安倍政治を振り返る

検証アベノミクス:若者に希望を与えるも成長戦略は財政出動に変質

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筆者は、第1次安倍内閣の時に経済財政担当の統括官として内閣府に入り、第2次安倍内閣のアベノミクス策定に事務次官として参画した。「3本の矢」で知られたアベノミクスは、就職氷河期で苦しんでいた若者に希望を与え、とんでもない円高などのいわゆる六重苦にあえいでいた企業に希望を与えた。それまで低迷していた日本経済に新たな希望を与えるものだったと評価したい。高かった若者の自殺率も、低下に向かったのだ。

市場を反転させた大胆な金融緩和

「3本の矢」の1本目は大胆な金融緩和策である。2008年のリーマンショック後、諸外国が大胆な金融緩和策を取る中で、わが国だけが保守的な金融政策を続けた結果、米国の連邦準備制度理事会(FRB)が大胆な量的金融緩和策を打ち出すたびに円相場が高騰し、ついには1ドル=80円を突破するまでになって日本企業は悲鳴を上げていた。

それでも大胆な緩和策が取られなかったのは、そんなことをしても効果のない「ブタ積み」(市中銀行が日銀当座預金に過剰に資金を寝かせておくこと)になるだけで弊害しかもたらさない、というのがわが国のエコノミストの主流な意見だったからである。

しかしながら、現に円高が進み、恐ろしいペースで産業の空洞化が進んでいた。このままでは日本経済は悲惨なことになるとして、大胆な量的緩和でその流れを変えていったのが安倍晋三・元総理だった。2012年末の総選挙の結果を受けて安倍政権誕生が確実になると、円相場は大きく円安方向に反転していった。政権発足後には、かねて量的金融緩和論者だった黒田東彦氏を日銀総裁に起用してデフレマインドの払拭(ふっしょく)に取り組んだ。

株式市場は、そのような政策を好感し、日経平均株価は安倍総理就任前の8600円(2012年11月)から、辞任時には2万2800円(20年8月)へと上昇していった。13年9月、ニューヨーク証券取引所で講演した安倍総理は「バイ・マイ・アベノミクス」と発言して金融証券市場に自らの政策を売りこんだ。筆者も韓国の亜州大学に招かれて講演を行った。

消費増税も辞さず

第2の矢は機動的な財政政策。低迷する経済に活を入れるために約10兆円規模の経済対策予算が組まれ、政府自ら需要を創出した。安倍内閣は消費税増税も行った。それは、経済が安定したところを見計らい、十分な対策を行った上でのことだったが、消費税引き上げ後、景気はしばらく低迷が続いた。「景気は気から」というが、わが国においては消費税の引き上げが景気後退につながるとの人々の思い込みが強い。とすれば、それはやむを得ないことだったと言えよう。

ただ、成長戦略における重要施策には全世代型の社会保障制度などのように相当の財源を要する施策も多い。それを借金頼りにしたのでは、子供たちに大きな負担を残すことになってしまう。ということで、国民に不人気な消費税増税も断行したのが安倍内閣だった。

成長戦略は財政出動に変質

第3の矢は民間投資を喚起する成長戦略。それは、規制緩和などによって個人や企業がその力を存分に発揮できる社会を創り上げていこうとするものだった。成長戦略のキーワードは賃金と企業収益の好循環、それとわが国を世界で最も企業が活動しやすい国にするというものだった。

最初の点に関しては、連合や経団連が参加した協議の場を設けて賃上げを強力に後押しした。賃上げによる購買力の増加が企業収益に結びつき、さらなる賃上げという好循環になることを期待したのである。しかしながら、国内の生産性が期待したような伸びを示さない中、実質賃金は伸び悩み、想定したような好循環は生じなかった。生産性の向上がなければ、実質賃金の上昇はあり得ないからである。

二番目の点に関しては、法人税率引き下げなどの様々な施策が行われた。その結果、海外からの投資はそれなりに増加(+11.5兆円)したが、それ以上に伸びたのが海外への投資(+90.5兆円)だった。リーマンショック後のとんでもない円高を経験した企業はグローバル化を進め、海外での投資収益が国内を上回るようなら躊躇(ちゅうちょ)なく海外への投資を進めるようになっていたのである。

この流れを変えていくためには、国内経済を活性化し、国内の生産性を向上させていくしかない。特に、税金を納めない赤字法人が7割という中小企業部門の低生産性の改革が待ったなしといえた。そこで打ち出されたのが、「新3本の矢」(希望を生み出す強い経済、夢を紡ぐ子育て支援、安心につながる社会保障)だった。働き方改革も打ち出された。

しかしながら、そのような政策がなかなか実を結ばない中で、新型コロナの恐怖が日本列島を覆い、経済への打撃を緩和するための思い切った財政政策が発動されて成長戦略は変質していくことになった。そもそもの成長戦略は経済産業省が中心になって取りまとめたもので、内閣府の事務次官として筆者も総理説明に同席していたが、そこには積極財政などというメニューはなかった。それが大きく変身していったのである。

大盤振る舞いと借金の山

アベノミクスをどう評価すべきであろうか。筆者は、失われた30年に終止符を打つべく果敢に取り組んだことを高く評価すべきだと考える。それは、若者の安倍内閣に対する支持率が高かったことに表れている。「悪夢のような民主党政権」とまで言うのはいくら何でも言い過ぎだが、就職氷河期に苦しんだ若者世代に新たな希望を与えたのがアベノミクスだった。

有効求人倍率は、1.5を超えて45年ぶりの高水準で推移し、正社員の倍率も統計開始以降初めて1倍を超えたのである。他方で、成長戦略は期待された成果に結びつかなかった。成長率は高まらず、今や一人当たり国民所得で韓国や台湾にも抜かれそうだ。その原因は、成長戦略がなかなか実を結ばない中で、成長に何ら貢献しない積極財政路線に舵を切ってしまったからだと筆者は考えている。ケインズ的な財政・金融政策は、景気回復はもたらすが、いくらやっても経済成長はもたらさない。それは、ケインズ自身が明言していたことだった。

そこである人が「では何が経済成長をもたらすのですか」と問うたことへのケインズの答えは、アニマルスピリットだった。ちなみに、アニマルスピリットを引き出す政策は、そもそも安倍元総理が、第1次安倍政権の時から打ち出していたものだった。女性活躍であり、若者の再チャレンジであり、第2次安倍政権での1億総活躍社会の創出などがそれだった。ただ、そのような政策が実を結ぶにはそれなりの時間が必要である。

成果が表れない中、しばしば選挙がある状況の下、経済を手っ取り早く上向かせる政策として積極的な財政政策が取られるようになっていった。そのような政策が経済成長をもたらさないことに、日本のエコノミストがおよそ誰一人として警鐘を鳴らさなかったことからすれば、それはやむ得ない政治的選択だったといえよう。その結果、財政の大盤振る舞いが繰り返されて、膨大な借金の山が築かれてしまったのである。

アベノミクスには明暗があるが、総じてみれば明の部分が相当に大きいと筆者は考える。安倍元総理が最も力を入れていたのは外交・安全保障面だったと言えようが、力強い経済がなければしっかりと国を守る力も持ちえない。ケインズ経済学の基本に戻って、国民のアニマルスピリットを引き出す仕組みを早急に構築し、力強い経済をそして子供たちのために明るい未来を築き、「美しい国」を実現していくことが、残されたわれわれの課題と言えよう。

バナー写真:再任された日本銀行の黒田東彦総裁(左)と握手する安倍晋三首相(当時)=2018年4月9日、首相官邸(時事)

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