「戦後家族の理想像」としての皇室と衰退する日本の家族

山田 昌弘【Profile】

[2016.10.11] 他の言語で読む : ENGLISH | FRANÇAIS | ESPAÑOL | Русский |

戦後、皇太子と美智子妃の恋愛結婚、その家庭生活は国民の理想となった。家族の在り方が多様化し、理想の家族像が持てない今の日本で、天皇の生前退位のお気持ち表明を家族論の視点から考察する。

家族社会学を専門にしていると、天皇一家のご様子も、つい家族社会学者の目で見てしまう。今年8月の生前退位のお気持ち表明も、以前述べられた葬儀や陵墓の簡素化に関するご意向も、少子高齢化が進む日本家族の在り方の先取りとみることもできる。

明治時代以降、天皇一家の生活の在り方は、日本家族のモデルとして機能してきた。そこで、天皇から見た日本家族の変遷、そして、将来の姿を考察してみよう。

皇族の間で一般的だった血族婚

今から1400年くらい前、天皇権力が確立していった時代(6~7世紀の飛鳥時代)から始めよう。当時は、一夫多妻であることはもちろん、皇族や豪族の間では、血族結婚が一般的であった。天武天皇は、兄である天智天皇の娘たち(姪)を妻にし、その1人、持統天皇が女帝として即位する。そして、持統天皇の息子(草壁皇子)は天智天皇の娘の1人(後の元明天皇)、つまり叔母と結婚している。さらに、兄妹(姉弟)でも異母であれば結婚ができた。現在、きょうだい、叔父叔母との結婚は禁止されるようになったが、「いとこ」との結婚が許されているのは、そのなごりである。

また、当時から平安時代(12世紀)にかけては、皇族や貴族の間では、「妻問い婚」が行われていた。男性が結婚相手の女性の実家に通い、子どもが産まれれば実家で育てる。一夫多妻であれば、男性は複数の家に順に通うわけである。男性の地位が上がると、男性は一家を構えて、妻子を引き取る(複数のこともある)。その様子は、11世紀の紫式部の手になる『源氏物語』に詳しく描かれている。

柔軟かつ多様だった庶民の「結婚」

貴族が弱体化し、武士(軍人)が政権を担うようになる鎌倉時代以降には、「妻問い婚」が廃れ、「嫁取り婚」、つまり、女性は結婚と同時に夫の家に同居するというスタイルが普及するようになる。つまり、日本の直系家族、「イエ」の始まりである。これは、中国の儒教の影響を受けたとされるが、娘に婿を取ったり、子どもがいない場合は夫婦養子を取ってイエを継がせるなど、血縁にこだわらない家族形成がなされていた。また、欧米と違って離婚も認められていた。

武士や貴族と違って、庶民の家族や結婚の形はもっと柔軟かつ多様だったと考えられている。江戸時代には、東北地方農村部の離婚率は約5割と現在の米国並みに高かった。日本の西南部では、「足入れ婚」といって試験的に女性が男性のイエに入り、家風に合わなければ結婚せずに別の嫁ぎ先を探すということも行われていた。また、鹿児島地方では、隠居制があり、子どもが結婚と同時に親夫婦は隠居して、別の世帯を構えるということが行われていた。今でも、鹿児島県で核家族率が高いのはそのなごりである。庶民の間では「夜這い」の習慣があるところが多く、自由に婚前の男女関係を楽しんでいた地域もあった。

このように、明治維新までの日本の家族の慣習は、時代、階層や地域によって多様であり、1つの家族形態をとって、これが日本の伝統的家族ですと言うことはできない。

明治維新と「イエ」制度の成立

明治維新後、日本で近代化がスタートする。それとともに、近代日本に適合的な家族の在り方が模索されることになる。その中で、天皇一家のライフスタイルが前面に出てくることになる。例えば、明治天皇は、断髪し洋装で表に出るようになった。当時、皇后は洋服を着るのを嫌がったという話も残っている。つまり天皇の衣食住の在り方が、人々が見習うべきモデルとなったのである。

そして、98年の民法制定にあたっては、日本の家族の在り方を巡って大きな議論が起きた。基本的には、江戸時代の武士の家をモデルとして「家長」の権力が強く、財産処分や子の結婚、離婚などは家長の権限とされた。イエの都合で嫁が一方的に離婚させられることもよくあった。一方、欧米のキリスト教に基づく近代文化を導入することも求められた。例えば、江戸時代までの日本社会では一夫多妻が認められていたが、キリスト教は厳格に一夫一妻で、原則離婚を禁じている。また、それまで日本には中国や韓国と同じく夫婦別姓が慣習としてあったが、欧米では夫婦同姓を規定していた。その中で、妥協の産物として、妾の子に家督相続を認める規定が盛り込まれる一方、欧米に倣って夫婦同姓を強制する規定などが、民法に盛り込まれたのである。

戦後家族のモデルとなった皇太子一家

1945年の敗戦後、大日本帝国の価値観が失われた。その時に、新たに日本人の心の拠り所となったのが、「豊かな家族生活」であった。それも、伝統的なイエではなく、夫が外で働き、妻が家で家事、育児にいそしみ、豊かな生活を築いていく。これは、当時の米国やヨーロッパで一般的な家族の在り方であった。これを「戦後家族モデル」と呼んでおこう。そして、その豊かな家族生活のモデルの1つとなったのが、新しい皇太子一家だった。

59年、当時の皇太子殿下(現平成天皇)が正田美智子(現皇后)さんと結婚し、翌年浩宮殿下(現皇太子)が誕生し、一家を構える。それは、まさに当時欧米で一般的であった「核家族」であった。

ご成婚当時は、見合い結婚はまだ多数派だった(57年、見合い54.0%、恋愛36.2%、「2015年出生動向基本調査」)。恋愛結婚が見合いを上回るのは、65年ごろである。お二人の結婚は、「テニスコートの恋」といわれたように、軽井沢のテニスコートで出会い、お互いが好きで選び合った恋愛結婚であることが強調された。恋愛結婚することが国民の憧れとなったのである。皇族も愛情に基づく恋愛結婚をしたという報道は、これから恋愛をしたいという若者たちを勇気づけたであろう。

ご結婚後初めてテニスを楽しまれる皇太子ご夫妻(当時)/1959年5月31日、時事

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  • [2016.10.11]

1957年東京生まれ。86年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。2008年4月から中央大学文学部教授。専門は家族社会学、感情社会学、ジェンダー論。著書に『パラサイト・シングルの時代』(ちくま新書、1999)、『少子社会日本 もうひとつの格差のゆくえ』(岩波書店、2007年)、『家族難民』(朝日新聞出版、16年)等。

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