初の時代小説に挑んだ伊集院静氏が語る「武士道」と「騎士道」

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大石内蔵助良雄(くらのすけよしたか)の生涯を描いた『いとまの雪 新説忠臣蔵 ひとりの家老の生涯』が文庫化された。著者の伊集院静氏は11月24日、死去。若い人に読んでもらいたいという生前の伊集院氏の要望でタイトルも新たに『48 KNIGHTS(フォーティエイト・ナイツ)』(光文社文庫)と改題されている。忠臣蔵の「武士道」と西欧の「騎士道」には共通するものがあるという。4月に行ったインタビューを再公開する。

伊集院 静 IJŪIN Shizuka

1950年山口県防府市生まれ。1981年『小説現代』誌上に『皐月』を発表し、文壇にデビュー。1992年『受け月』で直木賞受賞、2014年『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』で第18回司馬遼太郎賞受賞。また1987年『愚か者』の作詞により、日本レコード大賞を受賞。2016年秋の紫綬褒章受章。エッセイ『美の旅人』シリーズ、『大人の流儀』シリーズの他、長編小説『お父やんとオジさん』、『いねむり先生』、『琥珀の夢』『いとまの雪』『ミチクサ先生』等がある。

優れた時代小説には「反骨精神」

『いとまの雪』は、日経新聞に好評連載された後、3年前に単行本として刊行された、著者による初の時代小説である。そこから文庫化にあたって、大胆にタイトルが変更された。どのような意図があったのか。

われわれの世代では、毎年暮れになると「忠臣蔵」があった。いまでも歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』は人気があるし、日本人なら誰もがこの仇討ちの物語を知っていると思っていたのですが、3年前に『いとまの雪』を出したときに、若い人の大半が知らないことがわかった。「何それ?」と聞かれることもあるので、これは日本人としてまずいのではないかと考えた。

その一方で、イギリス人やフランス人、アメリカ人でも特に東海岸で暮らす人たちから、「忠臣蔵」を絶賛する声を聞きました。これは東洋一の騎士道精神で、王に対する家臣の忠誠心を端的に表しているのではないか。王のために死ぬという騎士道精神と武士道とは共通している。イギリスだったらアーサー王と円卓の騎士がある。騎士たちは円卓に並んで、王の前で剣を差し出す。それは何を意味しているかというと、あの刃は自分たちに向けられたもので、王のために自分たちは死ぬ覚悟があるという、その誓いの儀式であるわけです。だから、彼らは、サムライの死生観はもっと称賛されてしかるべきではないかというのです。

新装『48 KNIGHTS』
新装『48 KNIGHTS』

それならば、若い人にもっと「忠臣蔵」を読んでもらうためにはどうすればよいか。私はこれまで100冊以上の文庫を出してきましたが、同じタイトルで出すのではなく、もう少し工夫できないものかと思っていました。『いとまの雪』というタイトルは、作中にある軍学者・山鹿素行(やまがそこう)が大石内蔵助良雄に宛てた手紙の中にある一節「生きるは束の間、死ぬはしばしのいとまなり」からとったものでした。これは私の創作した文章であるわけですが、この言葉がこの小説の根にあるものです。しかし、もう『いとまの雪』とか『忠臣蔵』というタイトルでは、作品のひろがりが望めないし、若い人の反応も少ないのではないか。いまの若い人たちは、横文字を受け入れ易いところがあるのではないだろうか。それならば、文庫化にあたっては騎士(KNIGHT)と合わせてみたらどうだろうかと考えたわけです。

もうひとつ、タイトルについて言えば、吉良邸の討ち入りは内蔵助をはじめ47人の志士によって決行された。だから赤穂47士とかいうわけですが、私の新説忠臣蔵では、討ち入りには参加しなかったけれど、陰になって彼らを支えた忠臣として、もう一人の重要人物を描いています。これを加えて48人、だから『48 KNIGHTS』としたわけです。

これまで伊集院氏は現代物の恋愛小説や、近年では正岡子規、夏目漱石の評伝的小説で好評を博し、また週刊誌連載の人気エッセイ『大人の流儀』シリーズが息の長いベストセラーになっている。初めて時代小説を手掛けたきっかけは何だったのか。

ひとつには、当時、古希を迎えるので新しいことをやろうと考えた。それで、今までは私自身が読者として楽しんできた時代小説を初めて書いてみようと思った。私が好んで読む時代小説とは、例えば山本周五郎の『樅ノ木は残った』や藤沢周平の『蝉しぐれ』など、全部、反骨の物語なんですね。優れた時代小説には共通して「反骨精神」がある。だから、じっと耐え抜く、気骨ある男の生き方を描きたいと思ったのです。耐えて、最後の最後に反逆していく。そういう意味では「忠臣蔵」は一番いい題材で、挑んでみる甲斐(かい)はあるのではないかと思いました。

「じっと耐え抜く、気骨ある男の生き方を描きたい」(撮影・太田真三氏)
「じっと耐え抜く、気骨ある男の生き方を描きたい」(撮影・太田真三氏)

内蔵助のそばに魅力ある人物

これまで忠臣蔵にまつわる物語は、吉川英治、大佛次郎、五味康祐、池波正太郎ら名だたる作家が趣向を凝らして書きつづってきた。伊集院版忠臣蔵は、史実に則した正統派の時代小説であるが、著者は新しい解釈によって内蔵助の生涯を豊潤な物語として書き上げている。むろん、吉良邸討ち入りにいたる場面は迫真の描写力で、従来の忠臣蔵ファンをも十分満足させる作品である。

忠臣蔵の多くは、元禄14年、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)を城内で斬りつけた刃傷(にんじょう)「松の廊下」をきっかけとして、浅野家の取り潰しにつながったとある。しかし私の作品では、その数年前に起こった稲葉石見守正休(まさやす)の刃傷沙汰から説き起こしています。これで稲葉家は滅びるわけですが、「忠臣蔵」にいたるその背景には、そもそも財政難に陥った幕府による大名の転封改易(てんぽうかいえき)の陰謀があった。そして浅野藩に寄寓(きぐう)していた軍学者の山鹿素行が死の間際、内蔵助に手紙を託し、こうした幕府の陰謀に触れ、赤穂藩に忠告している。それが浅野内匠頭の事件につながっていくとしています。

伊集院版忠臣蔵では、内蔵助の心の支えとなった愛妾の「かん」、手足となって諸国を探索する密偵の「仁助」、親友となる石清水八幡の住職など、著者は新たな登場人物を創造し、物語に深みを加えている。住職は「切れ者」と評判の立つようになった内蔵助に、仇討ちを成就するためには「昼行灯(ひるあんどん)」のように「無用の長物」になれと知恵をつける。

過去の小説や映像化された作品を見ると、忠臣蔵を読ませるものにしようと思ったら、内蔵助のそばに魅力ある人物を作り出さないとならない。それが「かん」や「仁助」、石清水八幡の住職となるわけです。物語の最初に、徳川光圀が若き日の内蔵助と初めて会ったときに、「あの面容は、信義のためなら東照大権現にも弓を引くほどの肝をもっておる」と語りますが、内蔵助の将来を暗示する場面として書いた。山鹿素行に関しては、史実に基づいて創作しています。内蔵助は、素行から「君なくば臣ならず、『忠義』なくば臣ならず」と学んでいる。それが「忠臣蔵」の武士道の基本にあると思います。

文庫のタイトルになった48番目の志士とは、浅野藩次席家老の大野九郎兵衛(くろべえ)のことである。通説では、大野は赤穂の城の明け渡しに際し、逃亡した裏切り者として扱われてきた。

この作品の新聞連載を始めるときに、時代考証をやっている大学の歴史学の教授に話を聞いたんですね。そのときに、教授が「大野九郎兵衛は赤穂ではずっと嫌われてきた。これを救ってやったら、ほんとに救いになりますね」と言われた。だったら、彼を私の作品で救ってみたいと思ったのです。私の忠臣蔵で、従来の作品ともっとも異なるのは、この大野九郎兵衛の位置づけであると思う。裏切り者の汚名を着ることになっても、内蔵助を物心両面にわたって陰で支えていく人物として描いています。もうひとり、47人のうち討ち入り後に脱走したとされる寺坂吉右衛門についても、内蔵助の密命によって隊を離れたとしています。こうした彼らの生き方もまた、忠臣であり武士道であると書きたかった。

連載にあたって、彼らのお墓がある泉岳寺にお参りに行きました。並んでいる墓の下に彼らの亡骸(なきがら)があるかと思うと、これだけまとめて大勢の人間が忠誠心のために死んでいく。そういう物語は世界にあまり例がないだろうと思った。お家の取り潰しが決まり、内蔵助は家臣を前にして「君、辱めを受ければ、すなわち臣死す」と語ったと書きました。自分たちの殿が切腹させられたとき、大石は自分も死んだも同然と考え、その後の行動を取った。その気骨があったから、幕府は小さな藩といっても、赤穂を粗雑に扱えなかった。英国の騎士道にも通ずる不撓不屈(ふとうふくつ)の精神は、小さな国の生き方を示していると思う。耐えると決めたら、とことん耐える。そういう人たちがいたのが日本の国だということを、若い人にも知ってもらいたいと思います。

バナー写真:インタビューに答える伊集院静氏(撮影・太田真三氏)

書評 本・書籍 伊集院静 武士道 騎士道 忠臣蔵 大石内蔵助