特集 グローバル化時代 大学の国際競争力
「アカデミック・ガバナンス」改革と国立大学ベンチャーファンドの行方

上山 隆大【Profile】

[2014.01.31] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | العربية |

“旧態依然”の運営にさらなる改革を迫られる日本の大学。改革の実現を阻む真の原因は何か。上山隆大・慶応義塾大学総合政策学部教授が分析する。

企業人からの大学運営に対する厳しい批判

2013年6月から7回にわたり、中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の大学分科会組織運営部会において、国立大学を中心とする日本の大学のガバナンス改革について議論がなされてきた。その結果として、12月24日に答申がまとめられた。

日本私立学校振興・共済事業団理事長の河田悌一氏(元・関西大学学長)を座長としたこの会合では、学界および実業界の有識者が集まり、日本の大学の硬直化した組織をどのように改革すべきかについて活発な議論が交わされてきた。何よりも問題となったのは、旧態依然として変わらない大学の運営システムに対する強い批判である。実業界のメンバーからは、日本の大学は社会からの付託に応えていないばかりか、そもそも健全な組織が有すべきガバナンスの体をなしていないという声さえあがった。

すでに高度知識基盤社会に突入した我が国において、グローバルな市場での生き残りを迫られている企業の現場は、高度な専門知識とクリエイティブな能力を備えた人材の育成を求めている。その期待に応えていない日本の大学は、運営システムの根本的な改革が必要ではないかというのである。

一方、大学関係者の中からは、企業人は大学という組織をそもそも理解できていないといった声や、利益を最大化することを唯一の目的としている企業とは異なり、大学のステークホルダーはさまざまであり社会の多方面のニーズへ応えなければいけない、いわばマルチな目的を持つ組織なのだといった反論がなされたが、その声は高まる批判の前に大きな説得力を持たなかった。

結果として、最終的な答申には次の論点が盛り込まれた。まず、大学の自己統治能力を高めるために、コーポレート・ガバナンス(企業統治)ならぬ「アカデミック・ガバナンス」の視点を導入する必要があるとされた。そして、そのためには学長を中心とした大学本部がより強固な指導力を発揮できる体制を構築すべきであること、また、米国の大学で学内の研究と教育の責任を担っているプロボストのような存在を設けるべきである、といった主張を中心にまとめられた(プロボストとは、大学の学長と各教員との橋渡しをする役割を果たす、教務担当の学長補佐のこと)。

日本の大学ガバナンスの硬直性

筆者はかねてから、日本の国立大学に自らの将来的ビジョンを作り出す力が欠如していることを実感し、大学のガバナンスとマネジメント改革が急務だと主張してきた。その意味で、今回の答申の方向性は間違っていないと考えている。それにしても、なぜ日本の大学は外から改革を求められ続けるのだろう。自らの力で組織を統治する権限と能力を与えられていないからだろうか。しかし、大学の現場を知れば知るほど、問題は法的な権限ではなく、法律と現実の乖離にあることが分かるのである。

日本の学校教育法92条には、大学の「学長は校務をつかさどり、所属職員を統督する」とあり、大学の学長は、行政機関の長と同じく「大臣またはこれに準ずる機関の長と部下の職員との関係」と同じ力を持っていると定められている。つまり、これらの法律により国立大学の学長には、一般企業ならびに行政府の組織と同様かそれ以上に、人事と組織統治に関する強固な権限が与えられている。法律にのっとるかぎり、学長に強い意志さえあれば、組織の改変も含めたいかなる改革も断行することができるはずなのである。

しかしながら、現実の大学本部 (office of president) に学内でイニシアティブを取るだけの力はない。それどころか、学部自治・学問の自由をうたい文句に、大学の意思決定が教授会を中心とした部局にほぼ完全に委ねられているために、大学全体の将来ビジョンを作り上げることは極めて困難だ。もし、そのビジョンが学部の利害に反するようなら、大きな抵抗が待っているからである。教職員の選挙で選ばれる学長の任期は、米国と比べると短く、学内の反発はそのまま学長の交代につながってしまう。上記の組織運営部会では、そのことを念頭に、元々は審議機関にすぎない教授会が実質的に決議機関となっている現状を変えるために、法律の文言の改正を行うべきだと主張する企業人も多かった。

だが、大学本部が強い指導力を発揮できない最大の原因は、本部に与えられている財務上の権限が限定されていることだと筆者は考えている。米国の大学では、授業料収入、寄付金、さらには競争的資金に付随して本部に納入される間接経費、大学基金の運用益などで構成される大学本部の資金が大きな基盤的経費となっており、それぞれの大学の将来計画を支える柱として活用されている。

一方、日本の国立大学の場合には、大学の最大の資金源は年度ごとに文科省から供与される運営費交付金である。しかもそのほとんどは、各部局での人件費と経費に配分されており、大学本部が独自の裁量で動かすことのできる経費は、米国のそれと比べてはるかに小さい。その財務基盤の弱さこそが、個々の大学から独自のマネジメントを発揮する力を奪ってきたのである。

米国の大胆な大学経営改革

もちろん、米国のエリート大学の多くが私立大学であり、国家的な人材育成の要請によって作られた日本の国立大学と比較することはできない。それでも、米国における研究大学の研究費の70%以上は、国立衛生研究所(NIH)、全米科学財団(NSF)、国防総省(DOD)などの連邦政府からの研究資金である。そして、歴史を振り返れば、この公的資金が急速に減少し始めた1970年代の中ごろから、各研究大学はその対応を迫られ、産学連携や研究成果の特許化を押し進め、加えて大学基金のグローバル投資によって巨額の運用益を獲得するようになった。つまり、大学が自ら経営上の大胆な自己改革を行ってきたのである。

大学のグローバル市場における現在の米国の優位性は、そうした改革の成果だと見るべきである。2000年代に入って、欧州諸国のさまざまな機関と中国の上海交通大学が発表し始めたグローバル大学ランキングでは、どの指標でも米国の大学がトップ20位内の3分の2を占めるようになっている。

日本では政府の政策と大学人の意識が乖離

では、グローバルに競争しなければならなくなった日本のエリート大学に対して、政府はどのように対応したのだろうか。法制面から見るならば、まず1998年に大学等技術移転法(TLO法:TLOはTechnology Licensing Organization「技術移転機関」の略)が制定され、同法に基づいてTLO事業の認定実施機関「承認TLO」が全国各地に設置された。また、1999年には産業活力再生特別措置法(日本版バイ・ドール法)など、米国流の産業育成法が相次いで制定された。さらには、2003年7月に、各国立大学に法人格を付与する国立大学法人化の法案が可決、2004年に法人化が実施されたことで、大学の「民営化」が本格化した。それでも、今回の答申が指摘するように、日本の大学はこれらの政策にうまく対応できなかったのである。

その主たる理由は、1970年代の後半から80年代にかけて米国のアカデミアで生まれた新たな知識基盤型大学政策を、歴史的文化的文脈の全く異なる日本の国立大学にそのまま適用し、その方針を唯々諾々と受け入れざるを得なかった大学人の意識がそれについて行けなかったからだろう。同時に、日本の大学にとって不幸だったのは、国立大学法人化という荒療治と、産業構造の知識基盤型社会への変化を求める政策とが、ほぼ同時期に重なったことである。米国ですら、70年代から80年代に約20年をかけて到達した新たなアカデミアの形を、いくつかの法律の可決だけで、ごく短期間に達成しようとした行政当局の稚拙さと、その政策的意図を真剣に受け止めようとしなかった大学人の側に、それぞれの立場で問題があったと言わざるを得ない。

そのため、上記の答申が日本の現在の硬直化した大学システムを根底から変えていく力を持つのかについては、予断を許さない。日本の大学行政の問題は、どこかの国で成功したその制度的な表面をなぞろうとする傾向が強いことであり、今回の答申も大学人の意識そのものに届かなければ、「絵に描いた餅」になってしまう恐れがある。

国立大学ベンチャー支援ファンドは成功するか

文部科学省の国立大学法人評価委員会の官民イノベーションプログラム部会において、2013年の春から年末にかけて作り上げられた国立大学法人法改正の政策も、また同じ轍を踏む可能性が高いのではないか。

新聞などの報道によれば、今回の案では、産学連携による研究開発をさらに促進するために国が国立大学に大規模な出資を行い、同時に、大学発ベンチャー支援ファンドに国立大学が投資できるように国立大学法人法を改正するという。その意図は、研究開発の拠点を、これまでの大企業を中心とした民間企業から、知識の基盤としての大学の研究へと軸足を移し、それによって新産業の創出を可能にすることにある。すでに2012年度の補正予算(2013年2月に国会で成立)で国から大学に総額1000億円の出資を行うことが盛り込まれており、出資先としては東京大学、京都大学、大阪大学、東北大学の各研究大学が指定された。

大学の基礎研究から、全く新しい革新的(破壊的)なイノベーションが生まれることが多いこと、それに基づく大学発ベンチャーが欧米とりわけ米国で活性化していること、その動きを大学として統括する組織力を高めなければならないことを考えれば、その狙いは決して間違いではない。

しかし、現在の大学人に、この構想を実現するだけの能力と気概があるだろうか。多くの大学での産学連携といえば、これまで通りの大企業との共同研究しか念頭にないだろうし、大学発ベンチャーとは、破壊的なイノベーションの発露というよりはむしろ、小さな技術に基づく社会のニッチを埋めるような活動としか見なされていないはずだ。米国で80年代以降に活性化したベンチャー企業のイメージは、そこにはない。現場の大学人の意識がそのような状態で、これほど大きな改革が実現できるであろうか。

今回の案ではまた、大学法人の担当理事と外部有識者で構成される「共同研究・事業化委員会」を大学内に設置することや、国から出資された100億円単位の資金を事業化委員会経由で投資ファンドへ拠出することも規定されている。その資金を、大学の研究成果を生かしたベンチャー企業へと出資するという。さらには、こうした活動から利益を上げ、大学の財務と国庫への返納を行わなければならないとも記されている。

だが果たして、今の大学のマネジメントとガバナンスの状態で、生き馬の目を抜くような激しい競争を勝ち抜くベンチャー企業を設立したり、大学外の事業化構想に出資したりするノウハウを大学本部が作り出せるだろうか。筆者はその実現については懐疑的である。

そもそも政策とは、それに関わるアクターたちのインセンティブを見極め、彼らの積極的な行動を促すことができるような組織の環境作りから始める必要がある。理想は理想でいい。だが、そこに至るプロセスの装置を構築することこそが、大学ガバナンス改革の実現に際してまず求められているのではないだろうか。

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慶應義塾大学総合政策学部教授。1958年大阪生まれ。スタンフォード大学大学院歴史学部博士課程修了(Ph.D.)。ロンドン大学・ウエルカム医学史研究所研究員、スタンフォード大学歴史学部・客員教授、上智大学経済学部教授・学部長などを経て、2013年から現職。主な著書に『アカデミックキャピタリズムを超えて:アメリカの大学と科学研究の現在』(NTT出版、読売・吉野作造賞)など。

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