東日本大震災から6年:新施設で開業した南三陸「さんさん商店街」、店主らの熱い思い
仮設からようやく移転、「ひとつの出発点としたい」

菊地 正憲【Profile】

[2017.03.10] 他の言語で読む : ENGLISH | FRANÇAIS | ESPAÑOL | Русский |

東日本大震災の大津波で壊滅した宮城県南三陸町。仮設店舗で営業を続けていた地元「さんさん商店街」が、かさ上げ台地に建設された新施設で再スタートを切った。いまだに町のインフラ工事が続く中、「復興の象徴に」と先行開業した。

初日は大勢の買い物客でにぎわい

2017年3月3日の文字通り「さんさん」の日に、東日本大震災の津波被害を受けた宮城県東部沿岸の南三陸町で、新しい商業施設「南三陸志津川さんさん商店街」が開業した。12年2月の仮設商店街の開業から5年を経て、ようやくかつての中心市街地で本格的な復活を果たした。この日は強い寒風が吹きすさぶ天候だったが、大勢の観光客や町民でにぎわった。

木の明るい色調が印象的な商店街は、建築家の隈研吾氏が設計。建材には南三陸産の杉を使用している。

「被災後6年間、皆で商売の再開を目指し、夢中で走ってきました。長い準備期間を終えて、滞りなくオープンの日を迎えられてうれしい」

商店街の店主らでつくる「南三陸志津川さんさん商店会」の阿部忠彦会長(54)は顔をほころばせた。

かさ上げ台地の上に建設、28店でスタート

新しい商店街は木造平屋の6棟で構成し、仮設商店街から約600メートル海側に位置している。全体の事業費は約7億円で、うち5億円を災害復興の公的補助金で賄った。飲食店、鮮魚店、衣料品店、日用品店、理髪店など28店が軒を連ね、うち23店は仮設商店街から移転し、5店が新たに入居した。

「南三陸志津川さんさん商店会」の阿部忠彦会長は「オープンにこぎ着けて、まずはほっとしています」

自ら茶製品店「阿部茶舗」を経営する阿部会長は、「これからが本当のスタート。厳しい経営環境の中で多くの課題を抱えていますが、商店主が一丸となって商売を繁盛させて、町民の期待に応えたい」と抱負を語った。

私は11年3月11日の被災直後のほか、13年3月に南三陸町を取材したが、現在は山沿いの地区で町の災害公営住宅(復興住宅)建設が格段に進み、町の光景は一変している。復興住宅用地の造成で出た土砂は、高さ十数メートルの津波で壊滅状態になった低地に次々とダンプカーで運び込まれ、天辺が平らな薄茶色のピラミッドのような台地をいくつも形作っている。

新しいさんさん商店街自体、宅地造成などで生じた土砂でかさ上げされた海抜約10メートルの台地の上にある。その西の下方には、津波の悲劇を伝える遺産として一時保存されている町防災対策庁舎が、かさ上げされた“ピラミッド台地”の間に埋もれるようにして立っている。

「さんさん商店街」の周囲に広がるかさ上げされた台地。右端に見える防災対策庁舎を除いて、大津波が襲った直後の面影はない。

経営環境「まだまだ厳しい」

4年前にも話を聞いたパン・洋菓子店「雄新堂」の阿部雄一(たけかず)社長(52)は、仮設のころの店舗面積を約2倍に広げて再スタートを切っていた。

阿部雄一さんが社長を務める1910年創業の老舗「雄新堂」。真新しいショーケースには、多彩な菓子類やパンが所狭しと並ぶ。

「あのころと同様、経営環境はまだまだ厳しい。観光客の少ない閑散期に売り上げを確保できるかがカギ。お客さんを待つのではなく、移動販売で地元のお客さんの所に出向くなどして、何とか乗り切りたいと思っています」

家賃が無料だった仮設とは違い、新設商店街は家賃制だ。月額約20万円の家賃、さらには数人いる従業員への給料を支払う重みや責任も同時に感じながら、経営努力を続けるという。

昨年5月に仮設商店街に買い物に来て以来、10カ月ぶりに商店街を訪れたという宮城県利府町の蓮沼聡(あきら)さん(46)は、町内の様子が一変したと感想を述べた。

「かつての中心街に、ひと気のない高台が広がっていることに驚きました。大都市の仙台市に隣接する利府からは車で1時間以上かかるし、町内の道路もまだ整備されていませんが、この商店街には、魚介類のような特産品がたくさんある。おいしいものがあれば、それを目当てに町外からお客さんが来るのではないでしょうか」

同町内では、小規模ながら4月にもう1カ所、志津川地区の北東に位置する歌津地区でも、商業施設「南三陸ハマーレ歌津」が新たにオープンする。「さんさん商店街」同様に木造平屋建てで、仮設の「伊里前福幸商店街」から移るなどして飲食、衣料品など8店が入ることになっている。

新商店街を「町再興のきっかけに」

志津川、歌津の両商店街の運営は、町や商店主らが出資するまちづくり会社「南三陸まちづくり未来」が担う。自らも「さんさん商店街」で食品店「マルセン」を運営する三浦洋昭(ひろあき)社長は、「過去のやり方では生き残れない」と気を引き締める。

「南三陸まちづくり未来」の三浦洋昭社長は、自宅や店舗、工場など9カ所すべての建物を津波で失った。商店街同様、自分の会社の施設も次々と再建している。

「各個店ともに新しい発想を次々打ち出さないと。新商店街開業に合わせて、需要の高いクリーニング店に思い切って業態転換した呉服店もあります。何もしなければ、何も生まれません。商人魂が問われると思っています」

こうして間もなく、南三陸の新しい二大交流拠点がそろうわけだが、あくまでも商業面で一歩前進したに過ぎない。長期の仮設住宅暮らしを強いられた被災町民の新たな生活基盤となる町営復興住宅はほぼ完成し、特産のカキやワカメの養殖をはじめとする漁業や港湾の復活も目覚ましい。だが、多くの復興工事はまだ完了しておらず、町役場でさえ仮庁舎から新築の本庁舎に移れるのは今秋の予定だ。もともと過疎化が進んでいた町の人口は、震災前の約1万7700人から1万3500人に落ち込んだ。65歳以上の人口の割合である高齢化率も3割を超している。

地元で最大級の宿泊施設で、被災後には避難所としても使用された「ホテル観洋」の米倉信一支配人は、新しい商店街の開業を町再興のきっかけにすべきだと強調した。

「最近では震災に対するマスコミの注目度は下がっています。うちも被災後2年ほどは工事関係者、行政などの視察者、観光客、ボランティアといった人々が大挙して訪れる『震災特需』がありましたが、ここ3、4年の宿泊客数は減少傾向。これからは地元の産品や観光名所をPRする新しいイベントを打ち出して、町外、県外、さらには海外のお客さんにもっと来てもらうべきです」

真新しい復興住宅:高齢者は「話し相手いない」

南三陸町志津川地区の高台にある町営の復興住宅。町内の他の復興住宅も含めてほぼ完成しているが、まだ仮設住宅に住む町民も多い。

宮川はき子さんは仮設住宅を出る際、同じ住民たちから寄せ書きの色紙をもらった。「家を流された悲しみはまだ癒えないけど、仲間がいたから頑張れた」

復興住宅が立ち並ぶ山間の地区も訪ねてみた。さんさん商店街からは1キロから2キロ離れており、しかも起伏が激しい道ばかりだから、車を運転しない高齢者たちが歩いて往復するのは困難だ。バス路線もあるが、バス停、本数ともに多いとはいえない。

そんな復興住宅にひと月ほど前、仮設住宅から息子や孫と移り住んだばかりだという宮川(みやかわ)はき子さん(82)は訴える。

「6年近く住んだ仮設住宅は、狭くて不便。でも、仲間がたくさんいて、昔の長屋みたいで寂しくはなかったっちゃ。今は真新しい家だけど、息子たちのいない昼間は一人っきりで、話し相手もいない。交通の便がもっとよくなってくれれば、商店街にもしょっちゅう行けんだけどね」

今も続く町のインフラ整備

町産業振興課の高橋一清課長は、町としての復興の見通しについて次のように説明する。

「商店街は『町開きの先行モデル』の位置付け。インフラが整った後に商店街を作るのが普通ですが、復興の象徴になってもらいたかったのです。町は今後1、2年かけて、国や県の協力を得ながら道路や公園、道の駅、交通機関などの周辺事業を相次いで整備、完了させる計画です」

新しい商店街が活気を呼び起こし、希望の光になったのは間違いない。だが、激烈な大津波で破壊された土地、そして肉親や知人、家を失った町民の心情も含めて、真の回復を果たすのは容易ではないとも実感する。被災者ではない外部の者たちは、せめて現地の今を想像し、注目し続けることが大切ではないか。ごう音を立てて目の前を盛んに行き交うダンプカーやトラックを眺めながら、改めてそう思った。

多数の犠牲者を出した防災対策庁舎の遺構。周囲の風景は様変わりしたが、被災当時の面影をなお残している。

穏やかな海に面した志津川地区の港。港湾施設の整備が進み、真新しい建物も増えた。

写真撮影(バナー写真除く)=筆者

バナー写真:「南三陸志津川さんさん商店街」のオープンを祝う式典=3月3日、宮城県南三陸町(時事)

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  • [2017.03.10]

ジャーナリスト。1965年北海道生まれ。『北海道新聞』の記者を経てフリーに。『AERA』『中央公論』『新潮45』『プレジデント』などの雑誌を中心に人物ルポ、社会派ルポなどを執筆。著書に『速記者たちの国会秘録』(新潮新書/2010年)ほか。

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