鹿児島・奄美のシマ文化を次世代へ―モノクロームが伝える故郷のルーツ
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70年ぶりの里帰りに沸く
民俗写真家の故・芳賀日出男氏は1955~57年の九学会連合による共同調査で通算182日間、米国統治から日本に復帰して間もない奄美群島に滞在。各島の風習、風俗、信仰、伝統芸能などを500本以上のネガフィルムに収めた。
フィルムは年月を経ると劣化が進むことから、長男の芳賀日向さんが代表を務める芳賀ライブラリー(東京都)はニッポンドットコムの協力の下、デジタル画像化に着手。全データを2025年7月、奄美市の奄美博物館に寄贈した。同年10月には、群島をカバーする南海日日新聞が、その民俗写真を紹介する連載を開始。当時の風景を読者に届けた。

寄贈写真で奄美群島の戦後をひもとく連載「よみがえるシマの風景」 ©南海日日新聞

上から、奄美市に写真データを手渡す芳賀日向さん(右)、沖永良部では島民が歓待(共にニッポンドットコム編集部撮影)
芳賀ライブラリーは撮影点数が多い奄美大島の宇検村、沖永良部島の和泊町と知名町にも、地元の写真データを寄贈。さらに、報道で知った与論町からも要望を受け、間もなく里帰りさせた。
与論町教育委員会では2020年から、与論島の歴史・文化に関する写真資料の収集に注力していた。活動の中心となるのが、琉球大学(沖縄県)や国立歴史民俗博物館(千葉県)、地元NPOらと立ち上げた市民参加型プロジェクト「自然と暮らしを考えるゆんぬ古写真調査」である。
26年2月の「ゆんぬ古写真展」では芳賀作品が目玉となった。与論町教育委員会学芸員の南勇輔さん(33)は、前年に国史跡の指定を受けた与論城跡の写真について「削られた石垣などが鮮明に写され、知りたかった情報が押さえられている」と資料的価値を評価し、パンフレットにも掲載した。
与論城は沖縄本島以外では最大の琉球式グスクだが、15世紀初頭に築城された後、わずか10年ほどで廃城。全容は謎に包まれ、調査・研究が続いている。
70年前の与論城跡。芳賀氏は九学会の調査のため考古資料なども撮影した(芳賀日出男撮影)
城跡の高台から沖縄方面の眺め(芳賀日出男撮影)
写真を通して平和な暮らしの価値を知る
沖永良部島では3月までに、撮影地の集落など7会場で写真展を開催。和泊町では生成AIによるモノクロ写真のカラー化や、現況写真と見比べる展示を試み、当時を知る世代の記憶を鮮明に呼び覚ました。
「幼い頃の生活が昨日のことのように思い出されて涙が出た」(80代)と戦前戦後世代は懐かしんだ。若い世代にもノスタルジーを抱かせ、「暮らしは大変だったかもしれないが笑顔ばかりで、見ているこちらも幸せな気持ちに。知っている人を探す楽しみもあった」(40代)など、写真展は故郷の原風景に触れる機会となった。
知名町の2会場ではお年寄りが子どもと交流し、地下洞で湧き水をくむなど昔の暮らしぶりを伝えた。語り部の一人、村田裕子さん(90)は「今はスイッチ一つでお風呂に入れるほど豊かになったけれど、戦後は衣食住全てが不足していた。子どもたちにはこういう時代があったこと、何より平和のありがたみを知ってほしい」と話した。
左から、集落の水場だった知名町の住吉暗川(くらごー)と和泊町のワンジョ。湧き水は水道のない時代のインフラだった(芳賀日出男撮影)
村田さんに話を聞いた中学生の市來夕波(いちき・ゆうは)さん(14)は「昔の学校は給食がなくて、サツマイモをお昼にする子や、外で遊んで空腹を我慢する子もいたという話が印象に残った」と、食糧に不自由しないありがたさをかみしめていた。
写真が呼び起こす当時の記憶
沖永良部では稲作やユタ(民間の霊媒師)の儀式など70年前の民俗がほぼ途絶えており、郷土史家の先田光演さん(83)が中心となって写真に解説文を付けた。「高齢の島民にしか分からないことには詳細を加え、観賞者が雰囲気を想像しやすくした。写っている人たちの話し声や笑い声、周囲のざわめきまでよみがえってくるようでしょう?」という先田さんの言葉通り、来場者は記録の価値を実感していた。

左:被写体と推定される人物名を書きつけた展示パネル(和泊町教育委員会提供) 右:来場者からさまざまな情報が寄せられた(著者撮影)
さらに来場者に解説を補うよう呼びかけ、被写体の人名など詳細の心当たりを付箋に書き残してもらった。この試みについて、和泊町歴史民俗資料館専門員の伊地知裕仁さん(45)は「名前が分かると記憶がよみがえりやすい。写っている店の名前など不明だった場所が判明したり、婚礼写真では花嫁本人が名乗り出てくれて貴重な話を聞いたりできた」と成果を語る。
知名町町誌編さん室の森田太樹さん(48)は「芳賀さんの写真は、言葉では伝えにくい生活の様式も一目瞭然。制作中の町誌にも掲載していく」と言う。
「ヤーミシ」という婚約式(左上)や祝言には大勢の人が集まった(芳賀日出男撮影)
写真の活用、新たな展開も
今後の展開について、和泊町教育委員会の太剛志さん(43)は「展示解説のおかげで、教材としても活用しやすくなった。来場者からは手元に残したいとの要望が多かったので、写真集も制作したい。島外でも写真展を開いて、全国にいる出身者に見てもらい、その方々が持つ昔の写真を掘り出せたら」と広がりを期待する。
沖永良部方言の継承活動にも一役買いそうだ。高度成長期の方言撲滅運動の影響で衰退した「シマムニ」は、現在、ユネスコにより消滅危機言語に指定されている琉球諸語「国頭(くにがみ)語」の一つ。保存・継承に取り組む「島ムニむんちゃの島ムニ保存会」会長の田中美保子さん(66)は「写真を見ると、その頃に聞いた昔話やシマムニを思い出しやすい。ご年配の方々に観賞しながら語り合ってもらい、失われた言葉を掘り起こす機会にしたい」と意欲を見せる。
沖永良部島の昔話「むんがたい」の朗読風景。聞き書きの記録は残るが、抑揚やアクセントは当時の記憶が頼り(芳賀日出男撮影)
奄美群島は2017年、亜熱帯照葉樹林やサンゴ礁など多様な生態系と、人の生活・伝統文化が共存する「環境文化型」の国立公園に指定。21年には奄美大島と徳之島が世界自然遺産に登録され、国内外から注目を集める。26年度には奄美博物館が写真展を予定しており、多くの来島者がシマ文化を目にする機会となりそうだ。70年前の写真は時間と海を超え、島民が大切にしてきた自然と共に生きる文化を伝えていくと期待されている。
九学会連合は57年の調査時に記録写真を展示した。カメラが珍しかったこの時代、島民に喜ばれたことだろう(芳賀日出男撮影)
※文中のモノクロ写真は芳賀日出男撮影(1955-57年)
取材・文・撮影=栄 麻紀子(南海日日新聞)
バナー写真:知名中学校の写真展で、生徒に1950年代当時の生活を説明する高齢者(著者撮影)












