特集 天皇退位
皇室典範と退位特例法:「例外」が「先例」になる矛盾

笠原 英彦【Profile】

[2017.04.12] 他の言語で読む : ENGLISH | Русский |

天皇陛下の退位を可能にする法整備について、衆参両院の正副議長が3月中旬、「議論のとりまとめ」を首相に提示した。退位を定めていない皇室典範と「一体をなす」特例法で退位を認めることを柱とする。この国会提言には「例外がいつの間にか先例になる」矛盾があると筆者は指摘する。

進まなかった公務負担軽減

昨年8月8日、天皇陛下はビデオメッセージで加齢に伴う退位のご意向をにじませるお気持ちを表明された。陛下はこれまでも、前立腺がんの手術や心臓冠動脈のバイパス手術を受けられたことが報じられている。皇室のお世話役である宮内庁はご高齢の陛下のご体調を日々拝察し、ご負担の重い公務の見直しに努めてきた。

今上陛下は即位に際して日本国憲法の遵守を誓われ、象徴の立場から常に国民に寄り添いつつ、熱心に公務を果されている。近年は福島や熊本などの被災地を訪問され、被災者らを見舞われた。こうした象徴としての行為のうち、陛下はとりわけ戦没者の慰霊にお心を砕かれ、沖縄や広島、長崎など国内にとどまらず、先の大戦で激戦地となったサイパンやパラオなど遠く海外にも慰霊の旅を続けてこられた。

政府は天皇陛下の行為を3つに分類している。憲法の定める「国事行為」のほかに、象徴天皇の立場から行われる「公的行為」があり、この「国事行為」と「公的行為」を併せて公務と呼ぶ。宮中祭祀は憲法の「政教分離の原則」に基づき私的な行為とみなされ、「その他の行為」に分類されている。

「公的行為」は法律に定めはなく、それを行うか否かは天皇陛下のお考えしだいである。謹厳実直な陛下は、強い責任感と熱意をもって公務に臨まれてきた。陛下は国民のことを第一にお考えになり、宮内庁による公務の負担軽減の進言もお聞き入れにならなかったとされる。陛下は常に国民に対し公平な姿勢を貫かれ、そのために公務の負担軽減は遅々として進まなかった。

「女性宮家」が実現しない中、退位への思いは数年前から

一方、2011年9月に発足した民主党の野田佳彦内閣において、深刻な皇族の減少問題が政府の課題として急浮上した。高齢の皇族方の薨去(こうきょ)や若い女性皇族らの婚姻に伴う皇籍の離脱により、今後ますます皇族の減少が懸念される。皇族が減少すれば、これまでのような皇室の活動を維持することが難しくなるだけでなく、皇位継承資格者が払底し皇位継承の不安定化は避けられない。

同年10月上旬、当時の羽毛田信吾宮内庁長官が野田首相にこの問題を「火急の案件」として伝えた。野田内閣は翌12年に入ると、皇室制度のあり方について有識者ヒアリングを開催。女性皇族が婚姻後も皇室の活動を分担するとした場合の制度設計を検討し、10月に「女性宮家の創設」を盛り込んだ論点整理を公表した。しかし野田首相は11月、消費税引き上げ法案可決のため8月に自民党と約束していた衆議院解散に踏み切り、年末に総選挙が実施されたことから、女性宮家は実を結ばなかった。

その総選挙で民主党から自民党に政権が交代し、第2次安倍晋三内閣が発足した。同内閣でも引き続き皇族減少への対応や公務軽減が検討されてきたとされるが、表面上は大きな課題になっていなかった。そこへ突然、天皇陛下の「生前退位」のご意向が昨年7月に報道された。

8月に陛下のビデオメッセージが流されると報道は過熱し、国民もエモーショナルな反応を示した。元宮内庁参与など関係者らへの取材から、数年前より陛下は周囲に譲位への思いを伝えられていたことも明らかとなった。振り返れば、すでに15年12月23日のお誕生日に向けた記者会見で、陛下はご自身の加齢について率直に言及され、象徴天皇にふさわしい務めを果せる者が天皇の位にあるべきとのお考えを示されていた。

新旧の皇室典範は議論の末、退位を定めず

それでは今上陛下のご意向を忖度(そんたく)し、退位を実現することは可能であろうか。皇室典範第4条は「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と規定しており、皇位の継承は天皇が崩御したときのみに限定されている。ここにいう「皇嗣」とは、皇位継承順位第1位の皇族を指し、現在であれば皇太子殿下ということになる。

現行の皇室典範には退位に関する規定はない。陛下の退位を実現するためには、典範改正など何らかの法整備が必要である。皇室典範は憲法の下位法であり、改正には衆参両院で過半数の賛成により可決、成立すれば足る。現行の皇室典範は、多くの点で戦前の旧皇室典範を踏襲しており、天皇の終身在位制もその一つである。

新旧皇室典範のいずれの制定においても、終身在位制がすんなりと決まったわけではない。旧皇室典範は、大日本帝国憲法の発布と同じ1889(明治22)年2月11日に制定された。その立法作業にあたった法制官僚の井上毅(こわし)と華族の柳原前光(やなぎわら・さきみつ)は、古来の慣例である譲位の法定を主張したが、総理大臣の伊藤博文はこれに強く反対した。87(明治20)年3月の高輪会議において、井上らの譲位案は、大権を有し大元帥である天皇の政治利用を避けたい伊藤の強硬な反対により退けられた。

現行の皇室典範は、日本国憲法と同じ1947(昭和22)年5月3日に施行された。そこに退位の規定を設けるか否かについても、46(昭和21)年3月に設置された臨時法制調査会第1部会の小委員会で審議された。当時、退位の問題は昭和天皇の戦争責任とも密接に関係していただけに、その後の連合国軍総司令部(GHQ)との折衝や帝国議会での審議でも紛糾した。東京帝国大学教授の宮沢俊義ら法制局側の委員が退位の法定に賛成したのに対し、高尾亮一ら宮内省サイドはこれに反対した。一方GHQは、天皇の退位を認めると野心的な天皇が退位後、政治運動に乗り出すことを警戒していたともいわれている。

戦後の国会においても、天皇の退位に関する議論が繰り返された。現に84(昭和59)年、国会で80歳をすぎた昭和天皇の退位を巡って質疑が行われている。答弁に立った当時の山本悟宮内庁次長は、皇室典範に退位の規定がないのは、①退位を認めると上皇や法皇などの存在が弊害を生む恐れがある ②天皇の自由意思に基づかない退位の強制があり得る ③天皇が恣意的に退位できるようになる―という理由を挙げた。

天皇の意思による退位は、政治的権能を有しない象徴天皇を定める現行憲法第4条に違反することは間違いない。退位の是非は、天皇の地位の安定性を維持しつつ、その地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とする憲法の規定を踏まえて、広く国民的な議論に委ねるべきであろう。

皇室典範と「一体をなす」特例法という妥協の産物

陛下のお気持ち表明を受け、多くの国民はご高齢の陛下にこれ以上ご負担をかけるべきではなく、1日も早く退位していただきたいと考えているであろう。ご自身が築き上げてこられた公務を次世代に確実に引き継ぎ、その行く末を見届けたいとの陛下のお気持ちもよく理解できる。

しかしながら、現行の皇室典範は退位を想定していない。天皇に心身の重大な疾患や事故が生じた場合は、摂政を置くと規定しているのみである。象徴天皇制度の趣旨からいっても、天皇と前天皇が共存することは象徴や権威の二元化を招き、統合力の低下につながりかねない。これは明らかに「日本国民統合の象徴」という憲法の理念に反する。

政府が昨年秋に設置した「天皇の公務の負担軽減に関する有識者会議」は今年1月、専門家へのヒアリングなどを参考に意見集約を進め、論点整理を公表した。天皇の退位を巡り、皇室典範改正による退位の制度化、今上天皇一代限りの特例法、反対・消極論のほぼ3点に集約された。

これを受け、政府・与党は特例法、民進党など野党の多くは皇室典範の改正を主張し、与野党間では法形式が争点化した。衆参両院の正副議長のあっせんによる全党協議にも、こうした与野党の対立の構図がそのまま持ち込まれた。

民進党は、憲法第2条が「国会の議決した皇室典範の定めるところにより」との規定を額面どおり解釈し、特例法は憲法違反であると主張してきた。そのため、与党側は皇室典範の付則に特例法の根拠規定を設ける妥協案を示し、歩み寄りを模索した。

そもそも憲法第2条の規定は、旧皇室典範が議会の一切関与できない「皇室の家法」であったことに鑑み、新しい皇室典範を国会の統制下に置こうとする米国の強い意向を反映している。

そうした点からみれば、政府提出法案の上程前に国会が関与したことは重要であるが、衆参議長らが3月に取りまとめた国会提言は、妥協の産物とはいえ、例外がいつの間にか先例になるなど、あまりに矛盾が過ぎよう。(※1) 今回は可及的速やかな法整備を優先するにせよ、国会や政府はその後も退位と皇位継承の在り方をさらに議論し、「高齢」を退位の要件として、皇族減少問題の具体的取扱いを明確にすることが求められよう。

バナー写真:皇室典範原本の写し(アフロ)

(※1)^ (編集部注)国会提言は、特例法が皇室典範と「一体をなす」と典範の付則に規定することで、「①憲法第2条違反との疑義が払拭されること、②退位は例外的措置であること、③将来の天皇の退位の際の先例となり得ることが、明らかになるものと考えられる」としている。

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  • [2017.04.12]

慶應義塾大学教授。1985年、慶應義塾大学博士課程修了(政治学専攻)。法学博士。1988~89年、2000~01年に米国スタンフォード大学訪問研究員。著書に『皇室がなくなる日―「生前退位」が突きつける皇位継承の危機』(新潮選書、2017年)、『象徴天皇制と皇位継承』 (ちくま新書、2008年)、『歴代天皇総覧―皇位はどう継承されたか』(中公新書、2001年)など。

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