歌舞伎町で「妊娠SOS」活動10年:居場所のない若年女性に寄り添い続ける佐藤初美さん
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週末夜に続くパトロール
6月下旬の金曜日午後9時、“眠らない街”歌舞伎町の歓楽街。この界隈で「新宿のサトばあ」として一目置かれる佐藤さんは、仲間とともにこの日1回目のパトロールに出た。自身の名刺に書かれた肩書は「認定NPO法人10代・20代の妊娠SOS新宿―キッズ&ファミリー理事長」。しかし、その見た目は夜の歌舞伎町にいそうもない「市井の人」だ。
大久保公園や近くのラブホテル周辺の路上で客引きに立つ10代の女性に近寄り、「リップクリームやウエットティッシュ、美容マスクとかあるよ。もらってくれない?」と一人ひとりに声をかける。受け取る子は半数ぐらい。無理強いは決してしない。品物には、NPO 法人の相談窓口が書かれたカードがついており「このカードは捨てないで持っていてね。何か困ったことがあったら連絡して」と伝える。
顔見知りの女性に会うと、少しの間話し込むこともある。「知り合いの〇子ちゃん、最近どうしてる?もし見かけたら、サトばあに連絡するように言ってほしい」というやり取りもあった。

週末夜の「パトロール」で女性らに声を掛ける佐藤初美さん(「妊娠SOS新宿」提供)

パトロールで女性たちに配る連絡カード付きの品物 © nippon.com
パトロールのある金曜、土曜の夜は、地元自治会の厚意で借りた集会所の一室を開放し、スタッフの社会福祉士らが対応する「夜間相談所」を開く。ここはカップ麺やお菓子などが食べられる「困った際の休憩所、避難所」の機能も備える。東京都は昨年、歌舞伎町における若者向け総合相談窓口として「きみまも」を開設したが、夜間相談所はそのパイロット的な活動とも言える。
コロナで一変した歌舞伎町の様相
ゴジラの頭を忠実に再現した“ゴジラヘッド”が目を引く新宿東宝ビル。周辺に行き場のない若者らが集まり、「トー横キッズ」と呼ばれたのが2019年のこと。当時はそれほど目立たなかった大久保公園周辺の女性が、なぜ今のように若年化が進んだのか。佐藤さんは「2020年からのコロナ禍で、歌舞伎町は全く様相が変わった」と話す。

夜の歌舞伎町一番街=2025年6月 © nippon.com
「60店舗あったホストクラブが、23年ごろには330店舗にまで拡大した。これは、コロナ禍で飲食店が次々とつぶれ、安くなったテナント料を目当てにホストらが独立・起業していった結果です。当然、過当競争になり、これまでのお金持ちの客層とは違う若い女性がターゲットにされた。最初は低料金で店に誘い、次は『売掛金』を立て替え、その返済のために売春を強要していく強引なやり方です」
「今年に入って徐々にホストクラブが減り、『メン地下アイドル』のライブハウスに切り替わっていますが、構造は同じ。やさしい言葉をかけて、依存関係を築くのが男たちの狙いです」
一部のメディアは、大久保公園に立つ女性たちに「ホスト狂い」とレッテルを貼り、普通の生活の延長線上にある“推し活”が行き過ぎて身を崩したというストーリーを打ち出す。しかし、佐藤さんは、この見立てを「実態とかけ離れている」と断じる。「私たちの相談窓口にたどり着く女性の9割は、幼少期からひどい虐待を受け、存在を否定されて育っている。孤独の恐怖を身に染みて体験し、『いつ人生が終わってもいい』とまで感じながら、歌舞伎町にやってくる。そんな身の上だから、ホストからやさしい言葉を掛けられ、頼られると心を動かしてしまうのです。帰る場所がある人はどこかで気が付き、引き返していきます」

新宿東宝ビル東側の小路。アイラブ歌舞伎町の大きなネオンが目を引く=2025年6月 © nippon.com
保育士から請われて相談員に
佐藤さんは1975年、新宿区の職員となり、保育士として34年間保育園で勤務した。当初から家庭に問題を抱える園児の存在が気になり対応していたが、2001年に児童相談所の児童福祉司や都内の保育士らと「保育と虐待対応事例研究会」を立ち上げ、研さんを重ねた。
「保育士は天職。現場からは絶対離れない」と思っていたが、2009年に転機が訪れる。新宿区の子ども家庭支援センターが1カ所から3カ所に拡充されることになり、請われて虐待対応を担当する相談員となった。重い精神疾患や発達障害の親を持つ家庭・子どもを担当したが、子どもが18歳を境に(児童福祉法の)支援の対象外となる「18歳の壁」に複雑な思いを感じていたという。
幼いころから虐待を受け、親から十分な愛情を受けられなかった子どもは、なぜ社会と折り合いをつけるのが困難なのか。佐藤さんはこう言う。「保育園の頃はまだいい。先生も割と丁寧に目を配るし、子どももまだ小さいのではっきりと大人に意思表示する。けれども、小学校に入るとついていけなくなる。親が就学準備を手伝うことも、家庭学習の習慣づけをすることもないので、それは仕方がないことです。小学校では、先生は忙しすぎて十分な対応ができない。子どもは突如、厳しい世界に放り込まれるのです」
「入学してすぐに先生は『あしたのもちものは…』と板書して、児童らに連絡する。この時点で、読み書きのできない子は落ちこぼれてしまう。しばらくすると、クラスメートも見る目が変わってきて、いじめとは言えない程度でも対応が違ってくる。誕生日会に呼ばれないとか、これは子どもにとって非常につらいこと。どんどん自己肯定感を失って、家庭にも学校にも居場所がなくなり、新宿区なら歩いても行ける歌舞伎町に小学校高学年でデビューする、そんな例をいくつも見ています」
2015年、佐藤さんは区を退職。16年に精神保健福祉士、社会福祉士の資格を取得し、現在のNPO法人を設立する。行政の枠を離れ、いざという時に24時間「SOS」を受けて対応できる体制を作りたいという思いからだ。「子どもたちが言うには、最も気持ちがつらくて『死にたい』と感じるのは家族が寝静まった深夜が多いのだと。しかし、公務員ではその時間には対応できない。支援体制が、子どもたちの実態とかみ合っていないと感じていた。また、相談員としてかかわっていた子どもたちが、にっちもさっちもいかなくなるのが妊娠の問題だった」。そこで、支援の対象を11歳から24歳までの女性とし、「望まない妊娠」「予期せぬ妊娠」に直面した際の悩み、課題の解決に全面的に寄り添う活動が始まった。
支援の窓口をできるだけ多く
新規相談は、電話かメールで受ける。「妊娠したかもしれない」「相談できる人が誰もいない」と不安を抱える女性らは、迷いに迷った末にSOSを発してくるため、対面での面談を拒否するケースはほとんどないという。
組織の基本方針として、「支援者を抱え込まず、必要な行政支援を受けられるようになるべく多くの関係機関につなげる」ことを大切にしている。このため、病院や自治体の福祉・健康保険の窓口、保健センターなどに本人と同行し、必要な手続きを確実に進めることが支援の最初の一歩となる。
経済的に困窮し、住まいや出産費用もない場合は、生活保護や生活困窮者自立支援法に関わる行政部局にもつなぐ。場合によってはNPO法人が自ら所有するシェルターで、一時保護する場合もある。支援者が望めば、LINEやショートメール、電話を通じ、NPO法人のスタッフと24時間連絡が可能だ。「相談者が支援を受けることができる窓口をなるべく多くし、たくさんの人とつながって生活する。『他人に頼っていいんだ』と、心を開いてもらうことはとても大事です」。佐藤さんらの奮闘は続く。
【佐藤初美さんの活動情報】
- 認定特定非営利活動法人 10代・20代の妊娠SOS新宿―キッズ&ファミリー
同団体は、国や東京都から一切の資金援助を受けておらず、寄付金と法人が行う講演などの謝礼金を土台に、一年ごとに申請して獲得する各種の助成金により運営している。
取材・執筆:石井雅仁(nippon.com編集部)
バナー写真:女性たちに配る品物をバッグに詰め、パトロールに向かう佐藤初美さん(中央) © nippon.com