなくなってしまう」(撮影:花井智子)
「青臭さを捨てたら鮫島が鮫島でなくなってしまう」(撮影:花井智子)

「晶」の存在については賛否両論あって、いらないって言う人と、もう一回戻してくださいと言う人と、すごく分かれる。僕としては戻すことは考えにくいのですが、鮫島に新しい恋人を作ると女性ファンは怒っちゃうだろうから。2人は喧嘩(けんか)をしてではなく、仕方なく、互いに置かれた状況によって別れていく。鮫島が警官で、晶がロッカーである限りは戻れない。晶はたぶんロッカーとして活躍しているかもしれないけど、そのあたり、次回作でチラっと書くことはあっても、すわ復縁か?それはないですね。

本作のなかにも鮫島の人間性を端的に物語る場面がある。鮫島が「金石」の要となる人物と日比谷公園で会う緊迫した状況で、「なぜそんなに犯罪者を憎むんだ?」と問われて鮫島は、「憎んでいるのではありません。世の中が公正で平等であってほしいと願っているのです。額に汗して働いた人より、犯罪に携わる人間が優雅な生活を送るなど、あってはならないと思っているのです」と答える。その人物はあきれて、「ずいぶん青臭い考えだな」と返す。

それが鮫島の原点です。青臭さを捨てたら鮫島が鮫島でなくなってしまう。警察官とは何か、鮫島は基本ということを考えている。なにかあるとそこに立ち返る。やりたかったことは何だ、今生きている理由、ここで働いている理由は何だ、というように。そこから離れて行ったら、つまらない人生になってしまうと思うんですね。迷うことは多々あるけれど、基本にもう一度戻ってみる。そういう人間がもっとも強いと思う。鮫島にはそういう人間であってほしいし、僕自身もそういう人間でありたいと思っている。それが一番、読者の支持を得ている理由であるかもしれない。日々の浮世の事情に流されていく中で、どんなに辛くても歯を食いしばる鮫島がかっこいい、おれもそういうふうに生きたいって思われているところはあるかもしれないですね。

執筆活動はどのように?

僕は、ペンテルの2Bの1.3ミリのシャーペンで、市販のコクヨの横書き400字詰めの原稿用紙を縦にして書いています。消しゴムで消せるから便利なんで、30年以上、使っています。ところがこのシャーペンが廃番になって困っています。事務所からメーカーに在庫を問い合わせてもらったけど、もうないと。いま7、8本手元にありますが、なくなったら引退ですかね。

ずいぶん昔、オアシスの親指シフトキーボードというワープロが出て、試したことがある。ところが、400字打つのに2時間くらいかかった。冗談じゃねーぞ、と。当時、僕は1時間に6、7枚は書いていて、さっさと仕事終わらせて飲みに行こうと思っていたので書くのは速かった。それでワープロはぶん投げちゃって、いまさら替える必要ないと思っています。字は汚い方ではないし、みんな読みやすいと言ってくれているのでね。

執筆時間はコロナでずいぶん変わりました。結局、飲みにも行けないし、それで酒を飲むのもやめてみました。もう30年以上、飲まない日はなかったのに、1年半、一滴も飲まなかった。いまではまた再開したけど、とにかく酒に弱くなったこともあるし、眠くなって12時前には寝ちゃう。そうすると朝7時くらいには起きる。以前は朝食を10時くらいにとって、一日の最初のタバコを一服吸って、頭が回ってきて執筆モードに入るというスタイルでした。いまはタバコもやめたので、起きてから新聞なんか読んで、それで9時から仕事を始め、だいたい11時頃には終わります。1日の執筆時間は2時間ですね。それで朝昼兼用の食事を作って食べて、30分ほど昼寝して、午後1時くらいから「今日は何しようかな」という感じ。

コロナの頃は車を運転してあちこちに出かけ、2年間で6万キロくらい走りました。100キロ圏内の「道の駅」には一人で全部行きましたね。料理を作るんで、野菜や果物、肉を買ったりした。もう行くところがなくなったので、今度はファーマーズマーケットに行ったり、美味しい肉屋を探して栃木県まで行ったりとか、北関東の地理にはめちゃくちゃ詳しくなりました。特に常磐道や東北道には強い。車で出かけるのは取材にもなるんですよ。町の感じとかロードサイドの雰囲気とか、そういうものが自然に頭に入る。

執筆量は2時間でだいたい7、8枚かな。ゴルフに行く日以外は毎日仕事をしているので、月に150~160枚にはなる。新聞、週刊誌、月刊誌の連載を抱えていて、いま新聞で90枚、週刊誌60枚、月刊誌で20枚ですから、だいたいそれで足りる。新しい連載を始めるときには机の前で呻吟(しんぎん)することが多いけど、アイデアが固まってスタートしたらトイレにも立たず、ずっと書いています。

紫綬褒章の受章

最初に話が来たのは昨年8月31日でした。午前中、例によって原稿を書いていたら、10時ぐらいに携帯にメールがあり、ひと段落したところで見たら事務所からだったのでかけ直した。すると「文化庁から連絡があって、紫綬褒章が内定したけど受けるかどうか知りたがってます」と言うから、「最初に、え!おれ?なんかの間違いじゃない」と言ったんだけど、「いや、大沢さんです。どうします?」「どうしますって、別に断る理由なんかないし」と返事をした。

「え!おれ?なんかの間違いじゃない」(撮影:花井智子)
「え!おれ?なんかの間違いじゃない」(撮影:花井智子)

それが笑っちゃうのは、「内定だからご内聞に願います」というので、それはいいんですよ。でも、それから2か月以上、何の連絡もないわけです。で、10月の最終週に文化庁からまた事務所に連絡があって、今度の閣議で決定されたらマスコミに公開しますと言われた。それまで音沙汰がなかったから「かつがれてんじゃないか」と思ったくらいです。そしたらいきなりテレビや新聞がワッと取材に来た。珍しかったんでしょうね。文化庁の担当者も、あんなにひとりの人に取材が集中するのは見たことがないと言っていたそうです。

自分は暴力団とか覚せい剤だとか、人を殺す話しか書いていない。歴史小説とか人が読んでためになる本なんて書いてこなかったので、ほんと、驚きでした。ミステリー小説を書いている人では江戸川乱歩以来の受賞だそうです。そりゃあ乱歩さんは当然だろうけど、エンタメ書いて受賞しているのは北方謙三さん、浅田次郎さんとか伊集院静さん、渡辺淳一さん、そういう人たちですよ。そういう人たちと比べたら、こっちはミステリーオンリーでやってきた人間です。そうか、おれがもらえるってことは、このあとミステリーを書いている人たちにもチャンスが増えるってことだから、そのつなぎ役になれたらいいなと思いました。大沢在昌だってもらえたのだから、自分ももらえるかもと思った作家はたくさんいるのじゃないかな。

余談になるが、私が長くお付き合いいただいている大沢氏は、たいへん無邪気な人で、しかし、損得よりも筋を通す兄貴肌である。私には、鮫島の生き方とずいぶん重なって見える。それは、このインタビューの言葉の端々からもうかがえると思う。

バナー写真:インタビューに応える作家の大沢在昌氏、ニッポンドットコムにて(撮影:花井智子)

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