特集 日本の戦後70年
「軍都」から平和の象徴へ—「外交ツール」としての広島

篠田 英朗【Profile】

[2015.08.14] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | العربية |

「軍都」から「平和記念都市」として復興を遂げた広島。日本の歴史認識が問われる今、被爆都市・広島の象徴的意味は重要さを増している。日本の平和主義の象徴としての広島を冷戦後の新たな文脈で再考する。

安倍首相にとっての「鬼門」

広島は、8月6日にある種の高揚を迎える。戦後70年を迎えた今年は、その雰囲気はさらに顕著であったかもしれない。安保法制と平和主義の関係が問われている中、あるいは国内的・国際的な「歴史認識」の内実が問われている中、広島が持つ象徴的な意味は高まってきている。

今年の平和記念式典には、約5万5千人が参列し、100カ国の駐日大使が列席した。米国が、キャロライン・ケネディ駐日大使とともに、ローズ・ガテマラー国務次官(軍備管理・国際安全保障)を出席させたことは、大きな話題となった。英・仏・露に加えて、インド、パキスタン、イスラエルも参列したので、核保有国で参列大使を派遣しなかったのは、中国だけであった。近年、アフガニスタンやルワンダといった紛争後国の駐日大使が繰り返し広島を訪れ、メッセージ性のある発言を行う機会とする場面も増えてきた。

安倍晋三首相にとっては、広島は鬼門になりつつある。2014年の式典での挨拶が前年度の挨拶と酷似していたために起こった「コピペ批判」をかわすため、挨拶の内容を一新した。すると今年は、「毎年首相が触れている非核三原則について触れなったのはどういう意図だ」、と批判されることになってしまった。被爆者との会合では、安保法案の撤回を求められ、防戦一方であった。しかしそれでも、愛国主義を前面に押し出す安倍首相にとって、8月6日に広島を訪問しない選択肢はないだろう。

平和記念資料館の修学旅行生来館者数は激減

広島の全てのホテルは、何カ月も前から、8月5日夜は予約でいっぱいとなる。8月6日は、広島では終日、各所でさまざまな団体によるさまざまな活動が行われる。伝統的な被爆証言集会だけでなく、政治的集会もあれば、文化的発表会のようなものもある。そして市民や訪問客にとっては、8月6日夕刻の灯籠流しこそが、最も参加しやすい年中行事だ。

当日目立つのは、外国人訪問客だ。平和運動家のようにプラカードを掲げる者から、短パンでリラックスした格好で観光を楽しんでいる素振りの集団もある。広島市・広島県の行政側も、平和記念式典を組織する活動に加えて、宮島などの広島の観光資産の訪問客への宣伝も怠らない配慮をしている。

筆者は、夜8時に原爆ドームと灯籠流し会場に挟まれた場所で収録されたNHK国際放送番組でコメンテーターを務めたが、英語であったため、日本人は足を止めてくれなかった。しかし、道行く外国人たちが聞き入ってくれた。

広島と言えば、日本国内のイメージでは、被爆者の証言を聞く修学旅行生の集団が、最初に思い浮かぶものかもしれない。しかし修学旅行で広島訪問をする者の数は、激減し続けている。広島平和記念資料館の来館者数データで言うと、1980年代を通じてほぼ50万人で全体の4割弱を占めていた修学旅行生の数は、2014年度には約30万人で、全体の23%にまで落ち込んだ。過去10年ほどの間での落ち込みが顕著である。

外国人観光客の間で高まる関心

それに代わって同じ期間に、毎年数十パーセントの高い増加率で増え続け、毎年過去最高を記録し続けてきているのが、外国人訪問者数である。2014年には約23万人の外国人が広島平和記念資料館を訪れ、来館者全体の約18%を占めるに至っている。外国人訪問者数が、日本人修学旅行者数を上回るような勢いで推移してきているわけである。

実際、たとえば毎月2億人が見るというWebサイト・トリップアドバイザー(米国)において、投稿数で算出した2014年度の「外国人に人気の日本の観光スポット」で、広島の原爆資料館・原爆ドームは2位であった(広島の宮島の厳島神社が3位となった)。2014年に京都・伏見稲荷大社に1位を譲った原爆資料館・原爆ドームは、実は2011年度から13年度にかけては3年連続で1位であった。なおアジア・ランキングの博物館・美術館部門で、原爆資料館は3位である。日本の施設の中では圧倒的な国際的知名度を誇っていることがわかる。

こうした流れをふまえて、広島では、2016年サミットに先立って開催される外相会議を、大きな国際的アピールの場としていこうとする機運が高まっている。もちろんそこで大きなテーマとなりうるのが、核軍縮の問題である。しかし、それだけではない。ここ数年で、広島県も広島市も、広島の「復興の歴史」を、外国人向けに説明するための方法を研究し、情報冊子を公刊してきたりしている。現代の紛争後社会の平和構築に貢献する歴史資産として、広島の意義を強調していこうとする流れである。

「反核運動」のメッカから平和復興のモデルとして

実は筆者自身がこうした動きと無関係ではなく、過去10年以上にわたり、国際協力機構(JICA)や外務省招聘の紛争後国(中東・アフリカ・東南アジア)の行政職員らに対する能力構築研修にかかわるたびに、広島・日本の歴史を教材として扱ってきた。筆者が自ら開発したテキスト類や画像資料やDVDなどを携えて訪問し、研修ワークショップなどを行った機会は、スリランカ、アフガニスタン、スーダン、シエラエオネ、リベリア、ボスニア・ヘルツェゴビナなど多数の諸国にまたがる。

日本国内において広島は、左翼的な「反核運動」のメッカとして理解される場合が少なくない。「広島には左翼的な人物が多いのだろう」、と信じている日本人に出会うことが多い(実際には、政治行動面では、広島は「保守王国」である)。平和主義の象徴としての広島が、冷戦構造の中で「平和主義=左翼的」と解釈されるようになったのだろう。日本国内における伝統的な広島のイメージとは、冷戦構造の中で培われたものであり、それは日本国内における左右イデオロギー対立と無縁ではありえなかった。

しかし冷戦の終焉とともに、伝統的な日本国内の広島のイメージも減退した。代わって意味を増しているのが、国際的な平和復興の一例としての広島であり、日本の平和主義の象徴としての広島である。国際平和について考えるために広島に行く、日本の平和主義について考察するために広島に行く、という行動が、国際的に合理性を持つようになってきた。

この記事につけられたタグ:
  • [2015.08.14]

東京外国語大学総合国際学研究院教授。1968年生まれ。専門は国際関係論。1993年早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。1998年ロンドン大学(LSE)で国際関係学Ph.D.取得。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、2013年4月より現職。著書に『平和構築と法の支配』(創文社、2003年/大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、2012年/サントリー学芸賞受賞)など。

関連記事
この特集の他の記事
  • 大衆音楽の「戦後」はいつはじまったのか?GHQ主導のラジオ番組「のど自慢」や進駐軍クラブから多大な影響を受けた戦後歌謡曲。しかし、敗戦で日本の大衆音楽が生まれ変わったわけではない。戦後初期に焦点を当て、戦後歌謡史を検証する。
  • 日ロ関係改善へ、もっと日本の‟独自色”を出せ!日ロ関係は、ウクライナ問題などの影響で膠着状態が続いている。この状況をどう打開し、新しい交渉の道筋を見出すか。今でもロシア中枢と深いパイプを持つ鈴木宗男・新党大地代表は、安倍晋三首相の決断さえあれば、新展開の可能性があると分析する。
  • 「戦後」はいつ終わるのか?—戦後70年を生きる若者たち豊かさに下支えされた「平和」な社会で高い幸福感を持つ日本の若者たち。だが、「戦後」を延命させようとしてきた90年代以降の政策のひずみは、確実に若者世代の将来をむしばむ。
  • 「富国」を追った70年戦後の日本経済は復興・高度成長の50年と、それ以降に大別される。筆者は「格段に速い成長の源泉は、1990年代には枯渇した」と指摘。成長パターン切り替えのためには制度の見直しが必要だと提言する。
  • 国交正常化後50年—「フラット化」する世界の縮図としての日韓関係戦後70年を迎えた2015年は日韓基本条約締結50周年でもある。歴史認識問題などで機能不全に陥った日韓関係を国際関係の構造的変化の中で捉え直し、新たな局面を切り開く道を考察する。 

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • シンポジウム報告