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彼らは “極悪人” なのか-子どもの虐待死と社会から「排除」された親たち

杉山 春【Profile】

[2018.08.31]

虐待を受けて亡くなった5歳女児の残した痛ましい「反省文」は多くの人の心を揺さぶり、政府は虐待防止の緊急対策を決定した。だが根本的な解決のためには、若い親たちが虐待に至った背景を知る必要がある。

2018年3月、5歳の女児が虐待を受けて死亡した。食事を満足に与えられず、「しつけ」の名のもとに暴行も受けていた。6月、警視庁は女児が鉛筆でノートにつづっていた「反省文」を公開、大きな波紋を呼んだ。

「……もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」

痛ましい内容が公になって間もなく、女児が住んでいた東京都目黒区のアパートの前には、次々と手を合わせる人たちの姿があった。この反省文がきっかけとなって子どもの虐待死を防ごうという声がわき上がり、政府も大きく動いた。児童相談所(児相)が子供と面会できなかった場合の立ち入り調査のルール化、警察との情報共有の条件の明確化などに加え、児相の職員を17年度の3200人から22年度までに1.6倍増の5200人にするなどの緊急対策を決定したのだ。

虐待を受けている子どもを救う仕組みの強化は重要だ。だがその上で、子どもがうまく育てられない親への支援構築が必要だということを忘れてはならない。子どもを虐待する親は、ある意味で孤立無援の「難民」なのだ。

児童虐待防止への法整備

日本で児童虐待が注目されるようになったのは、1990年代に入ってからだ。90年、児童相談所が児童虐待の相談件数の統計を取り始め、同年に大阪、翌91年には東京に民間の虐待防止団体が作られた。こうした虐待問題の取り組みの背景には「子どもの権利条約」批准を目指す動きがあり、94年、日本は同条約を批准した。

2000年11月には「児童虐待防止法」が施行された。日本社会は家族規範が強く、家族間の暴力に公権力は介入しにくかった。だが、この法律により、親が同意しなくても、虐待を受けた子どもを「一時保護」施設に入所させやすくなった。04年の法改正では、市区町村の児童虐待防止に努める責務が定められ、07年の改正では、指導に従わない親に対する児相の権限が強化された。

一方、虐待対応件数を見ると、児相統計の初年90年の1101件に対し、2017年には13万3778件(速報値)に上る。急増の背景には、虐待に関する知識が社会に広がり、虐待の相談、通報が増えたという面もある。厚生労働省が虐待死した子どもの数を公表するようになったのは、03年からだ。現在まで、親子心中による死亡を含めて年間50件から100件で推移している。

児童虐待に関する法整備が動き始めた2000年以降、私は3つの虐待事件について取材・執筆してきた。それぞれのケースから、虐待の背景を改めて探ってみたい。

疎まれて段ボールで息絶えた女児

最初に取材したのは、2000年愛知県武豊町にある大手製鉄会社の子会社の社宅で、3歳の女児が段ボール箱に入れられて餓死した事件。専業主婦の母親は長女が生まれた当時18歳だった。「男性は仕事、女性は家事育児」という強い役割分担を持つ夫に子育ての相談はできず、義理の母、実母との関係も悪かった。2人目の子どもを身ごもった当時、家計簿をつけて、出産後の生活が成り立つか一生懸命計算している。発達の遅れがみられる長女のために、保健師は市が運営する「ことばの教室」を勧めたが、50円のおやつ代を惜しんで参加しなかった。

父親も母親と同年齢で、正社員だが給料は手取り13万円程度。仕事熱心で、アスペルガー的な傾向があったという。ある時生後10カ月の長女を激しく揺さぶってしまい、頭部に損傷を負わせた。娘は病院で治療、退院後に発達の遅れが出た。夫婦は発育が順調な長男をかわいがり、娘を疎ましく思うようになる。父親は仕事と職場の人間関係に依存し、家ではゲームに没頭した。

母親は経済的に追い詰められた不安の中で行政とのコミュニケーションが取れず、適切な判断ができなくなる。孤立無援の中で買い物依存症になり、訪問販売で高額な布団をローンで購入、消費者金融への返済が滞る。

夫婦の鬱屈(うっくつ)、怒りは無意識に長女に向けられ、逆らう態度を示すと段ボールに閉じ込めた。娘は食べなくなってやせ細り、やがて絶命した。

孤立、追い詰められた果ての育児放棄

次に取材したのは2010年、大阪市西区の風俗店の寮で、3歳の女児と1歳の男児が50日間放置されて死亡した事件。当時23歳の母親は三重県内で育ち、結婚して20歳で子どもを産んだ。専業主婦時代には、住んでいた町の公的な支援を全て使っている。離婚後は子連れで名古屋のキャバクラ、大阪の風俗店と移動した。親族や行政にはほとんど頼らなかった。

3番目が14年、神奈川県厚木市で5歳男児の白骨遺体がゴミに埋もれた部屋で発見された事件。死んでから7年4カ月たっていた。父親は当時37歳、長時間労働のトラック運転手で、軽度の知的障害があった。妻は実家と折り合いが悪く、10代でトラック運転手のアパートに転がり込み、妊娠出産。子どもが3歳の時に出て行った。父親は妻がいないことを誰にも告げず、仕事をしながら2年間息子を育てた。

この父親は、高校卒業後専門学校に進んだが、片道3時間かかることもあり、間もなく中退してアルバイトを始める。やがて手に職をつけようと転職したが、収入は安定しなかった。前述のように軽い知的障害があったが、家族のサポート力も弱かった。そんな時に当時17歳の妻と出会い、やがて子どもが生まれる。夫婦は実家や消費者金融に借金を重ね、その結果実家との関係が悪化し、孤立した。

辛うじて正社員のトラック運転手として就職が決まったが、手取りは23万円から25万円、週6日勤務、長時間拘束の仕事だった。借金は解消できず、夫が子育てに時間を割けないため、夫婦関係は悪化した。妻は収入の不足分を補おうと、最初は子どもを家に放置してコンビニで働き始めるが、やがて風俗で働くようになり、ついに家を出る。一方夫は正社員の仕事を失うことを恐れ、長時間働き有給休暇も取らずに、妻が去った後の2年間一人で子どもを育てたが、力尽きて育児を放棄した。

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  • [2018.08.31]

1958年生まれ。雑誌記者を経て、フリーのルポライター。著書に、小学館ノンフィクション賞を受賞した『ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館、2007年)のほか、『移民環流―南米から帰ってくる日系人たち』(新潮社、2008年)『ルポ 虐待 ――大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書、2013年)など。

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