「積極的平和主義」に転換する日本の安全保障政策

北岡 伸一【Profile】

[2014.02.05] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS |

2013年末、日本版NSC発足や国家安全保障戦略(NSS)策定など、日本の安全保障政策の新たな展開が見られた。その方向性を政策形成に関わった北岡伸一・国際大学学長が解説する。

国家安全保障会議(日本版NSC)が、2013年11月27日のNSC設置法成立を受けて、12月4日に設立された。また、同法と密接な関係を持つ特定秘密保護法が12月6日に成立した(12月13日公布、施行は1年以内)。さらに12月17日の閣議で「国家安全保障戦略」(NSS: National Security Strategy)と新しい「防衛計画の大綱」(防衛大綱)が決定された。このように、昨年末には日本の安全保障関係の重要政策が相次いで実現した。本稿ではこのことの意義を検討してみたい。

安全保障強化への第1次安倍内閣(2006~7年)の試み

最初に上記の政策実現に至る経緯を確認しておこう。

2006年9月に成立した第1次安倍晋三内閣は、安全保障の強化を目指し、いくつかの改革を実施しようとした。第1に、同年11月、「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」を設立した(議長は安倍首相自身)。その目的は、首相官邸の国家安全保障に関する司令塔としての機能強化を図ることだった。日本版NSCを設立することを柱とする官邸機能強化会議の提言は2007年2月に出された。それを基に、NSC設置法案が作成され、2007年通常国会に提出された。しかし、同年7月の参議院選挙での与野党逆転による政治情勢の流動化と9月の安倍首相の病気による辞任のため、第1次安倍内閣でNSC設立は実現しなかった。

そして次の福田康夫内閣(2007年9月成立)はNSCの実現に関心を持たなかった。既に官邸に設置されていた「安全保障会議」が機能しており、新たな組織は不要だとして、同内閣はNSC関連法案の推進を中止した。これについては、既存の安全保障会議は形骸化し、有効な政策検討の場となっていないことは周知の事実だったため、自民党内部だけでなく野党・民主党からも批判を浴びた。

第1次安倍内閣の2つ目の改革の試みは、2007年5月、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇、座長は柳井俊二元駐米大使)を設立し、憲法でその行使が不可能と解釈されている集団的自衛権に関する検討を開始したことである。主な議題の中には、安全保障に関する4類型の問題があった。それは、(1)日本が日本近海において攻撃を受けた米艦を防護できるか、(2)日本の上空を通過して他国に向かうミサイルを撃墜できるか、(3)国連平和維持活動(PKO)において他国の部隊が襲われた場合にこれを救援することができるか、(4)PKOにおいて他国の部隊に対する後方支援はほとんどできないことになっているが、これでよいのか、というものだった。

安保法制懇の報告書は、安倍首相の辞任後、2008年になってから福田首相に提出された。その骨子は、(1)現行の法制度のもとでは、この4つとも行えない、(2)だが、それは日本の国益にとって大きなマイナスである、(3)従って、いずれも可能となるようにすべきである、(4)それには、憲法自体を変えずとも、憲法の解釈を変えれば可能である、というものであった。しかし福田首相はこの提案に対しても冷淡で、棚上げにしたまま一切手をつけることはなかった。

第2次安倍内閣(2012年~)で再び動き出した改革

この後、麻生太郎内閣と民主党政権の3内閣(鳩山由紀夫内閣、菅直人内閣、野田佳彦内閣)を経て、2012年12月に安倍氏が首相に再登板した。安倍首相は第1次内閣で自らが立ち上げた安保法制懇の提言を当然重視しており、第2次内閣発足後すぐにその実現に向けて着手した。まず、2013年2月8日、安保法制懇を再度発足させた。メンバーはそのままだが、現在、柳井座長は国際海洋裁判所の所長で独・ハンブルク在住であり、事実上出席は不可能であることから筆者が座長代理に任命され、議論を取りまとめることになった。

併せて、2月15日には「国家安全保障会議創設に関する有識者会議」が設立され、2007年に不成立となったNSC設置法案を踏まえて、2013年6月に首相に提言を出した。それを受けて安倍内閣は新たなNSC設置法案を国会に提出した。これが2013年11月に可決・成立し、年末のNSC発足となったものである。

さらに、9月12日には「安全保障と防衛力に関する懇談会」(安防懇)が設立され、国家安全保障戦略(NSS)と新防衛大綱の作成に関与することを命じられ、筆者が座長に任命された。

安防懇と防衛大綱

安防懇というのは、通常、新しい防衛大綱を作成する前に作られる有識者会議で、その提言を基にして防衛大綱が作られることになっている。1994年には当時の細川護熙内閣が有識者会議を設け、その提言を基に村山富市内閣で1995年に新しい大綱が作られた。このときの安全保障上の課題は、冷戦終焉後の事態にどう対処するかということであり、北朝鮮における核開発疑惑などもあって、日米安全保障条約の重要性が再確認され、日米同盟の再定義につながった。

2004年、小泉純一郎内閣でも、安防懇が設立され、新しい大綱が作られたが、これは2001年の9.11同時多発テロにみられる事態への対処を課題としていた。2009年、麻生内閣でも安防懇が作られ、提言がなされたが、自民党から民主党への政権交代によって新しい大綱の作成は延期された。翌2010年に民主党の菅内閣で新しく設立された安防懇が提言を出し、同年12月に大綱が作成された。これがいわゆる「2010年大綱」である。

民主党政権下における2010年大綱は、中国の勃興にどう対処するかを最大の関心事としつつ、ソ連の侵攻への備えを主眼としていた冷戦時代以来の「基盤的防衛力」を改め、南西方面重視の「動的防衛力」を打ち出したものであった。冷戦終焉から20年を経て、ようやくこうした現実に沿った転換が行われたことは、日本の政策がいかに惰性に流れやすく、軌道修正が困難かを示している。

このとき、大綱の作成過程についても変更が加えられた。それまでは有識者会議の提言を防衛省が中心となって取捨選択し、防衛省・自衛隊が関わることだけを書き、外務省や海上保安庁、その他関係省庁との連携などにほとんど触れない傾向があった。これを、官僚の関与を限定する形で有識者と関係閣僚が協議して、より総合的な視野を持つ大綱を作成する方向に変更したのである。この背景にあったのは、2010年9月に沖縄・尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件をめぐる混乱において、省庁を横断する総合的な準備が欠けていたことに対する反省だった。

日本初の国家安全保障戦略(NSS)の策定

2013年の安防懇で特に注目すべきは、国家安全保障戦略(NSS)の策定である。外交と防衛は安全保障の両輪であるにもかかわらず、その両方をカバーする総合的な安全保障戦略が日本にはなかった。これは、世界の常識から考えると、何とも信じがたい話である。

ただし、防衛については、1957年に「国防の基本方針」という文書が作られている。簡潔でよくできているが、既に56年前の文書であることから、もはや現在の状況にはそぐわない。当時は東西冷戦のさなかで日本もまだ貧しく、日米安保条約の改定もされておらず、沖縄も返還されていなかった。これでは、今の日本の安全保障戦略の方向を指し示すものとしては、全く不十分である。しかも現在では自国の安全保障戦略を公開する国が増えている。それは、国民の理解を得るためだけでなく、周辺国からの不要な誤解を避けるためにも効果的だということが理解されているためである。

「積極的平和主義」が基本理念

NSSの基本理念として安倍首相が今回打ち出したのが、国際協調主義に基づく積極的平和主義である。従来の消極的平和主義を転換するものだ。消極的平和主義とは、日本が非武装であればあるほど、世界は平和になるという考えである。1946年の憲法制定当時、連合国の大半はそう考えていたのだろう。しかし、日本は今や世界の中でも信頼を獲得している大国の一つである。世界平和の実現のために積極的に貢献することを期待されている。「悪いことはしない」と宣言するだけでは済まされない。

過去10年間、日本の防衛費はほぼ現状維持だが、中国の防衛費は4倍になっている。北朝鮮のミサイルや核兵器の開発も加速化している。このような状況に照らしてみると、日本が軍備を抑制したことがアジアの緊張緩和に貢献しなかったのは明らかである。これは消極的平和主義が誤りであることの何よりの証拠である。

安倍首相が掲げる積極的平和主義は、突然の転換ではない。日本は1950年代から政府開発援助(ODA)を東南アジア諸国などに供与して、アジア地域の安定に貢献してきた。1992年から国連の平和維持活動(PKO)にも参加し、90年代後半からは「人間の安全保障」(※1)のコンセプトを提示して、貧困地域の援助や内戦終結後の国づくりに貢献してきた。これらはいずれも積極的平和主義の現れであり、今後さらに充実させていこうというのである。

世界にも日本にも、安倍首相は右傾ではないか、戦前回帰ではないかという懸念があるが、それは当たらない。事実として、安倍内閣は戦後日本の外交を肯定し、さらに発展させようとしている。しかも日本単独ではなく、国際協調の枠組みの中で実行しようとしている点で、世界の大多数の国々からは強い賛成を得ている。反対しているのは中国と北朝鮮だけである。韓国は懸念を表明しているが、冷静に検討すれば、自国に不利益はないことが理解されるはずである。

新防衛大綱が打ち出した「統合機動防衛力」

NSSの策定を受けて改定された防衛大綱では、防衛力の「量」の確保の必要性も強調され、大綱を具体化した「中期防衛力整備計画」(中期防)では、垂直離着陸輸送機V-22オスプレイや無人偵察機の自衛隊への導入などが盛り込まれた。こうした点だけを取り上げて、安倍内閣の政策をハード中心だと批判する意見があるが、これは全くの誤解である。海洋における法の支配を強調し、同じ価値観や考え方の国々と協調しようとする政策は、まさにソフト中心である。中国に対しても、新大綱では「戦略的互恵関係」の構築を一層強化することを強調するなど、常に門戸を開いて対話する姿勢を打ち出している。

ただ、ソフト中心とはいえ、同時に防衛力の備えをしておくことは重要である。大綱では「統合機動防衛力」という概念が新たに打ち出された。これは、陸海空の統合運用と南西海域・島嶼の機動的展開を重視するということである。陸海空の統合運用はどの軍隊にも必要なことであるが、日本のような組織間のセクショナリズムの強い国では特に重要であり、また南西方面の防衛に特に必要であるため、これを重視するのは時宜を得たものである。他方、南西方面の機動的展開の重視(具体的には戦車の削減、航空機・イージス艦・潜水艦の増加など)という点は、2010年大綱を継続・強化したものである。こうして見ると、民主党政権下の2010年大綱と今回の大綱とは比較的近く、むしろ、同じ自民党であっても安倍内閣と福田内閣の間の安全保障政策での隔たりの方が大きかった。要するに、表面的には自民党と民主党は対立しているが、実際のところ、その中枢部分の安全保障政策は近いのである。日本の防衛政策は党派を超えた支持を獲得しつつある。

なお、防衛予算に関しては、2%余りではあるものの、全体としては増加に転じた。中期防で定めた今後5年間の整備費用は、2010年に比べて1兆円以上増額している。中国の防衛予算が加速度的に増えていることに比べればささやかなものだが、日本の意思を示すものとして重要である。

ところで、今回の防衛大綱の策定にあたっては、安防懇での議論を踏まえ、有識者と閣僚が議論をして進め、最終的に閣議で決定するという形を取った。これは、民主党政権による2010年大綱の策定方式を取り入れている。

従って、安防懇自体の提言というものは存在せず、安防懇での議論と政府の最終結論の間には若干の違いがある。そのため、私はこの懇談会の座長であったが、政府の決定でいくつか改善すべきだと考えているポイントがある。まず、最終結論で陸上自衛隊の定員が15万9000人と5000人増加となったことには反対である。むしろ定員は削減して、海上自衛隊と航空自衛隊の装備を充実させるべきだと考える。また、戦闘機や潜水艦はさらに増強し、敵基地に対する反撃能力の充実を盛り込みたかった。これは、先制攻撃だと目的地確定が難しく、また周辺国から警戒されるのに加え、反撃さえできれば足りることから、あえて反撃能力こそが必要だと考える。一方、中国に対して歴史対話の再開を呼びかけるなど、さらに柔軟な態度を入れたかったが、実現しなかった。にもかかわらず、全体として大綱策定プロセスは有意味なものであったと考える。

集団的自衛権の憲法解釈見直しに向けて

今後、さらに残っているのは、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)の議論である。安倍首相からは、2007年に検討された4類型に加えて、他にも安全保障に関する法制度において不十分なところがあれば議論してほしいと諮問されているので、今も様々な検討を行っている。中でも最も重要なのが、集団的自衛権に関する政府の憲法解釈の見直しである。

そもそも、日本の安全保障法制度に不備が多いのは、日本国憲法に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(9条2項)という世界に例のない特異な条項をそのまま維持しているところから来ている。

憲法制定当初の1946年には、政府はいかなる戦力も一切持たないという立場であった。しかし1950年に近隣で朝鮮戦争が勃発し、1951年にサンフランシスコ平和条約が締結され、1952年に日本が独立を回復することになると、一切の戦力を放棄するという立場を変更せざるを得なくなった。そこで、1954年に政府は、主権国家として最小限度の軍事力を持つのは当然のことであり、9条2項は最小限度の戦力の保持は禁じていない、という解釈を打ち出した。この解釈は最高裁判所で否定されていないから、確定した解釈となっている。

同時に、政府は「最小限度」を強調するあまり、個別的自衛権の行使はよいが、集団的自衛権の行使は不可能という憲法解釈を主張してきた。つまり、日本が侵略されれば防衛する権利はあるが、他国が侵略された場合は、これを助けることはできないということである。日本が集団的自衛権を有することは、国連憲章51条でも、サンフランシスコ平和条約でも、旧・新日米安保条約(1951年、1960年)でも明記されているにもかかわらず、そうした奇妙としか言いようのない解釈をしてきたのである。

元来、集団的自衛権は国連憲章制定過程で中南米の国々から提示された案で、一国に対する攻撃は同盟国全てに対する攻撃とみなすと定めることで、中小国が相互に守りあって安全を維持するという考えである。信頼できる国々が相互に守り合う事で紛争を未然に防ごうとするものであり、これも自衛権であると観念されたのである。この集団的自衛権が個別的自衛権よりも危険なものだとする解釈は、集団的自衛権の持つ抑止力という概念を計算に入れない、誤ったものである。

自衛権をめぐる現行解釈がもたらす不都合

自衛権の定義を、奇妙にねじ曲げてしまった結果、実際上も数々の不都合な事態が生じている。具体例を挙げると、PKOにおいては、基本的に自己防衛のためにしか武器使用は許されず、任務達成のための必要最小限度の武器使用も、他国部隊などの防衛のために必要な武器使用も許されないことになっている。

ここで問題となるのが、憲法9条1項に関する理解が誤ってなされている点だ。憲法9条1項は、国際紛争の解決のための武力行使を禁じている。だが、その場合の国際紛争とは、ケロッグ・ブリアン条約(不戦条約)に由来する、日本と他国との紛争を指すものである。ここには、PKOなどにおける武器使用禁止の意味合いは含まれてはいない。また、9条1項で禁じているのは、あくまで「武力行使」であって、「武器使用」ではない。このように誤って理解されている9条1項の解釈を国際標準に沿って改めれば、上述した2007年の安保法制懇で議論された類型(3)と(4)にあるPKOの武器使用に関する問題は、すぐにでもクリアできるはずである。われわれが憲法の解釈を変更しようとしているのは、このような点である。

集団的自衛権に関連する安全保障に関する4類型

類型(1) 日本が日本近海において攻撃を受けた米艦を防護できるか
類型(2) 日本の上空を通過して他国に向かうミサイルを撃墜できるか
類型(3) 国連平和維持活動(PKO)において他国の部隊が襲われた場合にこれを救援することができるか
類型(4) PKOにおいて他国の部隊に対する後方支援はほとんどできないことになっているが、これでよいのか

 

次に問題なのは、集団的自衛権は個別的自衛権を越えるものであって、行使は許されないという内閣法制局の解釈についてである。日本と密接な関係にある他国が不当な攻撃を受けて日本の援助を求め、かつ、その事態を放置すれば日本の安全に重大な影響が及ぶ場合には、日本は実力を用いてでもこの国を支援すべきであろう。安全保障上、そうした行動は当然のことと思われる。このように、集団的自衛権の一部は、法制局の言う「必要最小限度」のうちに含まれるというのが、憲法上の解釈を変えようとしているもう一つのポイントである。

それ以外の問題点としては、個別的自衛権の行使は合憲とされているが、実際に法制度上は不十分であるというケースが挙げられる。例えば、日本が武力攻撃を受ければ、自衛隊に防衛出動を命じることができるが、この武力攻撃というのは、組織的・計画的な侵略のことである。それに満たない、より小規模な侵略にどう対処するかについては、警察行動を除いて規定がないのである。

これらの問題点への対処については、憲法の解釈を変えずに憲法そのものを変えるべきだという意見もあるが、日本国憲法は極めて改正の難しい硬性憲法である。憲法96条1項によると、衆議院と参議院の両院それぞれの定数の3分の2以上の賛成によって国会が発議し、さらに国民投票で過半数の賛成を得なければならない。今まで改正されたことは一度もないのみならず、発議されそうになったことすらない。今から憲法改正の条文を変えようとしても、少なくとも10年はかかるだろう。日本の安全保障環境の悪化を考えれば、それほど時間をかける余裕はないし、また、1954年になされた憲法解釈の変更、つまり「戦力不保持」から「必要最小限度の保持は可能」に転じたことと比べれば、集団的自衛権を我が国にも認めることは、ささやかな解釈変更に過ぎない。これこそ、安保法制懇が憲法改正ではなく解釈変更でよいとしている理由である。

安保法制懇の活動は今なお継続中である。しかし、2014年3月ごろを目途に提言を出したい。以後の見通しとしては、その提言に基づいて政府が集団的自衛権などに関する憲法解釈を変更し、その上で必要な立法措置を行って、それを日米外務・防衛閣僚級会議(日米安全保障協議委員会、2プラス2)で合意されている2014年内の日米防衛協力ガイドラインの改定につなげていきたいと考えている。

普通の国レベルへと歩み始めた日本

以上から分かる通り、NSCにしても、NSSにしても、集団的自衛権の行使にしても、日本の従来の安全保障政策にごくわずかな変更を加えて、世界の普通の国レベルに近づけようとしているに過ぎない。

それでも日本の軍事大国化を懸念する声は皆無ではないため、一言加えておこう。

筆者は、日本政治外交史の研究者として、日本が戦前に軍事的膨張に至った理由を5点にまとめたことがある。その理由とは、(1)日本に地理的膨張によって安全と繁栄(市場と資源)が得られるという観念が存在したこと、(2)相手国(中国)の軍事力を軽視していたこと、(3)国際社会の制裁を軽視していたこと、(4)政府の軍に対する統制力が弱かったこと、(5)言論の自由が制約されていたこと、である。

これらはいずれも、現在では決定的に状況が異なっている。(1)については、今の日本で地理的膨張を求める声は皆無であり、その繁栄の基礎が世界秩序の安定であることはよく理解されている。これを日本から壊すことなどありえない。また、(2)中国軽視については、今や核を持ち、大陸間弾道ミサイル(ICBM)その他の攻撃兵器を持ち、そのかなりの部分を日本に向けている人民解放軍を軽視している人などほとんどいない。(3)国際社会の制裁については、日本のように高度に発展し、かつ資源と市場を海外に依存する国が、世界からの制裁に耐えられないことは明らかである。さらに、(4)首相の軍に対する統制力は圧倒的に強く、(5)言論の自由については、今ではあり余るほどである。特定秘密保護法をめぐって、戦前回帰だと批判する勢力があるが、これは全く荒唐無稽な話である。

むしろ、こうした5条件全てが当てはまるのは中国である。資源と国家的栄光を目指して今も膨張を続けているし、自国の軍事力にかなりの自信を持ちつつある。国連安全保障理事会の常任理事国として拒否権を持っているため、国際社会からの制裁は極めて受けにくい。しかも、政府と軍の関係は微妙であり、言論の自由や法の支配はしばしば侵害されている。そうした点こそ、日本が中国に懸念を持つ所以でもある。

以上が、日本の新しい安全保障政策の展開の概要である。これらはいずれも当然の政策であって、日本の軍国主義化につながるなどという批判は的外れなものである。より正常な安全保障政策へのささやかな、しかし重要な一歩として大いに評価されるべきだと考える。

タイトル写真=2013年11月にフィリピンを襲った台風30号の被災者に医療支援を行う自衛隊員(2013年11月17日、フィリピン・レイテ島のタクロバン空港、撮影=Bullit Marquez/AP Photo/アフロ)

(※1)^ (編集部注)人間の安全保障とは、日本政府が外交上の主要なテーマとして掲げる概念。難民問題や貧困問題、経済危機といった、国家がその国境と国民を守る「国家の安全保障」だけでは対応できない脅威が増加する中で、人間一人ひとりに着目し、人々が恐怖と欠乏から解放され、尊厳ある生命を全うできるような社会づくりを目指す。具体的手段としては、(1)脅威からの「保護」、脅威に対抗する選択・行動を可能にする「能力強化」のアプローチ、(2)多様な脅威への「包括的・分野横断的アプローチ」、(3)国家や国際機関、非政府組織(NGO)、市民社会の関与を促す「参加型アプローチ」などがある。

  • [2014.02.05]

国際大学学長、政策研究大学院大学(GRIPS)教授。専門は日本政治史、日本外交史。1948年生まれ。71年東京大学法学部卒、76年9月東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、法学博士。76年から立教大学法学部講師、助教授、教授を経て、97年から東京大学法学部教授。2004年特命全権大使(日本政府国連代表部次席代表)を経て、06年9月に東大法学部教授に復帰。2012年4月よりGRIPS教授。同年10月より国際大学学長を兼任。近著に日本政治の崩壊―第三の敗戦をどう乗り越えるか』(中央公論新社)『官僚制としての日本陸軍』(筑摩書房)がある。

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