銭湯で日常の「旅」を楽しむ

銭湯絵師という仕事-田中みずき

文化 暮らし

銭湯にある大きなペンキ絵を描く絵師は、全国でわずか3人。唯一の若手として伝統を将来につなげる役割を担うのは、大学で美術史を専攻してこの世界に魅せられた女性だ。

田中 みずき TANAKA Mizuki

1983年大阪生まれの東京育ち。明治学院大学で美術史を専攻。在学中の2004年に銭湯ペンキ絵師の中島盛夫さんに弟子入りして修行を始め、2013年に独立。同年、便利屋を営む駒村佳和さんと結婚。現場では、駒村さんに足場を組んでもらうなど2人で協力して仕事をする。現在は銭湯をはじめ、個人宅、店舗や介護施設など全国各地のさまざまな場所でペンキ絵を制作。銭湯の魅力を伝える活動にも力を入れている。ブログ「銭湯ペンキ絵師見習い日記」を逐次更新中。

集中力と体力が勝負

銭湯と聞いて、ノスタルジーを感じる中高年の日本人は多い。かつて毎日のように近所の銭湯に通うのが日常の一部だった記憶があるからだ。1960年代半ば以降各家庭への内風呂の普及が進み、68年の1万8千軒をピークに銭湯の数は年々減少して、現在では2625軒(2016年4月全国浴場組合調べ)。銭湯と言えば、湯船の上に裾野を広げる富士山のペンキ絵が目に浮かぶが、かつては数十人いた銭湯絵師も、今は3人しかいない。最長老の丸山清人さん(81歳)、昨年11月、国が卓越した技能者を認定する「現代の名工」の1人に選出された中島盛夫さん(71歳)、そして唯一の若手、30代の田中みずきさんだ。

1月のある日、田中さんは東京都江戸川区葛西の「仲の湯」で朝8時ごろから女湯の湯船に足場を組み、ペンキ絵の作業に取り掛かっていた。銭湯の定休日に丸1日かけて女湯、男湯の絵を仕上げる予定だ。絵の大きさは、幅約6メートル、(湯船からの)高さ3メートルほど。はしごをかけて、天井付近の空から塗っていく。

ペンキは油性の外壁用ペンキを使用。三原色の黄・赤・青と白を調合してさまざまな色を作り出す

ペンキ絵の剥がれた箇所を削り取り、空色から塗っていく。はしごの上にいるのは、田中みずきさんのパートナーで、便利屋を営む駒村佳和さん

元の絵にローラーでペンキを塗り重ねていく

葉や茂みの細かい表情も刷毛(はけ)で表現する

刷毛を入れるごとに松の木が生き生きと見えてくる

女湯側を一通り終えて、男湯側を仕上げていく

作業は1時間ほどの昼休みを挟んで午後9時近くまで続いた

仲の湯で以前ペンキ絵を担当した故・早川利光さんが描いたのは、青々とした鮮やかな富士山だった。ペンキ絵は劣化するので、数年ごとに古い絵の上に新しい絵を塗り重ねていくことが多い。その際、同じ富士山でも、右、左の位置をずらしたり、色味を変えて赤富士にしたりなど、前とは異なる絵にすることが鉄則だそうだ。男湯、女湯ではそれぞれ絵の風景も違う。

田中さんの作業は、現在ある絵のペンキの剥げた部分を削り取るところから始まる。そして空、雲、前景、遠景、富士山と、バランスを見ながら刷毛(はけ)を重ねて仕上げていく。細かさと大胆さ、集中力、そして体力が必要な仕事だ。女湯側を描き終えると、男湯側に移動。ようやく絵が完成したのは夜の9時近くだった。前の絵と比べると、色調の柔らかい、優しい富士山の光景だ。

完成した田中さんの富士山は、見る人をホッとさせる優しさがある

空ばかり塗った修業時代

明治学院大学で美術史を専攻した田中さんは、子ども時代に銭湯に通った経験はない。一体なぜペンキ絵師になったのか。

現代美術に興味があり、アーティストでは、日本の美術史や日常の光景を斬新な視点で捉える、福田美蘭や束芋が好きだった。この2人の銭湯をモチーフにした作品に興味を持ち、それがきっかけで大学時代に初めて銭湯に行った。湯船につかりながらぼんやりと眺めるペンキ絵は空間に奥行きを与え、日常を離れた「旅」にいざなってくれる。その不思議な魅力に引かれたと言う。

頼まれれば、個人宅の浴室にペンキ絵を描くことも。数年前、かつて日本に住んでいた英国人夫婦からの注文を受けてロンドンまで出張した。その家の浴室に、夫婦がかつて住んでいた神奈川県藤沢市のランドマーク、江の島を描いたそうだ

「銭湯には日常の時間とは違う時間が流れています。古い銭湯のお寺のような建物の中に入った瞬間、違う空間に来た感覚がある。湯船に入って富士山をぼんやり眺めていると、思いがけない記憶がふっと心に浮かんだりします。地元の常連さんから、『あなた見ないけどどこから来たの?』『背が高いね、身長いくつかね』と話し掛けられたり…。その一瞬だけの面白い出会いがあって、たった30分ぐらいなのに旅人になったような気分になれるんです」

その後、ペンキ絵のことを調べ始め、卒論は銭湯絵の歴史をテーマにした。建物の老朽化や後継ぎがいないなどの事情で銭湯が次々に廃業していく中、ペンキ絵の職人も減り、高齢化していることを知って「100年後には、この文化が失われてしまう」と危機感を覚えた。「若い人でペンキ絵を描いている人がいないなら、自分で習って描いてしまうのが早い、自分が技をつなごう」と思ったそうだ。そして、中島盛夫さんに弟子入りを志願、2004年に絵師としての修業が始まった。

修業は楽ではなかったが、師匠の中島さんの仕事ぶりを見ているだけで面白かった。「1日で大画面の絵がどんどん変わっていく様子にカタルシスを感じました」。弟子入りして数年間は、空ばかり描く日々が続いた。師匠はサッと難なく塗っているように見えるが、実際は絵を描く壁に凹凸があったり、穴が開いていたりして、むらにならないように1色で塗るのは技術を要する。この段階で、まずペンキの扱い方を学んだ。

空に浮かぶ、自然な雲の揺らぎを表現するのも簡単ではない。初めはひたすら白で塗り、形も単純にしか描けず、師匠に「それは雲じゃない」と言われた。グラデーションや色味に工夫を重ねることで、徐々に腕を上げていった。

富士山から『シン・ゴジラ』まで

何と言っても一番苦心するのは富士山で、稜線の描き方に気を使う。「葛飾北斎のように、富士山を描くときには傾斜が急な険しい山にしている場合が多いですが、実際は、あそこまで急ではありません。描くときは、見ていて気持ちのいいなだらかな富士山を描くことを心がけます」

参考にするのは、絵はがき、旅行会社のパンフレットだ。「一般の人にとっての富士山はどう見えるのかを探る作業です。皆にとっての記憶の中の富士山の集積と言えるかもしれません」。目指すのは、誰にとってもどこか懐かしい富士山だ。銭湯のペンキ絵には桜や紅葉など季節を限定する風物は描かない。夕日もだめで、常に明るい昼の光景にするのが習わしだ。

田中さんによると、銭湯絵に富士山が多いのは東京や神奈川、埼玉県を中心とする関東圏。明治時代、浅草では巨大な富士山型の見晴台、神田錦町では汽車から眺めた富士山を描いたパノラマ絵の見世物が人気を呼ぶなど、「大きな富士山模型をみんなで楽しむ風習」があり、銭湯の富士山もそのなごりではないかと言う。関東以外の地域ではペンキ絵がなく、モザイクタイルや白塗りの木の壁だけという銭湯も多いそうだ。

独り立ちしたのは2013年。職人としてはまだまだ課題が多いと言う。「細かく描いてしまう性格なので…。ベテランの職人は力を入れるところは入れ、抜くところは抜いて、手早く描きます。もっと早く仕上げるようにしないと」

最近では、さまざまな宣伝目的で新たに銭湯絵を活用する動きも出てきた。大田区西蒲田にある「大田黒湯温泉第二日の出湯」では昨年、4カ月間の限定で田中さんが描いたゴジラのペンキ絵が登場。大ヒットした映画『シン・ゴジラ』がモチーフだった。

「蒲田で大規模なロケが行われたので、これを機会に地域をアピールしたいと、大田区から頼まれた」と言う。絵の左側には蒲田駅前の商店街、駅前ビルの観覧車や池上本門寺、右側には羽田空港と多摩川、その向こうに富士山を望むという構図だった。プロモーション期間が終わると、田中さんはこの絵の上に新たに富士山の絵を描いた。

「大田黒湯温泉第二日の出湯」の「ゴジラ 湯」。2016年7月から11月初旬までの期間限定で、壁面に田中さんが描いたゴジラが登場した TM&©TOHO CO.,LTD.

情報発信で銭湯の未来を開く

銭湯はまだしばらく淘汰(とうた)が続くだろうが、田中さんは、「銭湯が滅びることはない」と断言する。銭湯を愛する事業主や文化人が、その魅力を広めるためにさまざまなイベントを実施するようになった。田中さんも子どもたちと銭湯で絵を描くワークショップやライブペインティングのイベントを通して、広報活動に一役買っている。

20代の若者の間でも、銭湯は「古くさい場所」のイメージから「レトロで雰囲気のある場所」として再評価されつつあり、SNSで銭湯関連のイベントの情報を共有する動きもあるそうだ。2015 年には30代の銭湯好きのウェブ制作デザイナーが若い人に向けた情報発信のための「東京銭湯 – TOKYO SENTO -」を立ち上げ、順調に閲覧を伸ばしている。また、同サイトの運営だけではなく、昨年4月には1950年代から営業していた埼玉県川口市の「喜楽湯」の経営を引き継いだ。現場では20代の若い「番頭」が接客をしている。

こうした新たな動きはあるが、銭湯に興味を持ってもらうための情報発信はまだ十分ではないと田中さんは言う。海外からの観光客にも、銭湯の魅力を伝えたい。外国人には銭湯の入り方を多言語で説明したポスターや「指さし案内マニュアル」、動画による入り方ガイドなど、さまざまな試みはあるが、多言語サイトでの情報発信や銭湯訪問を組み込んだツアーなど、さらなる工夫ができるはずだ。「日本に来たら銭湯に行こう、と外国の方が思ってくれるようにしたいですね」

取材・文=板倉 君枝(ニッポンドットコム編集部) 撮影=大久保 惠造

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