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特集 日本の財政・健全化への課題
なぜ日本の消費税率はOECD平均を下回っているのか?

木寺 元【Profile】

[2018.04.26]

現在の日本の消費税率(8%)は、他の先進諸国と比べてもかなり低い。その理由は、戦後長く続いた大蔵省(現・財務省)の「所得税中心主義」、そして一般消費税導入・税率引き上げを目指した歴代政権が選挙に負け続けたことが挙げられる。

「日本の消費税率は将来的に、経済協力開発機構(OECD)の加盟国平均の19%程度まで段階的に引き上げる必要がある」。今年4月、OECDのグリア事務総長は、麻生財務相にこう提言した。日本の厳しい財政事情にあって、なぜ日本の消費税率はOECD平均を下回っているのか。日本政治の意思決定構造の変遷を確認するとともに、そのプロセスをひもときたい。

所得税中心主義と官僚たちの時代

「幼稚な租税制度」。カール・シャウプ(※1)は、それまで日本が馴染んでいた間接税中心の租税制度をそう表現し、戦災の爪痕残る日本を後にした。

戦前の日本は、酒税などにみられる間接税中心主義であった。戦時中、戦費調達のために所得税の増強が図られ、所得税中心の税体系に転換したものの、この戦時税制は、名目所得を課税単位としたために、戦後のインフレにあって国民を苦しめた。一方で、連合軍総司令部(GHQ)はインフレ抑制のため、減税を認めない。そこで大蔵省は、間接税に頼る。取引高税である。製造・卸売・小売の各取引段階に課税するこの間接税は、しかし中小事業者から猛烈な反発を招き、わずか1年半で撤回されてしまう。

こうした中、戦後日本の税制を諮問するためにシャウプを長とする使節団が来日する。シャウプ使節団は勧告で、「近代的な制度」である所得税を税制の中核に据えた抜本的な見直しを提言した。この勧告は、1950年の税制改正によってほぼ実現された。当時取引高税を担当し、後に主税局長まで務める塩崎潤(※2)は、所得格差の解消に資する所得税の優位性を次第に認めるようになり、シャウプ勧告によって民主主義の理屈を学んだ、とまで語る。こうしてシャウプ勧告は大蔵省主税局に所得税中心主義を植え付け、戦後日本の税制を方向付けた。

GHQが去った後、税制の主導権は主税官僚が握った。主税局が事実上コントロールしていた政府税制調査会(政府税調)が、政府の税制改正に関する最高の意思決定機関となった。54年にフランスで導入された付加価値税(VAT)が世界に広がっても、主税官僚は所得税中心主義を守り、その累進税率の調整による格差解消と減税による国民負担の軽減を機関哲学とした。不況による戦後初の国債発行を受けた66年の税制改正でさえ、大蔵省は所得税減税を実施している。

消費税導入と党税調の時代

「首相のような税の素人は黙っておれ」。“党税調のドン”と呼ばれた山中貞則(※3)はそう言い放ったという。

55年体制下で一党優位体制が確立すると、自民党内に「族議員」が誕生した。また、高度経済成長が終わると、税収の自然増を前提とした利益配分型政治が行き詰まりを迎え、その代わり税制特例や免税、減税と言った租税政策の重要性が増した。1970年ごろには自民党の税制調査会(党税調)が省庁間・業界間の利害対立の調整を行い、特例や免除も含めた税制の細部に影響を及ぼし始めた。特に少数の幹部たちは「インナー」と呼ばれ、官邸も口を挟めないほど、その政治力を強めていった。こうして自民党は、それまで大蔵省が担ってきた租税政策の主導権を奪っていった。

所得税の不公平感や国債発行の常態化に伴う安定した税収の必要性が叫ばれるようになると、主税局は間接税に目を向け始めた。しかし当時の間接税は、自動車、酒など品目を一つ一つ指定する個別消費税であった。関連する業界が結束し多くの政治家が動くと、わずかな品目、わずかな税率であっても、税制の改正作業は難航した。主税官僚たちは個々の業界対応に忙殺されていくうちに、全ての商品やサービスに一定の税率を課す一般消費税の導入に心が傾いていく。

主税官僚が当初頼ったのは首相であった。機を見て首相を説得し、大平正芳は80年度からの実施を目指すことを閣議決定する(79年1月)。中曽根康弘も、85年のレーガン大統領の税制改革に強い影響を受け、一般消費税導入を含む税制の抜本的な改革に意欲を見せた。しかし、ともに有権者の強い反発を受け、大平は79年の衆院選で、中曽根は87年の参院補欠選挙および統一地方選挙で敗北。実施を断念した。

中曽根に次いで首相に就任した竹下登も一般消費税の導入に前向きであった。党税調を率いる山中も、中曽根を税の素人と痛罵したものの、一般消費税自体には理解を示した。中小企業や流通業界の反対こそが中曽根の失敗の原因と見てとった山中は、党税調で各業界団体のヒアリングを丁寧に行い、独占禁止法が禁止する価格カルテルの時限的容認、その他さまざまな中小企業特例を繰り出した。次第に業界は懐柔され、反対意見は弱まった。88年、昭和最後のクリスマスイブに、消費税法案は成立した。それでも翌年の参院選で自民党は大敗を喫するという代償を払った。

山中貞則自民党税制調査会会長(左)と会談する竹下登首相=1988年5月18日、東京・首相官邸。自民党税調は6月に3%の消費税を導入する「税制改革大綱」を決定。関連法案は12月に可決、成立した(時事)

しかし、党税調はその後も権勢を保持し続けた。00年代前半、構造改革を掲げた小泉純一郎首相もまた税制論議を党税調に委ね、指導力を発揮しようとはしなかった。

消費税の『導入』と『増税』の歴史

(※1)^ 米国の経済学者、コロンビア大学教授(1902-2000)。

(※2)^ 大蔵官僚を経て自民党の衆院議員となり、経済企画庁長官、総務庁長官を務めた(1917-2011)。

(※3)^ 自民党の政治家(1921-2004)。防衛庁長官、通産相などを歴任した。

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  • [2018.04.26]

明治大学政治経済学部准教授。専門は政治学。1978年、東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。博士(学術)。北海学園大学法学部准教授などを経て、2014年から現職。著書に『二つの政権交代 政策は変わったのか』(勁草書房、2017年。共著)などがある。

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