「コメよりパン」になった日本人の食卓

岩村 暢子【Profile】

[2012.08.14] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

総務省の調査によると、初めて家計の支出でパンがコメを上回った。この逆転現象は何が原因なのか。1998年から家庭の食卓調査を行っている岩村暢子氏がその背景を探る。

2011年の総務省「家計調査」の結果、日本の一般家庭におけるパンの消費額がコメを上回ったと話題になっている。1世帯(2人以上世帯、農林漁家世帯除く)あたりのコメに対する年間支出額2万7428円に対し、パンは2万8318円と、逆転したのである。これは昭和21年(1946年)に始まる「家計調査」史上、初めての事であった。

「コメ離れ」の歴史的理由

長い間コメを主食としてきた日本人の「コメ離れ」は、実は何年も前から話題となっていた。だが、このようなはっきりとした数字に表れるようになった背景には、いくつかの理由が考えられる。

まず歴史的に見ると、子供のころから「パン食」になじんで育った世代が、人口の大半を占めるようになったという事実がある。戦後、アメリカの余剰小麦を「支援」として受ける形で再開された日本の学校給食は、「パン食」を前提として1954年の「学校給食法」成立後も継承され、1960年代に全国的に拡充されていった。

それが、今日、上は60歳前後までの膨大な数の日本人が小さい時から「パン食」になじむ基礎を築いたのである。2011年の「家計調査」で、パン代よりもコメ代が多くなっていたのが「60歳以上」を世帯主とする高齢者世帯層だけだったのも、これを裏づけていると言ってよいだろう。

また1950年代後半から1960年代には、政府自らが「コメと野菜では日本人の身体は強くならない」と、パンや畜産物(動物性タンパク質・乳製品)などを食する「食の洋風化」を奨励し、推進したことも忘れてはならない。コメなどを作る農業人口を他産業へ振り分けるための政策も大々的に実施された。

人々もまた、「ダイニングテーブル」で、「朝食にトーストを食べる」暮らしに憧れ、この頃(1960年前後)から日本人の食事内容は大きく変容したのである。

「簡素化」と「バラバラ食」への傾向

昨年「パン代」が「コメ代」を上回った理由は、もちろんこのような歴史的事実だけでは説明できない。それは今の家庭の食事事情にも見いだすことができる。

私が1998年から行っている家庭の食卓調査(「食DRIVE」調査)の結果から見れば、それは「食事作りの簡素化」と、家族の「バラバラ食」の進行とも深く関わることがわかっている。

今の日本の家庭では、何事も家族それぞれの好みや都合を尊重するため、食事も家族がバラバラな時間に違うものを食べることが増えている。朝食ではほとんどの家庭がそうであるし、平日の夕食も子供が高校生以上になると、バラバラになりがちだ。そうすると、コメを食べる食事が減る。

買ってきたものを出して並べて置き、勝手に食べさせる朝食。家族構成は、父(43歳)、母(39歳)、子供二人(13歳、7歳)だ。写真提供:岩村暢子

1人1人の食事のたびに御飯やみそ汁を温め直し、(もしかしたら人によって異なる)オカズを整えるのは大変だし、遅く帰宅したり、時間を外して食べる家族1人分の「孤食・個食」に、一汁三菜の御飯食は不都合だからである。パン類や、レトルトソースで作るパスタ、インスタントのラーメンやうどんなどの麺類、チンしてできる冷凍の米飯類やピザなどならば、白い御飯と違い、オカズなしでもそれ一品で簡単に食事ができる。

「御飯の食事はオカズを用意しなければならないから面倒」と家庭の主婦たちが言い始めたのは、10年くらい前からのことだ。年々家庭の食事作りは簡単化して、「御飯+オカズ+汁物」の形、ないしは一汁三菜の形を敬遠するようになっているのだ。そこにも「コメ」離れの一因がある。

「コメ嫌い」になったのではない

決して日本人の嗜好(しこう)が変化して「コメ嫌いになった」のではない。どの家でも、いくつかのオカズがあると、今も主食は御飯になっていて、そこでパンやパスタやラーメンは出てこない。だが、オカズが貧弱だと麺類やパン食になってしまうことは、「食DRIVE」15年の調査からも確かめられている。コメで作る「おにぎり」がコンビニの人気商品であったり、外食では米飯の「回転ずし」や「牛丼」が人気なのも、それを裏づけているだろう。

「おにぎり」「丼もの」と言えば、最近は面倒でオカズを作りたくない時に、御飯は「おにぎり」や「丼もの」の形にされるようになってきたのも面白い。「おにぎり」なら丸くするだけだし、「丼もの」と言っても、ありあわせの卵や納豆、漬物を別皿の「オカズ」にしないで上に載せるだけのものだ。すると「目玉焼き丼」「納豆丼」、「キムチ丼」や「高菜丼」になる。いや、そう名づけてしまうのである。  

そうすれば「おにぎり」は菓子パンと同類になり、「丼」はチーズトーストやハムトーストと同類になり、オカズがなくても「食事」として許容できる、という感覚である。

家庭で作られる米飯メニューの中で「おにぎり」や「丼」が増加しているのも、このように「オカズ」を用意せずに「御飯」を食べようとする近年の苦し紛れの一現象と捉えることができる。

「コメ代よりパン代が上回った」歴史的転換の背景には、このような戦後日本の長い歴史と、近年の食事作りの簡単化指向、そして家族がバラバラな時間に好きなものを食べるようになった現代の家庭の大きな変化など、様々な問題が複合的に関係しあっている。だから、食はやはり「文化」なのであろう。

(2012年7月13日記)

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  • [2012.08.14]

キユーピー(株)顧問/200Xファミリーデザイン室室長。首都圏に在住する、1960年以降に生まれた子供を持つ主婦を対象に、1998年から「食DRIVE」定性調査を実施してきた。著作に『変わる家族 変わる食卓――真実に破壊されるマーケティング常識』(中公文庫、2009年)、『日本人には二種類いる 1960年の断層』(新潮社、2013年)などがある。

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