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シリーズ 太平洋の親日国家・パラオの真実
パラオという特別な友人に日本人はどう向き合うべきか

野嶋 剛【Profile】

[2018.04.19]

筆者はパラオで、戦前に日本人だった女性と出会った。彼女を通してパラオと日本の深いつながり、そして歴史を目の当たりにする。

花札に興じる「ふゆこ」さん

パラオのコロール市内にあるコミュニティーセンターで、3人のお年寄りの女性が花札で遊んでいた。日本の委任統治時代から伝わる花札は、パラオのお年寄りに人気のゲームだ。「スリーハンドレッド、テッポウ!」。花札の鉄砲という役(※1)を300点で数えていた。横に立って見ていると「日本人?座りなさい」と日本語で言われた。

その中の一人の女性が「私は日本人だったの」と口を開いた。名前を聞くと「くろみやふゆこ。本当は“ふよこ”だけど、パラオの人はふゆこと発音するのよ」。漢字でどう書くのかを尋ねると「漢字は分からないの。子供の時にパラオに残ったから勉強していないの」と答えて少し悲しそうな顔になった。

パラオの人々が遊ぶ花札

戦前、ふゆこさんは建築職人だった父親に連れられ、一家でパラオに暮らしていた。男5人と女5人のきょうだいの末っ子で、太平洋戦争が終わった1945年には、小学校に通い始めたばかりの歳だった。

ジャングルの洞窟に一家で隠れて生き延びた。お腹をすかす日々のわずかな食べ物を家族に優先して与え続けた父親は、栄養失調で亡くなってしまった。ふゆこさんは、地元のパラオ人の老夫婦に預けられた。

戦争が終わって日本人がパラオを離れる時、日本での生活の苦しさも予想される中、老夫婦の強い希望もあって、母親はふゆこさんをパラオに残すことに決め、「必ず迎えに来るね」と言い残して日本行きの船に乗った。

「てるこ、みやこ、えいこ、ひさの、よしはる…」。きょうだいの名前は覚えていたが、ほかの日本語はどんどん忘れていった。ふゆこさんは、パラオで成長し、パラオ人の事務職の男性と結婚したが、男性はすぐに亡くなり、ペリリュー島の男性と再婚した。「ひろいち」という名字の男性だった。パラオでは、日本人の名前を名字にしている人が少なくない。

その男性にも先立たれたふゆこさんは、いまはコロールで娘と暮らしている。月曜日から金曜日まで、コミュニティセンターで午前中はほかの高齢者たちと花札を楽しみ、お昼のお弁当を食べて家に帰るという日々だ。

諦めた日本での暮らし

1960年に、長男を連れて日本を訪れた。日本語は「ありがとう」と「こんにちは」しか覚えていなかった。

「お母さんは、わたしをぎゅうっと抱きしめて、恨んでない?ごめんね、って謝ってくれたの。私も泣いた。お母さんも泣いた。お母さんも悲しかったんだねって思ったの。私も苦労した。お母さんも同じ。パラオのおじいさん、おばあさんも同じ。だから誰も恨んでないのよ」

花札をめくりながら、ふゆこさんは、かわいらしい日本語で語った。

日本に戻って暮らすという夢は諦めた。「私はほとんどパラオ人になっていたの。日本に行った時、私はもう日本に合わない、暮らせないって思ったの」

それでも、ふゆこさんはパラオの日本料理店で働くようになり、日本語の上手な店主のパラオ人と日本語で会話しながら、少しずつ日本語を思い出していった。いつも家ではテレビで日本のドラマを見ている。分かる言葉と分からない言葉があるが、「いつもテレビで日本の映画を見るたびに、日本のごはん食べたいなあって思った。特にね、漬物が食べたいのよ」と笑った。

「ごめんなさい、バス乗らないといけないから。今度日本にいったとき、あなたに案内してもらえるかしら。桜が見たいの、まだ見たことがないから。何度か日本に行ったけれど見たことがないから」。そう言い残して、ふゆこさんはコミュニティセンターの送迎バスに乗り込んだ。

コミュニティセンターのバスに乗り込むふゆこさん

訪問客が必ず通る「日本・パラオ友好の橋」

彼女との短い対話で強く実感させられたのは、日本という国がかつてパラオに深く関わっていた、という当たり前の事実である。日本の戦前の対外進出について、中国、満州、朝鮮半島、台湾が強調されることが多く、「南洋」にも日本が足跡を残していたことは、しばしば忘れられがちだ。

しかし、パラオには、本連載7回目で紹介したように、戦争に巻き込まれて日本に戻れず、日本を想いながら、懸命に生きてきた人たちがいた。彼らは、満州で数多く生み出された残留孤児のパラオ版である。

日本が統治・占領した土地には、日本に対して好意的な感情を持っているケースと、そうではないケースがある。好意的なところとしては台湾が思い浮かぶが、台湾では戦後、抗日戦争を経験したこともあって世代的には年齢が高い世代と、日本への旅行や日本文化を愛好する若い世代の二極構造の親日になっている。パラオの場合は、日本の委任統治を経験した世代(本連載6回目参照)を筆頭に、若い世代まで満遍なく親日感情が共有されている。

こうした好感情を土台に、戦後の日本の貢献もパラオの人々には確実に伝わっている。

パラオの空港はパラオ最大のバベルダオブ島にあり、中心都市のあるコロール島との間には、海を越える400メートルの長い橋が架かっている。日本の無償援助で2002年に建設された「日本・パラオ友好の橋」と呼ばれるこの橋は、パラオ訪問客は必ず通ることになる。

私は取材もあって何回もこの橋を通ったが、通るたびにタクシーの運転手から「日本が橋を架けてくれた。以前は韓国の企業が建設した橋だったが、手抜き工事で崩落した。いい橋を造ってくれて、日本に感謝したい」と言葉をかけられた。手抜き工事かどうかは別に、韓国企業が架けた橋の崩落事故の後に日本の援助で建設されたのは事実だ。

コロール島とバベルダオブ島を結ぶ「日本・パラオ友好の橋」

ほかにも、2015年の天皇皇后両陛下の訪問後、その4月9日がパラオで祝日となっていることにも驚かされた。前の歴史を生かしながら、戦後の関係を積み上げていくことの重要さを改めて感じさせられた。

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  • [2018.04.19]

ニッポンドットコム・シニアエディター。ジャーナリスト。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。在学中に、香港中文大学、台湾師範大学に留学する。1992年、朝日新聞入社。入社後は、中国アモイ大学に留学。シンガポール支局長、台北支局長、国際編集部次長等を歴任。「朝日新聞中文網」立ち上げ人兼元編集長。2016年4月からフリーに。現代中華圏に関する政治や文化に関する報道だけでなく、歴史問題での徹底した取材で知られる。著書に『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『故宮物語』(勉誠出版)等。オフィシャルウェブサイト:野嶋 剛

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