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特集 日本最大の離島、佐渡へ行こう!
佐渡に移住した若夫婦:古民家民宿で島の魅力を伝える
[2018.01.26]

東日本大震災を契機に、東京から佐渡に幼子を抱えて移住した夫婦がいる。この島で、江戸時代に建てられた由緒ある古民家を改修し、民宿を始めた。若い2人は、自然に囲まれ、真の豊かさを享受しながら、佐渡の魅力を島内外に伝えている。

震災を機に脱東京を目指す

日本海に浮かぶ本州最大の島、佐渡。この島の中央部に位置する平野に、築200年以上の古民家を改修した農家民宿が佇(たたず)んでいる。黒い柱とオレンジ色の外壁がひときわ目を引く。田んぼや林、川に囲まれた敷地内には、かつて米を貯蔵していた蔵や味噌蔵(みそぐら)だった建物などが今も残されている。

築200年以上の茅葺き屋根の民家が、「カールベンクス古民家民宿YOSABEI」として蘇った。敷地内には今は使われていない道具蔵もある

この地で2016年5月から1日1組限定の民宿を始めたのが、東京都新宿区から「Iターン」した仲塚雄輝さん(31)と周子さん(30)夫妻だ。法政大学の同じゼミで知り合い、結婚後、東京で共働きをしていたところ、11年3月11日の東日本大震災に遭遇。これが一つの転機となって、東京を離れることを決めたという。

「都心の機能のもろさに愕然(がくぜん)とした」という雄輝さん。日本の観測史上、最大規模の地震により、あの日、都心の交通機関は完全に麻痺(まひ)した。仲塚夫妻は、それぞれの職場から5時間以上かけて徒歩で帰宅した。

さらに追い打ちを掛けるようにして東京電力福島第一原発事故が発生。放射性物質の拡散への恐怖、電力供給不足に伴う計画停電、物流ネットワーク寸断による物不足を経験した。妻の周子さんは、お米をペットボトルの水でとぐなど、「東京では安心した食生活すら確保できない」と、不安を覚えたという。

ちょうどその頃、周子さんの祖父が01年まで暮らし、その後は空き家になっていた佐渡の家の取り壊しの話が持ち上がる。床は抜け落ち、戸は開かず、雨漏りもしていたので、解体を勧める人が多かった。しかし、新潟市出身の周子さんは、「子供の頃、祖父母に会いに何度も海を渡って遊びに行っていた場所だけに、残したいという気持ちに駆られました」と、当時を振り返る。

ドイツ人建築家との出会い

佐渡の家の改修を模索し始めた頃、雄輝さんが図書館で見つけたのが、全国で古民家を再生させているドイツ人建築デザイナーのカール・ベンクス氏を紹介した本だった。ベンクス氏自身、新潟県十日町市の小さな集落で再生させた古民家に住んでいると知った仲塚夫妻は、同市内にあるベンクス事務所を訪れ、改修を依頼した。

限られた予算だったが、「若い2人が、先祖代々のものを大切にしたいという心意気にほだされました」と語るベンクス氏。「古材はできる限り、切らず、捨てず」というモットーのもと、内部構造を「吹き抜け」にして、天井裏に隠されていた骨組みをそのまま大胆に残して見せるようにデザインした。

再生古民家のダイナミックな柱や梁。天井を見上げる先祖代々の息づかいが感じられるような空間だ

「天井を縦横無尽に走る太い柱や梁(はり)は、アテビといわれる佐渡特産の木や、地元で育った栗や、松、杉が使われていた」と教わった周子さんは、古民家の再生を通じて佐渡への思いがどんどん強くなったという。

仲塚夫妻たっての希望で、デザインを依頼したカール・ベンクス事務所と同じ色の外壁に

子育てに理想的な環境

移住の決め手となったのは、家の改修工事中の2014年に長女の木春ちゃんが誕生したことだ。待機児童数ゼロの佐渡に比べて、「都内では保育園を探すのも大変です」と周子さん。フルタイムで共働きをしていた仲塚夫妻にとって、木春ちゃんを保育園に入れられるかどうかは、死活問題だった。

周子さんが育児に奮闘している間、雄輝さんは東京から一人で佐渡入りし、家の内装に取り組んでいた。漆喰(しっくい)とベンガラを練って、壁の塗装作業を続けていた時に地元の人から「新潟交通佐渡で働かないか」と声を掛けられた。「渡りに船」と、入社を決めたという。家の完成を待たずして、偶然にも雄輝さんが佐渡で就職先を見つけたのも、Iターンの実現を加速させた。

もともと震災前から、漠然と田舎暮らしを考えていたという雄輝さん。08年にリーマン・ショックが起きた際、人材派遣会社パソナでリストラを請け負う仕事に従事しており、「都心だからといって安定した職があるわけではない」と痛感していたからだ。

「佐渡へIターンすることにした」と、雄輝さんが当時勤めていた会社の同僚や友人たち、埼玉県に住む両親に話すと、「どうして、そんな危ない橋を渡るのか?」と驚かれたという。しかし移住を選択する方が「安全な橋」だったと、雄輝さんは断言する。

佐渡島は、東京23区の1.4倍の面積で、そこに6万人弱が暮らしている。保育園、学校、病院数は、人口比で東京よりもはるかに多い。もちろん新鮮な魚介類や野菜、米にも恵まれている。

佐渡市役所によると、佐渡への移住者は東日本大震災の翌年度には、前年の約2倍の22人。それ以降も移住者は毎年増え続け、16年度には86名を記録したという。現在、市役所の地域振興課内には、「佐渡UIターン」希望者向けの専用サポートセンターも設置され、移住に関する情報提供も行われている。

島内外の人々が集う場に

「佐渡Iターン」組の中でも、仲塚一家は恵まれたケースかもしれない。周子さんの祖父母が、地元の大地主・庄屋(しょうや)だったため、10年以上の空き家とはいえ、継承する建物や土地もあった。そして何よりも、全くのよそ者ではなく、近隣の住人からも「お孫さんが来てくれた」と歓迎してもらえた。

仲塚夫妻は、地元への恩返しの意味もこめて、近所の人々が気軽に集まれるように、昨年から毎週火・水曜日に民宿でカフェを開いている。その他にも要請があれば、お茶会、演奏会、アトリエなどを開催するスペースとして貸し出している。

もちろん、当初の計画通り、島外からやってくる宿泊客には「佐渡の魅力」を伝え、移住希望者には「移住コンシェルジュ」として各種相談にも乗っている。

三方に窓がある2階のゲストルームは、採光、通風ともに良好だ

仲塚夫妻が営む「カールベンクス古民家民宿YOSABEI」に泊まった翌朝、周子さんが朝食を作ってくれた。かむほどに甘みを感じる佐渡米、敷地内の畑で夫妻が育てた新鮮な野菜やハーブをふんだんに使った料理が並んだ。雄輝さんも木春ちゃんと遊んだ後に車で保育園へ送ってから出勤。都心では得られない、ゆったりと流れる豊かな時間。

「もう一度古民家を再生させたいかと聞かれたら、体力的な限界もあるので考えさせてくれと答えるかもしれません。でも思い切って佐渡へ移住して、大正解でした」と言う雄輝さん。周子さんも、「人とのつながりを大切にしながら、自然の恵みを島内外の人たちと分かち合っていきたいです」と語ってくれた。

取材・文=川勝 美樹
写真撮影=中川 晃輔

バナー写真=「カールベンクス古民家民宿YOSABEI」で出迎えてくれた仲塚一家

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  • [2018.01.26]
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