ルイス・ビッグス「芸術の力で都市を創造的に」
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斜陽化していた英国の都市を芸術で蘇生させたキュレーターが言った。
「芸術は必需品である、という考え方にとても引かれます。芸術はぜいたく品ではありませんから」
その人物とは、「第2回あいちトリエンナーレ」(2013年8月10日~10月27日、愛知県・名古屋市、岡崎市が共催)でキュレーターを務める4人のうちのひとり、ルイス・ビッグス氏だ。
ビッグス氏は、2000年から2011年までリバプール・ビエンナーレの芸術監督を務めた英国人キュレーター。第1回あいちトリエンナーレ(2010年)に招待客として訪れた際、トリエンナーレ芸術監督の五十嵐太郎氏から第2回のキュレーター・チームに加わるよう要請された。
ビッグス氏がリバプールを世界屈指の現代アート都市に仕立て上げた手腕を探ってみよう。
芸術作品を美術館の外へ
英国では1980年代、多くの都市が伝統的な製造業の衰退に伴う問題を抱え、経済の立て直しに苦しんだ。そんな中、都市再生の手だてとして、芸術と文化が重要な要素と考えられた。イングランド北西部の港町リバプールは、まさに芸術と文化が都市の活力を生んだ代表的な成功例だ。ビッグス氏はその中心的存在であるテート・リバプール(国立美術館)の館長を経て、リバプール・ビエンナーレの創設から参加し、10年以上も芸術監督を務めた。
「当初、最も頭を悩ませたのは、リバプール市民にどうやって芸術に触れてもらうかということでした。やがて、美術館というハコそのものが問題なんだと気づいたのです。多くの人々にとって、芸術の歴史も芸術それ自体も特に日常生活と関係がありません。芸術が生活の重要な部分を占め、美術館に行くのが幸せ、という人もいるでしょうが、それはごく一部。私は、芸術を美術館のハコの外に持ち出すことがベストではないかと思いました。私がテート・リバプールを辞める前に実験してみようと。作品を美術館の外に持ち出し、街の中に展示したのです」
作品を街頭に展示するという方法は、リバプール・ビエンナーレの大きな特徴だ。ビエンナーレは英国随一の芸術イベントとして定着し、リバプールが2008年の欧州文化首都に選ばれる決め手となった。
リバプールの経済を変えたインスタレーション
その2008年のビエンナーレでは、塚本由晴と貝島桃代の建築ユニット、アトリエワン(Atelier Bow-Wow)が『Rockscape』を制作した。ビッグス氏はこう振り返った。
「2人は何年も放置されていた空き地を見つけたんです。それは戦争の爆撃跡でした。立地としては町の2つの中心線が交わる重要な場所に当たります。彼らはここを野外劇場にしました。劇場といっても舞台はなく、“観客”はただ座って通りを眺めるだけ、という場所でした」
「しかしその後、残念ながらリバプールの都市計画担当者は、あの経験をまったく活かせていない。再びこの場所を爆撃の跡地として放置したままです。しかし、これを過ちだと考えず、これから何かを実現できる潜在力だと考えればいいのです!」
リバプールに大きなインパクトをもたらしたもうひとつの作品として、ビッグス氏はアントニー・ゴームリーの『Another Place』を挙げた。
「クロスビー・ビーチの1キロ半にわたって100体の鋳鉄製の像を配置した作品です。この写真は繰り返し使われ、イングランド北西部のビジネスや観光のセールスに役立っています。このインスタレーションにより、地元経済が2倍に拡大したとの推計もあります」
「クロスビー・ビーチは、アメリカへ渡った移民が最後に見たイングランドの風景でした。何百万もの人々がリバプールを通って新世界へと旅立っていったのです。作品はマージー川の河口にあります。いわば国を去ったすべての人々の記念碑です。これらの像を見ていると、ノスタルジーと同時に希望が感じられる。よりよい未来への希求にあふれています。私たちは皆、どこか別の場所を探しているのではないか。そんな果てしない希望の力を感じます」
あいちトリエンナーレでは解体前のボーリング場も会場に
あいちトリエンナーレもまた、芸術を公共の空間に持ち出すという手法をとる。このやり方が優れているのは、一般の人々の好奇心に訴えるからだ。必ずしも芸術に興味がない、通りすがりの人々にも作品を見てもらえることは重要だ。
しかし、都市空間の中に作品を展示できる場所を見出すのは容易ではない。狙い目は空きビルだ。あいちトリエンナーレでは、解体予定のボーリング場に多くのインスタレーションが展示される。アーティストは思い通りにスペースを使い、自由に表現できる。
「空きビルの中を探検するのはワクワクします。リバプール・ビエンナーレを多くの人が訪れたのは、見るチャンスのなかったビルの内部を見たかったからです。これは都会でしか味わえない体験です。いわばパブリックとプライベートの両方が見られる。誰でも他人の家を訪問するのは大好きですからね」
世界で最も美しい視覚文化を持つ国
ビッグス氏の初来日は1986年。ターナーの絵画展で訪れた日本に、すっかり魅了されたという。
「それ以来、できる限り日本と関わりを保つよう努めてきました。日本には世界で最も美しい視覚文化があるからです。どんな通りを歩いていても、人々が自分たちの空間を視覚的に美しくアレンジしているのがわかります。他の国には真似できないと思いますよ」
自分の仕事に“伝道者”の側面があると言ってはばからないビッグス氏。
「醜さは人々をダメにします。醜いものに囲まれて暮らしていると、心がダメになる。まるで刑務所みたいに見える都市もありますよね。そうならないように戦う価値はあるんじゃないですか」
あいちトリエンナーレなどのアート・フェスティバルが、私たちの環境にさらなる美を創造するのだとしたら、それが社会全体に利益をもたらすことは間違いない。
(2013年3月22日に英語で行ったインタビューより抜粋)