ニッポンの城

【日本100名城®】宮崎県・飫肥城

歴史

薩摩国(現在の鹿児島県)との境界近くに位置する飫肥(おび)城は、鎌倉時代から続く名門武家である島津氏と伊東氏が長年、所有権を争った。最終的に豊臣秀吉が伊東氏を城主と定めて城下町が発展、その街並みは現代まで残っている。

宮崎県・飫肥城

  • 築城年:14世紀、1686年
  • 初代城主:不明(土持氏)、伊東祐実(いとう・すけざね)
  • 主な見どころ:大手門(再建)、松尾の丸、歴史資料館、本丸跡など
  • 料金:飫肥城有料6施設共通券800円
  • 所在地:宮崎県日南市飫肥10丁目
  • 公式HPなど:飫肥城下町保存会

島津氏と伊東氏が長年奪い合った城

飫肥城は14世紀に土持氏が建てたといわれる。日向国(現在の宮崎県)南部という立地は、薩摩国との境界に近く、15世紀以降は、薩摩の島津氏と日向の伊東氏の間で奪い合いが続いた。その後、島津氏に敗れて豊臣秀吉に仕えていた伊東祐兵(すけたか)が九州平定で功績を挙げ、秀吉から1587年に飫肥城を与えられてからは、伊東氏が代々城主を務めるようになる。1660年代の地震で被災したため、1686年に祐兵の曾孫(ひまご)の伊東祐実が幕府の許可を得て大規模な改修を行い、石垣を取り入れた近世城郭の形に整えた。

伊東氏は鎌倉時代から約800年続いた家柄で、甲冑(かっちゅう)、刀剣、武具、古文書、衣服などが数多く残されており、城内に設置された飫肥城歴史資料館で展示、保管されている。また、飫肥市内には、武家屋敷や伝統的な商家なども残っており、九州で最初に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

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バナー写真: 飫肥城大手門(PIXTA)

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