「明治日本の産業革命遺産」:世界遺産登録の意義と今後の課題

有馬 学【Profile】

[2015.07.29] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | العربية |

世界遺産登録をめぐって、日韓の外交摩擦ばかりがクローズアップされた感のある「明治日本の産業革命遺産」。23カ所に及ぶ構成遺産の価値をどのように捉え、今後の保存・継承活動に生かしていけばいいのか。日本近代史研究のエキスパートが提言する。

廃墟や現役も:多様な資産で示す近代化の全体像

重工業を中心とする明治日本の産業遺産が、曲折を経ながらもユネスコの世界遺産に登録された。しかし、登録をめぐる日韓の外交的軋轢(あつれき)が巻き起こした波紋のために、なぜこれらの産業遺産が世界遺産に価するのか、遺産を保護し活用するための課題は何かといった、本来なされるべき議論が脇へ押しやられそうである。もう一度原点に立ち返って、これら産業遺産のどこが世界遺産登録に価するのかを考えてみよう。

今回の登録対象となった遺産の中には、韮山(静岡県伊豆の国市)や萩(山口県)の反射炉(*1)、鹿児島の集成館事業(*2)など、日本の教科書に記載されたものもある。しかし最終的に登録された近代化産業遺産群の全体像は、多くの日本人がこれまで結びつけて考えたことのない多様なものであった。

それらの中には、橋野鉄鉱山と製鉄遺跡(岩手県釜石市)(*3)のように、史跡として見事に整備されながら、しかしほとんどの日本人に知られないまま、ひっそりと年月を重ねてきたものがある。また佐賀の三重津海軍所跡(*4)は、文献資料上で知られながら、遺構としては今回の発掘調査ではじめて姿を現したものである。筑後川の河川敷に地下遺構として姿を現した、丸太を組んだドックの姿は感動的なものであった。

佐賀市の三重津海軍所跡(時事)

炭鉱の遺産としては、長崎県の端島炭鉱(軍艦島)や福岡県と熊本県にまたがる三池炭鉱が含まれる。これらの遺産は実のところ、今世紀の最初の数年間にいくつかのNPO団体が成立し、彼らが遺産への強い関心と敬意を表明するまで、廃墟として放置されていたものである。今回の世界遺産登録を炭鉱遺産に即してみると、それは廃墟を文化的遺産として認識する、日本では最初の試みということになる。

それとは全く逆に、八幡製鉄所(福岡県)や三菱長崎造船所の構成資産の一部は、現代日本の重工業を代表する企業の施設として、現に稼働しているものである。現役の施設を稼働させたままで遺産として認識する。このことも廃墟へのアプローチと同様に、文化遺産の概念における一つのチャレンジと言えるだろう。

非西欧世界における最初の産業化

このように多様な内容の、しかもかなり広範囲に点在する23の施設をつないで、その全体によって日本の近代化、産業化の意義をアピールしようとするアイデアは悪いものではない。そこには、たとえばドイツのツォルフェアアイン炭鉱遺産のように、単独で圧倒的な存在感を示し、アーティスティック(芸術的)とさえ言える空間を誇示するようなものはない。しかし、東アジアの一小国を舞台に展開された、西欧近代との最初の出会いから、重工業化の一応の確立に至る困難に満ちた複雑な過程を表現するためには、適切な戦略だったのではないだろうか。

日本における近代化産業遺産が世界遺産登録に価するという主張の根拠は、それが非西欧世界における最初の産業化の成功例であったということをおいて他にはない。そのこと自体は、多くの日本人には納得しやすいものだろう。

しかしこれまで、それを物的に証拠立てる遺産を示し、普遍的な(ということは世界を納得させる)説明を与える努力は、きわめて不十分であった。ユネスコに提出された公式の推薦書は、そのような説明の最初の試みと考えることもできる。それゆえ、推薦書作成にあたった専門家委員会における議論の雰囲気を伝えておくことは、何らかの意味があるかも知れない。

専門家委員会は、関係自治体が組織した世界遺産登録推進協議会のもとに設置され、日本側委員と海外委員によって構成された。そしてそこでは、両者の認識の微妙な差異も存在したのである。

「遺産の価値づけ」:求められた普遍的な説明

海外委員にとって分かりやすいシナリオの一つは、西洋と日本の出会い(それには戦争も含まれる)と、日本による西洋文明の受容というものであろう。幕末維新期の西洋との出会いを契機とする試行的努力の評価という点でなら、委員会の認識に齟齬はなかった。しかし萩の城下町や松下村塾(*5)を構成資産に加えるという考え方は、日本側委員に微妙な違和感を残したと思う。それは、西洋からの技術導入を可能にした全般的な基盤の存在という発想が、海外委員においてより重視されていたことを意味する。

逆の場合もある。遺産の名称は、はじめ「九州・山口の近代化産業遺産群」であった。西南雄藩の対外的危機感が、軍事技術を中心とする西洋文明の先駆的な受容をもたらしたというのは、日本人には自明視されがちな歴史認識である。しかし海外委員の目から見れば、それらは日本という枠組みの中に収まってしまうものであり、その中での九州・山口という差異は、ほとんど意味を持たなくなる。

そうした認識を背景に、橋野と韮山が加えられたのである。世界遺産登録が要求する普遍的な価値の説明とは、このように遺産の価値づけを、日本人にとっては自明という認識枠組みから解放することを意味するのである。

廃墟をめぐって:消滅した近代と文化遺産概念の拡張

近代化産業遺産群は、モノ作りが支えた日本の近代化の遺産である。しかし近年の日本で、鉱工業の就業人口割合は全労働人口の25%に満たない。今日の日本の実体経済は、情報・通信や金融、さまざまなサービス部門などで支えられているように見える。近代化産業遺産群は、現在のようなハイパー・モダンの時代から見れば、消滅した「近代」の遺産なのである。 

それはとりわけ炭鉱関連遺産群に顕著な特徴である。ここから、登録のお祭り騒ぎがすんだ後、遺産の価値認識に世代間の合意が成立し得るかという新たな課題が浮上する。端的に、多大の財政支出に関する合意が必要な保存の問題が迫っているのだ。

端島(軍艦島)を例に考えてみよう。端島が多くの観光上陸者を惹きつけてやまないのは、崩壊の危機に瀕している巨大なコンクリート建造物群である。それらの集合住宅は、財政と技術の問題から、すべてを現状通りに保存するのは困難と考えられている。しかし同時に、そのように崩壊の危機に直面している姿そのものが訴求力の根源でもあるというやっかいな存在なのだ。

多くの関係者は暗黙の内に、部分的な崩落のゆるやかな進行は許容せざるをえないと考えているだろう。だが、それを説明する理念的な枠組みは、文化財保護関係者、研究者、技術者、行政、市民のいずれによっても、いまだ提出されていない。保存に関する理念、予算、方法のどれ一つとっても、社会的合意形成への道筋は見えていないのである。立場や枠組みを超えた議論が必要であるが、そのプロセスは複雑なものとなるだろう。粘り強い努力が必要である。

そのことは、ユネスコ世界遺産委員会の審議を一時紛糾させ、根本的な解決には至っていない外国人労働者、とりわけ朝鮮人労働者をめぐる議論についても同様である。この場合も、問題は何をもって近代化産業遺産を価値づけるかにかかわる。

専門家委員会の共同議長の一人であったサー・ニール・コソンが指摘したように、戦争と無関係な重工業などどこにも存在しない。それと同様に、差別や抑圧を伴わない産業化もなかった。しかしそれらを含んで産業化を支えたのは、少しでもましな生活を切実に願う、ごく普通の人々である。彼らの労働が、事実として、少しはましな社会を造り上げ、私たちはその上に生活している。そのような意味での先人の努力に対する敬意以外に、私たちが廃墟を文化遺産と考える根拠は存在しないだろう。

敬意の根拠には、労働現場と居住空間の全体にわたる生活史を明らかにする努力が存在しなければならない。我々はすでに多くのことを知っているという地点から議論を始めるのは、傲慢(ごうまん)な態度ではないだろうか。

バナー写真:世界文化遺産に登録される「軍艦島」を船上から撮影する観光客=2015年7月6日(時事)

(*1) ^ 韮山反射炉 1853(嘉永6)年のペリー来航を受けて、徳川幕府直営の反射炉として築造が決定。57(安政4)年に完成。実際に稼働し、大砲を鋳造した。
萩反射炉 萩(長州)藩が築造。1856(安政3)年に操業されたとの記録が残っているが、現存のものは試験炉であるとの見方が有力視されている。

(*2) ^ 鹿児島の集成館事業 薩摩藩主、島津斉彬が1850年代に始めた西洋式工場群の建設事業。製鉄、造船、紡績に特に力を注いだ。

(*3) ^ 橋野鉄鉱山と製鉄遺跡 盛岡藩士の大島高任が指導し、建設された製鉄所の遺跡。1858(安政5)年から1860(万延元)年までに洋式高炉3基がつくられた。

(*4) ^ 三重津海軍所 佐賀藩が幕末期に整備した造船施設。1865(慶応元)年には、日本初の実用蒸気船「凌風丸」を建造した。

(*5) ^ 松下村塾 幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。その教育は、のちに明治政府の中心人物となった長州藩の指導者に大きな影響を与えた。

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  • [2015.07.29]

福岡市博物館長。九州大学名誉教授。1945年生まれ。専門は日本近代史。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。九州大学文学部教授、同大学院比較社会文化研究科教授を経て、2012年から現職。著書に『帝国の昭和』(講談社学術文庫)『「国際化」の中の帝国日本―1905~1924』(中公文庫)など。

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