台湾の116選挙の読み方
——戦後台湾と東アジアの将来の岐路に立つ蔡英文・新政権

川島 真【Profile】

[2016.02.02] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 |

民進党の勝因、国民党の敗因

2016年1月16日、台湾で総統選挙と立法委員(国会議員に相当)選挙が実施された。これによって、民進党の蔡英文候補が総統に選出され、立法委員選挙では、過半数の57議席を越える68議席を民進党が獲得することになった。親民党の宋楚瑜候補と国民党の朱立倫候補の得票数を合わせても、蔡候補の得票数に及ばなかった。また総統選挙だけでなく立法委員でも民進党の圧勝であった。これまで民進党が総統選で勝利したことはあるが(2000年、2004年)、そのときには立法院で国民党が多数を占めていた。そうした意味では、今回の選挙において、はじめて民進党が完全勝利をおさめたということになろう。

民進党の勝因は、蔡英文候補が2012年の敗北を踏まえ、弱点を克服し、この数年間、安定的かつ適切なパフォーマンスを続けたこと、また中国との関係においても、「現状維持」という語を用いて切り抜けたこと、などによる。副総統の人選においても、また立法委員選挙での比例代表のリストの序列などでも、有権者の肯定的な評価を得ていた。

他方、国民党側の馬英九総統による失政、選挙に向けての朱立倫陣営の失点もまた、蔡英文候補の当選を大きく後押しした。馬総統の任期中、とりわけ牛肉問題や油問題、災害などでの馬政権のリーダーシップの問題、またガバナンス形成の面での失政など、国民の信頼が失われるような事態が相次いで発生していた。そこには、2014年3月のひまわり学生運動なども含まれる。無論、馬政権の中国との距離感への危惧もあったろう。

だが、馬政権への、あるいは国民党政権に厳しい目線が向けられた要因として忘れてはならないのは、経済である。2008年、2012年の総統選挙で馬英九総統を当選させた「経済」という点であったとも言える。経済成長著しい中国との関係を良好に保ち、中国の発展を梃子にして台湾経済を好転させようとした馬政権は、中国との経済関係を緊密に保ち、一定程度台湾の経済を良好に導いたが、ここ数年、台湾経済は一定の成長を見せていたものの、少なくとも有権者を満足させる状況にはなっていなかったということだろう。

また、この選挙に至るプロセスにおいても、国民党は失点を重ねた面がある。総統選挙の候補者を絞りきれなかったこと、やっと出馬を決断した朱立倫候補が選んだ副総統候補にもスキャンダルが発生したこと、そして朱候補の党内基盤が弱かったために、立法委員選挙の比例代表名簿が党内各派の長老への配慮がそのまま表れるかたちになったことも、否定的な評価につながった。そして、投票直前にあった、周子瑜というタレントの「謝罪事件」もまた民進党の得票の押し上げ要因になったとされる。

周が掲げた中華民国国旗が中国で「台湾独立」だと認識されたことは、馬英九の主張している両岸関係の基本政策を根本的に否定するものと、特に若い有権者に捉えられたのだろう。つまり、「92年コンセンサス」の「ひとつの中国」を、中華人民共和国と中華民国と両岸それぞれが読み込むことで現状維持を想定する馬英九の考えは、もし中国が中華民国の存在をも台湾独立とみなすのなら、成立し得ないということなのである。実際のところ、周子瑜への中国での批判は中国政府によりなされたわけではないので、この判断の是非は難しい。しかし、若い有権者にそうした印象を与え、この事件が国民党に不利に働いたことは確かであったろう。

新総統に当選した民進党の蔡英文氏(提供・AP/アフロ)

二つの評価

では、この選挙をいかに位置づけるのか。大きく二つの評価が可能だろう。

ひとつは、戦後の台湾史の大きな流れ、あるいは1980年代後半以来の民主化、台湾化の集大成として今回の選挙を見る観点である。周知のとおり、台湾は1980年代後半に戒厳令が解かれ、国民党一党独裁が崩れて、民進党が結成された。それ以後、徐々に民主化が進み、1996年に最初の総統選挙がおこなわれて国民党の李登輝総統が勝利したが、李政権下で民主化とともに、戦前から台湾に居住する本省人たちが台湾政治、社会の主人公となる台湾化が進行した。2000年に民進党の陳水扁が総統となって、2004年にも再選されたが、2000年の時には国民党が統一候補を立てられずに分裂したし、2004年には「疑惑の銃弾」にともなう同情票が陳に集まった。また、陳政権下では、そもそも立法院では国民党が優勢であった。そのため陳水扁の政権運営は苦渋を極めたのであった。

だが、1996年から現在に至る過程でおこなわれた総統選挙、立法委員選挙、地方自治体選挙などの得票率、得票数の推移を見ると、大勢として民進党が次第に勢力を拡大してきた。その集大成がまさに今回の選挙であり、これこそが本省人が政治の主人公となったことを示す、というのが一つ目の観点だ。蔡英文候補の得票数は、朱立倫候補と宋楚瑜候補の合計を上回るし、立法院でも圧倒的多数の議席を得た。この観点に立つ場合、以後、国民党の劣勢は変わらず、よほどの体質転換をしない限り、中国の意見を代弁するマイナー政党になるのではないか、ということになる。

他方で、今回の選挙結果はあくまでも二大政党制に基づく大統領選挙のスウィングに過ぎない、と見る観点もあろう。有権者は、馬英九政権の八年に対してNo!と言ったのであって、今後ずっと民進党を支持するとは限らないし、蔡英文とて馬総統同様の批判を一年後には受けている可能性もある、という解釈だ。実際、陳水扁政権退任時に民進党の再建は極めて困難とまで言われたことに鑑みれば、国民党とて再建の可能性もある、という見方も成り立つのかもしれない。

また、今回国民党が大きく議席を失ったのは、新北市、桃園市などであるが、そこでの候補者の多くは、国民党内部での非本土派(外省人候補など)であったのに対し、他方、中南部では国民党の本土派(台湾土着派、本省人中心)が議席を比較的守った、とする見方もある。この観点にたつと、有権者が否定的であったのは、国民党の非本土派に対してであった、ということになろう。

そして、国民党から見れば、民進党と支持率が拮抗していた五つ以上の選挙区において、最後の周子瑜事件により、その均衡が崩れて、一気に敗北したということもあろう。このように、民進党の議席が68席にもふくれあがったこと、新政党の「時代力量」が5議席を得たことについては、さまざまな解釈がある。

岐路に立つ国民党・民進党

では、果たして今回の選挙は、戦後台湾の「歴史の終わり」、つまり国民党から民進党への完全なる政権交代を意味するのだろうか。これによって、国民党の将来はなくなった、と見るべきなのだろうか。

この点について、実際にはこのどちらかが正しいというのではなく、今後の情況に応じて「説明」が組み立てられていくことになるのだろうと思われる。簡単に言えば、民進党が中国政策、経済政策、突発的案件への対応などにおいて、適切な判断に基づく政治をおこなえれば、国民党の出番は急速に減り、「歴史的必然」としての民進党政権の存在がクローズアップされるだろう。だが、それらに蔡英文政権が失敗すれば、国民党に復活の機会を与えていき、やはり「スウィング」として2016年1月の選挙が説明されるようになっていくのだと思われる。そうした意味では、民進党が長期政権として今後政権を維持できるのか否か、蔡英文政権はまさにその岐路に立つ政権だということになる。

他方で、国民党にとっても事態は深刻だ。これまでの問題を馬英九政権にだけ帰して、国民党本体は生き残ることができるのか、あるいは中国の代弁者になってマイノリティ政党に変質していってしまうのか。国民党としては、マイノリティ政党になることを防ぎつつ、政権奪取可能な野党としての位置を築けるのかという問題である。

朱立倫党主席は選挙の結果を受けて辞任、次期主席に誰がなるのか、そして国民党内の王金平などの本土派が馬英九ら中国との関係を重視する外省人グループと袂を分かち、党の再編問題へと発展するのか、予断をゆるさない。その背景には、そもそも国民党が今後台湾社会においてどのような人々を代表する政党になるのかという、根本的な問題がある。無論、民進党政権が失政を続ければ、その受け皿になるということだけでも存在意義が見いだせるのかも知れないが。

目下のところ、一時、総統候補になった洪秀柱女士が党主席候補になるという話もある。だが、それでは本土派と非本土派の分岐はさけられないであろう。そして、民進党の主導する立法院では、国民党の資産のうち、本来は国家に属するべき、日本からの継承資産の摘発と国庫への返納要請が本格的に進むだろう。そのとき、国民党が従来の地方派系を再構築しつつ、財務面での基盤を保ち得るかが課題である。

ひまわり学生運動の系譜

2014年3月に発生した「ひまわり学生運動」は日本のメディアでも多く報道された。中国とのサービス・貿易協定に対して、あるいはそれをめぐる審議のプロセスに対して異議を唱える学生たちが立法院を占拠したその事件は、台湾に於ける新たな民主を感じさせるに十分な事件だった。この事件は、とりわけ台北などの大都市の20代から30代の世代が民主や自由という概念に対して敏感になり、極めて強い政治意識をもつに至る契機となった。彼らは馬英九政権に対して反発を抱くだけでなく、必ずしも二大政党制には満足せず、新しい政治を求めている。

この動きは確かに新たな政治潮流を作りつつある。2014年11月末の統一地方選挙で台北市長に無所属の柯文哲が当選したことなどはその代表的な動きだろう。2016年1月の総統選挙では、この新しい世代の票の多くは民進党の蔡候補に流れたと思われるが、立法委員選挙については、黄国昌率いる「時代力量」という新たな政党に5つの議席をもたらし、さらに台北や新北市などで国民党の議席を大きく減らす一つの原因になったと言えるだろう。この世代はやがて、台湾政治の行く末に大きな影響を与えることになるのだろうが、いかなる影響をどの程度与えるのかは未知数である。目下のところは、過大評価も過小評価もできないだろう。

大切なことは、この世代のひとたちも、今回の選挙の勝利で、「戦いが終わった」とは思っていないことだ。彼らは彼らの想定する民主を実現するために、非常に注意深く情勢を観察しており、民進党政権の失政の可能性も、国民党の土着派による復活の可能性も、視野に入れているものと思われる。

当面の課題

蔡英文が総統に就任するのは、2016年5月20日である。だが、立法委員が就任するのは2月1日である。新たな立法院は3カ月間馬英九総統と対峙することになる。既に行政院院長のポストをめぐって綱引きがあるが、少なくとも今後数カ月間、台湾では新法案を通すことが難しくなるなど、政治は停滞することになる。だが、その期間こそ、蔡英文にとっては閣僚名簿の作成のみならず、今後の内外政、対中国政策についての準備期間となる。場合によっては、あるいは既に中国側との下交渉をするであろうし、日本やアメリカ側も既に蔡英文にコンタクトをはかっている。

蔡政権にとっての大きな課題は、対中国政策のマネージである。2015年末の馬英九・習近平の会談で「92年コンセンサス」の事実上の確認をおこなった。そこで習近平は、この合意の「核心部分」を今後の政権も継承していくように求めると述べていた。両岸関係の現状維持を唱えてきた蔡英文に対して中国政府がどのような政策を採るのか、また蔡英文が両岸関係を表現する新たな「言葉」を見出すのか、注目されるところである。

馬政権下の八年間で、「三通」は実現し、両岸の交流はきわめて活発になった。だが、台湾のひとびとの「台湾人意識」は増していった。中国人との「相違」を明確に意識した八年かだったと言っても良い。だが、それと同時に政治、安全保障、経済などでの中国の台湾への影響は増した。関係性の強化とアイデンティティの分化が同時並行で進んでいる。そこで、蔡英文政権がいかにバランスをとって対中国政策を展開するのだろうか。目下のところ、「現状維持」、あるいは「92年コンセンサスがあるという歴史的事実を認める」などといった文言が飛び交っている。中国がどのあたりで折り合うかが焦点だろう。

内政面も予断を許さない。特に経済政策をいかに調えるのかが新政権にとっては大きな課題である。中国経済が失速する中、それに依存した台湾経済がいかに現状に適応していくのかということが課題であろう。

いずれにしても、立法院院長を国民党の政治家が務めて来たことからもわかるように、立法院で民進党が過半数を占めるのは初めてのことである。果たしてそこで何をするのかが問われることになる。国民党の党財産の不正取得を問題にして没収するような法案もできていくであろうが、前政権をただ批判し、否定することは必ずしも好ましくない。民進党政権には一定の自制心が求められることになる。これは多くの国で政権交代に際して共通に抱える課題でもあろう。

日台関係の今後

東アジアの国際政治において台湾の位置づけが重要なことは言を俟たない。まして、中国の政治、経済、軍事安全保障上のパワーが増し、東シナ海、南シナ海での問題が発生している現在、台湾の帰趨は東アジアや西太平洋全体にとって重要だ。

だが、日本やこの地域にとり、台湾が中国に対して強硬手段を採ることが望ましいのかと問われると回答は難しい。無論、台湾が中国に過度に接近することはこの地域に新たな地政学的な変化をもたらすが、陳水扁政権の時のような強硬政策は、逆の化学変化を生み出す面もある。馬政権の下での中台関係の安定は、日本と台湾との間の投資協定や漁業協定等を後押ししていった。アメリカの観点から見ても、たとえ中国の南シナ海などで米中関係が多少緊張していても、台湾海峡が不安定になることは望んでいないであろう。これはまた現行維持を想定している蔡英文政権も同様である。問題は、それを中華人民共和国がどのように受け止めるかということである。既に訪台観光客の減少がはじまっているともいうが、2016年前半の「つばぜりあい」が注目されよう。

(2016年1月24日 記)

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  • [2016.02.02]

nippon.com編集企画委員会委員長。東京大学総合文化研究科教授。専門はアジア政治外交史、中国外交史。1968年東京都生まれ。92年東京外国語大学中国語学科卒業。97年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学後、博士(文学)。北海道大学法学部助教授を経て現職。著書に『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会/2004年)、『近代国家への模索 1894-1925』(岩波新書 シリーズ中国近現代史2/2010年)など。

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