足元の教育が危ない―大学入試改革よりも公教育の立て直しを

社会 教育

政府が推し進めていた大学入試改革が土壇場で頓挫した。「入試を変えれば教育が変わる」という発想自体が間違いだと批判する教育社会学者に、混迷する入試改革の背景と教育現場が直面する危機について聞いた。

中村 高康  NAKAMURA Takayasu

東京大学大学院教授。専門は教育社会学。1967年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士。著書に『暴走する能力主義』(ちくま新書、2018年)ほか。

崩れた改革の2本柱

1990年に導入された大学入試センター試験は1月実施の今回で幕を閉じ、現在の高校2年生が受験することになる2021年入試から大学入学共通テストに代わる。だがいま、センター試験を止めること自体の意味が問われている。

19年末になって、政府がこれまで推し進めてきた大学入試改革が事実上覆された。まず11月1日萩生田光一文部科学相が英語民間試験の活用延期を表明。12月17日には国語・数学の記述式試験問題導入も見送りが決まり、改革の2本柱があっけなく崩れた。共通テストの内容をどう再構築するのか、現時点では不透明だ。

英語民間試験の活用は、「身の丈に合わせて勝負して」と萩生田大臣がテレビ番組で発言したことがきっかけで見送りに追い込まれたが、もともと反対論が多かった。スピーキング重視への問題点を指摘する声は以前から強かったが、民間試験に関しては地理的・経済的な理由で受験機会に格差が生じる点が問題視されていた。また、記述式問題に関しては採点の質や公平性の確保などへの懸念が解消できないとされた。これも当初から多くの人が指摘する問題点だった。

政府は英語4技能「読む・聞く・話す・書く」の評価方法と国数の記述式問題の在り方を約1年かけて議論し、新しい英語入試制度は24年度実施を目指すとしている。記述式問題に関しては導入の期限を示していない。

繰り返される「知識偏重」への反省

大学教授や予備校講師などからなる「入試改革を考える会」は、2019年12月23日に大学入学共通テストの実施延期を求める声明文を文科省に提出した。東京大学大学院の中村高康教授は「考える会」呼びかけ人の1人だ。

「19年8月に大内裕和さん(中京大学教授)、吉田弘幸さん(予備校講師)らと『入試改革を考える会』を組織しました。SNS上で危機感を共有したのがきっかけです。特に当初は英語の民間試験はどうなるのかに関して大きな危機感があった」と中村教授は言う。「制度設計がちゃんとできていないから、どこかで立ち止まるだろうと思っていたのに、このまま突っ走りそうだという状況になった。それで急きょ『考える会』を立ち上げ、11月、12月に入試改革の見直しを求める声明を政府に出したわけです」

そもそも入試改革はどんな背景で推し進められたのか。

「受験勉強といえば、歴史の年号や英単語暗記などを思い浮かべる人が多い。いままでは知識の詰め込み、暗記・再生だったという反省が、改革を推し進める政治家や官僚側にありました。政策の立案過程では、理念が先行し現場や専門家の意見が十分に吸い上げられなかった」

そしてその「理念」自体が、決して中身の濃いものではなかったと指摘する。

「改革方針を決めた文科省の中央教育審議会答申(14年)は、 知識の暗記・再生への批判を繰り返し提起しています。それではこれからの時代に対応できない。知識をため込むのではなく、新しい知識を作り出すこと。受け身で学ぶのではなく、積極的、『主体的態度』を打ち出すこと―それが大きな方向性でした」

知識の暗記・再生への偏りに対する反省は、大本をたどれば1980年代の臨教審(臨時教育審議会)答申に行き着く。画一的な教育からの脱却を目指し、個性重視の原則のもとで「国際化、情報化等への対応」をうたった。そこからさまざまな教育改革が派生していく。「30年以上前から、これまでと異なる新しい時代に対応した“能力”を標ぼうする『改革』の理念が繰り返されてきました。しかしそれは古くからのありきたりな考え方を別な表現で言い換えたに過ぎず、しかも基礎となる現状認識がずれているのです」

「新しい能力」を求める世界的潮流

過去を矮小(わいしょう)化して批判し、実は昔から求められていた能力に違うキャッチコピーをつけて「新しい能力」として演出する―教育改革でいままで繰り返されてきた現象だと中村氏は言う。「高学歴化と情報化が進んで、教育に批判的意見を言える人の数が増えたことも一因ですが、近年その傾向が加速している背景は社会不安の高まりです。経済状況、国際情勢の不透明感が増し、多くの人が先行きへの不安感を共有したことが引き金になっています」

この傾向は日本だけではない。経済協力開発機構(OECD)がまとめた新たな能力概念「キー・コンピテンシー(key competency)」 は、次の時代を見通すのが難しい中で、多様な社会グループと連携して自立的に行動する力が未来に役立つ新しい能力だとしている。これは日本政府が打ち出している総合的な「生きる力」の育成、「コミュニーション能力」重視、主体的な思考力、基礎的な知識・技能重視などと発想は同じだ。

「新しい能力など簡単には見つからないのに無理矢理ひねり出そうとすれば、もともとみんなが持っている共通の能力を少し名前だけ変えて提案するしかないのです。日本では欧米が進んでいるという見方をする人が多いが、どの国も同じような議論の堂々巡りをしている。50年、100年先の未来を見据えたビジョンを教育にはめ込んで先取的にやりましょうという発想がそもそも正しいのか。先行き不透明な時代だからこそ、いままで何をやってきたのかを振り返り、足場をしっかりさせた上でさらにできることをプラスしていくべきです」

リアルな教育現場に根ざすわけでもなく、表面的には分かりやすい実用主義的なイメージを追い求める―その傾向が顕著なのが「コミュニケーションに使える英語」を目指す英語教育改革だ。その是非に関して長年議論があり、専門家からは批判も多い。にもかかわらず、大学入試でスピーキングテストを実施するために民間試験活用に踏み切ろうとして失敗した。

「中高大で10年間勉強したのに英語が話せないというコンプレックスが見え隠れします。産業界は“即戦力”を求めていますが、そもそも業種や職種が違えば必要とされる英語力も違ってくる。読む、聞く、話す、書く英語力の必要性の強弱がそれぞれの分野で変わるはずです。本当に実践的な英語力が必要なら、入試制度をいじるよりも、個別の企業、業界で養成のシステムを考えたほうが早いでしょう」

入試を変えれば教育が変わるという幻想

特に英語入試改革の動きで浮き彫りになったのは、小中高教育への波及効果を期待する政府、産業界の思惑だった。だが「入試を変えれば、それに呼応して受験対策も変わる。例えば入試でスピーキング能力を測ろうとすれば、受験スピーキングのコツなどをうたう動きが必ず出てきます」と中村氏は指摘する。「それは本来の “使える英語” でしょうか? 結局当初の思惑とはかけ離れてしまう可能性が高い」

「考える会」ではセンター試験を当面は継続することを訴えているが、センター試験のマークシート式の限界は認識している。「現状では教員の数や分野が限られているため、個別の大学入試問題をうまく作れない大学が多い。だからこそセンター試験をうまく活用する一方で、推薦やAO(Admission Office)入試など別建てのルートを維持する必要があります」

推薦やAO入試(=高等学校における成績や小論文、面接などの総合的評価に基づき入学の可否を判断する方法)は一部の生徒—例えば、一発勝負の試験では緊張してしまう生徒や「進路多様校」(=進学者が少ない学校)の生徒—に大学進学のチャンスを提供している。

実際、文科省によれば、2018年度の大学入学者のうち、AO・推薦経由は過去最高の45.2%、私立大では半数以上を占める。また、難関大学の入試では、高学力の競争になるため、そもそも単なる知識の詰め込みでは歯が立たない。すでに現状が知識の暗記・再生に偏っているとは言えない状況なのだ。

そもそも、中教審答申がうたった「高大接続改革」の下で本来目指すべきなのは入試改革ではなく、「教育によって丁寧に個々の状況に応じて高校を大学につなぐ」ことだと中村氏は指摘する。

「いまでも、AOや推薦で入学が決まった生徒が高校在学中に補習を受けたり、大学の学習にうまくつながるような課題を与えられたりするケースもあります。AOで入学してそれなりに頑張って卒業したいと思っていた学生でも、仮に入試でスピーキング能力を測ると決めれば、進学を諦める子だっているでしょう。可能性の芽を摘むことになりかねない。受験生に大きな負荷をかける入試改革をするのではなく、もっと教育的なサポートを行うべきです」

義務教育が危ない

大学入試改革に翻弄(ほんろう)されるよりも、政府は教育現場で何が起きているかを把握して対策を講じるべきだと中村氏は強く言う。

「今は正規の教員が足りない状況で、非正規の教員が増えています。病気で休職中の担任の補充ができずに1学期間その状態が続いたとか、先生がいなくて成績がつけられないなどの事例があります。実際、都内のある小学校でも学級崩壊が起こり、担任の先生が辞めてしまった後の補充ができない。臨時の先生もすぐ辞めてしまい、副校長が授業してもうまくいかなかった。その状態が続き、隣のクラスにも波及して学年全体が混乱を深めることになりました。教育委員会や校長に先生の補充を要請しても、教員の数が足りないからできないと言う。全国的に、義務教育が機能していない深刻な状況があちこちで生まれています」

一方、子どもの数が減少していることから、政府は教師の数を増やすどころか減らしたいというのが本音だ。「こんな状況で教育改革を進めようとしても、現場にそんなキャパシティーはない。教員数を増やさなければ、教育システムの土台が危ないという事態を認識すべきです」

2020年4月からは小学校で英語が必修化される。「いままで英語を教えていなかった教師に英語を突然教えさせる無謀なシステム。実施するなら海外研修の予算や専任の英語教師を用意する、あるいは中学校の英語の先生に十分な手当を付けて小学校で教えてもらうなど、しっかりとした方策を立てるべきでしょう。しかし片手間の研修程度は実施しても、お金のかかることは一切しない。このまま教員になりたい人が減っていけば、質の問題も出てきます」

一方、長時間労働が問題となっている公立校教員の働き方改革の一環として、19年12月に改正給特法(改正教職員給与特別法)が成立した。繁忙期の勤務時間の上限を増やす代わりに、夏休みなどの間に休日のまとめ取りを可能にする。

中村氏は嘆く。「現場の先生から厳しい批判があります。夏休み中の勤務時間を短くすることで調整ができるような状況ではないというのです。もしそうであれば、これも他の改革と同じ。結局、改革全体の方向性が現実離れしているのです」

バナー写真:大学入試センター試験の会場に向かう受験生ら=2019年1月19日、東京都文京区の東京大学(時事)

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