日本の世界遺産登録問題で「勝負」に出た韓国政府の戦略を読む

政治・外交

日韓の歴史認識をめぐる対立は、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録の場でも大きな波紋を生んだ。国際舞台で「徴用工」問題に新たな注目を集めることに成功した韓国政府の戦略を検証する。

2015年7月、ドイツのボンで開かれた第39回ユネスコ世界遺産委員会は、異様だった。言うまでもなく、先立つ5月にユネスコの諮問機関である「国際記念物遺跡会議」(ICOMOS)が登録を勧告した「明治日本の産業革命遺産」をめぐり、この場で日韓両国政府が激しく対立したからである。セルビア政府代表団が「自分たちの案件より日本の登録案件をめぐる韓国とのやり取りの方がよっぽど忙しい。2か国間で妥協点を見つけてほしい」と語ったことに表れているように、国際的にも大きな影響を持つ両国による活発なロビー活動は、関係国を困惑させることとなった。

しかしながら、この問題はどうしてこれ程までに大きくなってしまったのだろうか。ここではこの点について、主として韓国政府の立場から考えてみたい。

突然大きく変わった韓国政府の問題意識

さて、ここで一旦時計の針を戻して、この問題の出発点にまで戻ってみよう。そもそも今日の「明治日本の産業革命遺産」に連なる動きは、2000年代における九州自治体による近代化遺産に関わる振興活動に始まっている。この動きは2006年には関係自治体による世界遺産暫定リスト候補案の文化庁への提出へと結実し、文化庁は2008年にこれを世界遺産暫定リストに追加申請することを決定。翌2009年「九州・山口の近代化産業遺産群:非西洋世界における近代化の先駆け」は暫定リスト入りを果たしている。

その後2013年に入り、日本政府がこれを暫定リストの中から特に選択しこの年の「推薦候補」とすることを決定、翌2014年にその名称を「明治日本の産業革命遺産:九州・山口と関連地域」と改めた上で、推薦状を提出するに至っている。言うまでもなく、先のICOMOSによる登録勧告はこの日本政府の推薦を受けてのものである。

ここで重要なのは、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録までに、当初の九州自治体による活動から数えれば10年以上、世界遺産暫定リスト登録から数えても6年もの長い年月が経過していることである。にもかかわらず、この問題が日韓両国間の懸案として突如浮上したのは、2015年5月における登録勧告の後だった。言い換えるなら、ICOMOSによる登録勧告以前においては、この問題について韓国政府は活発な抗議活動を行っていなかったことになる。

もちろん、そのことはこの10年、あるいは6年の間に、日本政府が世界遺産登録を目指す「産業革命遺産」の内容が韓国政府を刺激する方向に変化した、ということではない。例えば、この問題を通じて脚光を浴びている端島(通称軍艦島)は、九州の関係自治体が世界遺産暫定リスト候補案を作成した当初から、このリストに入っていた。また、このリストに入っている端島が日本統治期の朝鮮人が戦時動員により働かされた場所であることは、既に2008年の段階で一部の韓国メディアにより報じられていたから、この問題が韓国において知られていなかったわけでもない。そのことは、つい最近まで、韓国政府はこの問題をさほど重要なものだとは認識していなかったことを意味している。

安倍外交の「成功」に焦燥感

それでは何故にICOMOSの登録勧告以降、韓国政府は突如、この問題を重要視するようになったのだろうか。当然のことながら、ここで考えなければならないのは、問題が深刻化した2015年5月の韓国政府がどのような状況に置かれていたか、である。

結論から言うなら、当時の韓国政府は日本との間に存在する歴史認識問題に関わる状況について、韓国国内の世論から強い批判を浴びていた。背景には、先立つ4月において日本の安倍晋三首相が展開した首脳外交が成功裏に終わったことがあった。即ち、安倍はアジア・アフリカ諸国会議60周年首脳会議において、自らの歴史認識を示す演説を成功裏に行うと共に、この場を利用して自ら首相に就任してから2回目の日中首脳会談を実現した。続いてワシントンに移動した安倍は、今度は米上下院合同会議にて同様の演説を行い、この演説もまた概ねアメリカ世論に歓迎されることになった。

このような状況、とりわけ安倍が自らの歴史認識を示した演説が中国を含む多くのアジア諸国と、アメリカの双方に受け入れられたことは、日本との間に歴史認識問題をめぐって競争関係にあり、また、主として従軍慰安婦問題をめぐって安倍との首脳会談を拒否してきた韓国政府に強い焦燥感をもたらした。世論の苛立ちも大きかった。日本との間の歴史認識問題をめぐる競争において自らが優位に立っていると認識していた彼らにとって、安倍の「成功」は衝撃であり、だからこそ彼らはこのような事態をもたらすことになった自らの政府に対し、強い不満を持つこととなったからである。

「歴史認識問題を担当するユネスコ」が安倍を支持したという認識

加えて、日中両国が首脳会談を行い、関係改善を演出した、アジア・アフリカ諸国会議60周年首脳会議開催時―この時期は韓国にとっては悪夢のようなセウォル号沈没事件の1周期とも重なっていた―に、朴槿恵大統領がこれとは全く関係のないラテンアメリカ諸国を歴訪していたことが、韓国世論の政府への批判を激しくさせるもう一つの原因になった。つまり「わが国の大統領は国内問題から目を背けるのみならず、外交面においてもピント外れに終始している」というわけである。

このような中、突如として行われた―と、この問題に無関心であった韓国人には映った―ICOMOSによる「明治日本の産業革命遺産」登録勧告は、韓国内において特殊な意味を持つこととなった。何故なら、彼らはこれを、「国連という最も重要な国際機関」において、「歴史認識問題を担当するユネスコ」が、日本、つまり安倍政権の歴史認識を支持したものだと、見なしたからである。即ち、韓国の人々にとって、ICOMOSによる登録勧告は、韓国が日本に対して歴史認識問題をめぐる競争で劣位に立たされていることの象徴だと映ったことになる。

だからこそ、韓国政府はこの登録勧告に対して猛烈な巻き返し工作に出ることになった。それは彼らが、ユネスコの世界遺産委員会を、日韓両国が国際社会の前で歴史認識問題をめぐる優劣を決着する主戦場の一つ、と理解したからに他ならない。

労働者動員問題における韓国政府のジレンマ

そして、韓国政府がこの問題を重要視したのにはもう一つ理由があった。それは少なくとも韓国国内の文脈では、「明治日本の産業革命遺産」をめぐる問題が、総力戦期の労働者動員をめぐる問題だと位置づけられていたことである。

周知の様に、2012年5月、韓国の最高裁判所である大法院が、元徴用工や遺族による新日鉄(現・新日鉄住金)と三菱重工を相手取った訴訟で、原告の請求権を認める判決を下して以来、韓国国内では総力戦期の労働者動員に関わる補償問題が日韓間の新たな歴史認識問題の重要イシューとして、浮上している。しかしながら、この様な状況は同時に韓国政府に深刻なジレンマをもたらしている。

裁判所が徴用工等の認定に積極である一方、1965年に締結された日韓基本条約の締結過程において、日韓両国がこの問題について正面から協議し、彼等への補償額が同条約によって韓国側に支払われた「経済協力金」の積算根拠の一つとなっていることは明らかだからである。だからこそ、慰安婦問題と異なりこの総力戦期の労働者動員をめぐる問題については、韓国の行政府は自らの立場を依然決めきれておらず、また、日本との間の交渉にも自信を持っていない。韓国政府に近い人々からは、万が一、元徴用工等をめぐる問題が、日韓基本条約の付属協定に記載される「仲裁委員会」に付されることになれば、韓国の勝ち目は極めて薄い、という声も聞こえてくるほどである。

「動員」ではなく現場の「強制性」が論点

このような中、突如として勃発した「明治日本の産業革命遺産」をめぐる問題は、韓国政府からすれば、自らにとって、国際法的に不利な状況にある、総力戦期の労働者動員をめぐる議論において、日本を押し返す絶好の機会であると映ったに違いない。そしてここにおいて韓国政府が選んだのが、総力戦期における朝鮮人労働者の労働環境の「強制性」に国際社会の目を向けさせ、これにより当時の日本政府の責任を、通常の国際条約の「例外」的なことであると印象付けることだった。恐らくその背景にあったのは、これまでの慰安婦問題をめぐる議論での韓国政府の経験であったろう。

よく知られているように、当初は動員時の強制性を中心とした韓国政府や運動団体の慰安婦問題に対する主張は今日では、動員先での強制性、言い換えるなら人権状況をめぐる議論へと転換されている。そして韓国政府は、この慰安婦問題で使われたロジックをそのまま徴用工等の問題にも応用することとなった。総力戦期の労働者動員においても終戦末期の法的な徴用によるものが明確なものを除けば、当時の朝鮮半島から日本への労働者の動員は、募集や官斡旋(企業等による募集を政府が手助けする形態)という法的な位置づけが曖昧な方法によるものが多数を占めており、動員過程における公権力によるむき出しの強制性を、日本に対してつきつけることは難しい。しかしながら、当時の朝鮮人が労働することとなった現場で明確な「強制性」があったなら、その不法性とそれに伴う賠償を別途議論できるかもしれない。

そしてその典型的な表れが、先のユネスコ世界委員会の直前に行われた日韓外相会談及びそれに引き続く交渉過程において、韓国政府が日本政府による声明文に “forced labor” という用語を入れることを要求したことだった。周知の様に、この ”forced labor” という用語は、国際的には国際労働機関(ILO)の「1930年強制労働条約」において違法行為を示すものとして、用いられているものであり、結局、両国は日本政府の声明文に”forced to work”という表現を使うという「玉虫色」の合意を行うこととなった。

国際社会の注目で韓国にとって「一石二鳥」の成果

しかしながら、結論から言えば、これにより日本による総力戦期の労働者動員の「強制性」を、国際社会の目前で議論の俎上に載せることに成功したことは、韓国にとって大きな成果となって現われた。何故なら、日本による総力戦期の労働者動員については、ILO等の国際機関において何度か議論されており、そこにおいて日本は大きく非難されることとなっているからである。

とりわけ重要なのは、1999年に出されたILOの強制労働条約の適用に関わる専門家委員会の報告書において、日本による非日本人に対する戦時動員は、その死亡率の異常な高さなどから、違法性が阻却される通常の戦時動員とは異なる「明らかな条約違反」とされていることである。当然のことながら、韓国側が日本政府との間の世界遺産問題に関わる交渉過程において、この報告書の存在を意識していた可能性は極めて大きい。

いずれにせよ重要なことは、韓国政府にとって「明治日本の産業革命遺産」をめぐる問題はそれ自身が重要であった、というよりは、国際社会において自らの歴史認識をめぐる争いで日本と互角以上に戦っていることを国内世論に対して見せ付けると共に、自ら抱える難問である徴用工等をめぐる問題の突破口を開くことのできる一石二鳥の出来事だったことである。そして実際、ここにおいて韓国は大きな成果を得ることになった。今後韓国側が積極的に提起するであろう、総力戦期の労働状況の「強制性」について日本政府はどの様な反駁を行っていくのか、注目したい。

(2015年8月10日  記)

タイトル写真=ソウル市庁前の広場で、「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録反対の署名をする市民ら(2015年6月17日、Yonhap/アフロ)
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