1300年の恩返し:日・中・台チームが東大寺の仏像復元

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1300年前の彩色をよみがえらせようと、東京藝術大学が仏像の完全復元に取り組んでいる。「せんとくん」の生みの親、籔内佐斗司(やぶうちさとし)教授率いる研究室は、日本、中国、台湾の学生や技術スタッフからなる混成チーム。中国では仏像の技法材料の研究が立ち遅れていたが、近年保存修復の機運が高まっている。日本の復元技術で1300年前から受けてきた恩に報いる番だ。天平の色彩を再現した東大寺・執金剛神立像は、11月19日から上野の東京藝術大学で一般公開される。

土中古(どちゅうこ)と伝世古(でんせいこ)

歴代中国王朝では、西域から伝わった宗教である仏教が、大いに栄える時期と徹底的に迫害される時期が繰り返されてきました。最後の徹底的な廃仏政策は文化大革命の時期でした。しかし、近年の経済発展によって全国で都市開発が進むにつれ、夥(おびただ)しい仏教文化財が発掘されています。このような文化財を、大地が護った「土中古(どちゅうこ/土の中に埋まった古いもの)」の文化財と言います。

砂漠に埋もれていた敦煌などの壁画では、かつて東京藝術大学学長であった平山郁夫先生が尽力された修復施設と人材が機能していますが、彫刻文化財における古典技法の研究と修復技術の面では、経験と人材の決定的な不足が問題になっていました。

一方、東アジアの端に位置する列島国家の日本は、海を渡って伝わった外来の文明を大切に保存し伝承しながら日本文化に変容させてきました。その保存と修復は、それぞれの時代の職人たちが絶え間なく担ってきた歴史があります。

塑像を制作する博士課程(2019年度)の重松優志さん 写真=小島 久典(藝大)
塑像を制作する博士課程(2019年度)の重松優志さん 撮影=小島 久典(藝大)

日本では、明治初年(1868年)の神仏判然令をきっかけとして廃仏毀釈の嵐が巻き起こりました。神仏判然令は一千年以上の歴史を持つ神仏習合を解体して神道と仏教を宗教的に強引に分けようという政策でしたが、明治新政府には仏教廃絶の意図はまったくありませんでした。しかも、これはわずか3年で見直されて、その後は仏教文化財を日本人のアイデンティティとして保護する政策が始まりました。そのような歴史のおかげで、我が国は仏教伝来以来1500年間のほぼ全ての時代の「伝世古(でんせいこ/人の手から手へと伝えられた古いもの)」が途切れることなくあふれ、しかもそれが生み出された技術を継承している稀有(けう)な国となりました。そして、その人材を近代的教育システムで育成するために、1887年に岡倉天心によって構想され創立されたのが東京美術学校で、それが今私たちの所属する東京藝術大学美術学部になりました。

天平時代(729-749)の塑造

6世紀に伝来して以来のわが国の仏教彫刻は、木造が9割を占めます。しかし、8世紀の天平時代(729-749)に限っていえば、木彫像はほとんど造られず、金銅像と乾漆像、そして塑像が主流でした。それは、当時の朝廷が朝鮮半島の影響を脱し、唐の文化をそのまま日本に移植しようとした結果でした。乾漆像と塑像は、唐時代の中国南部で最も流行した憧れの技法だったのです。

繧繝彩色(うんげんさいしき)は、濃さの異なる色が数段に分かれているが、濃い色は白下地にいきなり塗るのではなく、例えば濃い青の下には「やや濃い青」「普通の青」「やや白っぽい青」「かなり白っぽい青」がすべて隠れている。一番下にある「かなり白っぽい青」を塗っている様子。写真=小島 久典(藝大)
繧繝彩色(うんげんさいしき)は、濃さの異なる色が数段に分かれているが、濃い色は白下地にいきなり塗るのではなく、例えば濃い青の下には「やや濃い青」「普通の青」「やや白っぽい青」「かなり白っぽい青」がすべて隠れている。一番下にある「かなり白っぽい青」を塗っている様子。撮影=小島 久典(藝大)

漆の文化は、水と樹木が織り成した中国大陸の南半分を占める湿潤な長江文化の産物です。そして塑造という彫刻技法は、土壁と同じ造り方です。木の芯棒を立て、わら縄を巻きつけて、荒土、中土、仕上げ土と順に成形していきます。この技法に適した有機物を多く含んだ粘り気のある土は水田から得られることから、やはり江南の稲作文化と密接につながっています。粘土による造形が終わると、漆喰(しっくい)や漆を塗って耐水性を持たせ、その上に鉱物質の顔料を膠(にかわ)で溶いて華やかに彩色していきます。青銅に置き換わる西洋彫刻の塑造と違い、塑土(そど)の像がそのまま完成形となることで、塑像はまさに土の文明の産物です。しかし、いくら耐水性の層を重ねても、日本のように雨や地震の多い地域では、塑像の保存性が悪いことは明らかです。従って、平安時代(794-1185)以降は一気に衰退してしまい、それ以後、日本で新たに造られる仏像は木造一辺倒になりました。

右側手前は塑像、左奥は現状彩色を再現した乾漆像。山田修特任教授の復元CGデータを基に、重松優志さんが両像を復元。撮影=川本 聖哉
右側手前は塑像、左奥は現状を再現した乾漆像。山田修特任教授の復元CGデータを基に、重松優志さんが両像を復元。撮影=川本 聖哉

ゼミの半数は中国、台湾の留学生

私のゼミは、修士課程と博士課程の定員が10人足らずという小さいものですが、中国と台湾からの留学生がなんと5人も学んでいます。そのほかにも、技術スタッフとして数人の中国人が在籍しています。

藝大日本画科卒業、日本画家・張彬文(チョウ・ヒン・ブン)さん。奈良時代の仏工は、脚の間のような目立たない箇所も、まったく手を抜くことなく仕上げている。辛い姿勢での作業になるが、集中して仕上げている。撮影=川本 聖哉
藝大卒、日本画家・張彬文(チョウ・ヒンブン)さん(彩色スタッフ)。奈良時代の仏工は、辛い姿勢での作業になる脚の間のような目立たない箇所も、まったく手を抜くことなく仕上げている。撮影=川本 聖哉

先述した通り、中国は仏教を擁護した王朝の後には、仏教を排斥する王朝によって前代の仏像の破壊を繰り返してきた歴史を持っています。またその次に仏教を興隆しようとした王朝は、破壊された古い仏像を新しい時代の好みで造り変えてしまいましたので、日本のように時代ごとの形式がほぼ全て残っているという国は大変珍しいのです。飛鳥・白鳳(592-710)以来、日本固有に見えるわが国の文化の背景には、必ず大陸文明の影響と恩恵を受けてきた歴史があります。特に仏教文化財のほとんどは、中国大陸を経て伝わったものです。しかし、その技法の多くが、ご本家では途絶えてしまいました。

金箔に墨で描かれた唐草は、地の部分に薄い緑青をのせることで美しく浮き立つ。撮影=川本 聖哉
金箔地に墨で描かれた唐草は、地の部分に薄い緑青をのせることで美しく浮き立つ。撮影=川本 聖哉

近年、経済発展に成功した中国は今、自国のアイデンティティを確立するために、文化財を保存し再生させ、活用することを国策として猛烈に推し進めています。そして私たちは、中国から教わった乾漆造や塑造という仏像の本物の制作技法と保存修復を、1300年の恩返しと考えて、留学生たちに伝えています。遠くない将来に、彼らが本国の文化財保護の最前線で活躍する日の来ることを楽しみにしています。そしてこのことが、私たちの東アジア地域の平和と安定に貢献できることを願っています。もちろん、日本人学生の奮起も大いに期待したいのは言うまでもありません。

撮影=川本 聖哉
撮影=川本 聖哉

シルクロード最高峰の作品

私たちの恩返しの象徴ともいえる活動が、2020年に行った「東大寺法華堂執金剛神完全復元プロジェクト」です。本像は、東大寺創建(728)以前の造立で、同寺初代別当である良弁僧正の念持仏と伝えられる最も霊験あらたかな塑造の神像です。法華堂本尊・不空羂索観音の背面の厨子(ずし)に収められ、年に1日しか開扉されない秘仏で、それ故に彩色を含めとても保存状態のよい像です。

シルクロード文明の痕跡を残す甲冑。
シルクロード文明の痕跡を残す彩色の作業風景。撮影=川本 聖哉

甲冑(かっちゅう)の形式などから、イラン系ソグド人の武将をかたどったと考えられます。また非常に写実的で立体的な腰高の造形も、制作者が唐の仏工(中国人)ではなかった可能性が想像されます。正倉院御物がシルクロードの工芸品の最高峰といわれますが、それと同じ意味で、本像に匹敵するこの時代の像が大陸にも遺っていないことから、シルクロード文明圏の最高峰の彫刻と言えると思います。

日本には現存しないため、中国から入手した岩絵具。撮影=川本 聖哉
日本には現存しないため、中国から入手した岩絵の具。撮影=川本 聖哉

もちろん保存状態がよいとはいえ、1300年を経過した像ですから、彩色の劣化が著しいところもあり、復元が難しい箇所も多くあります。10年ほど前に、私たちの研究室が東大寺からの依頼で本像の総合的な科学的調査を行う機会に恵まれ、そのデータを用いて2019年度に博士課程を修めた重松優志くんが素晴らしい塑造の模刻像としてよみがえらせました。その像に、研究室の彩色スタッフがプロジェクトチームを組み、造像当初の豪華絢爛(けんらん)たる彩色を再現することになったのです。その彩色は、シルクロードから伝わったイランやトルコに源流を持つ繧繝彩色(うんげんさいしき/混色によらず、織物やタイルのように階調によってぼかしを表現する技法)が用いられています。古代において、高価な鉱物や貴石を砕いた顔料は、富と力の象徴でした。この像を手に入れた聖武天皇(701-756)たちは、日本の国造りに向かってどんなにか励まされたことでしょう。

人のかたちを模したものは顔の表現がとても重要。彩色は最後の仕上げだから、なおさら難しい。立体に描く前に、平面の上で飯沼講師が資料を参考に表情のテストを行なっている。撮影=川本 聖哉
人のかたちを模したものは顔の表現がとても重要。立体に描く前に、平面の上で飯沼講師が資料を参考に表情のテストを行なっている。撮影=川本 聖哉

結果的には、彩色主任の飯沼春子講師の指導の下、日本人スタッフと留学生たちによって、ご覧のような眩(まばゆ)い極彩色に包まれた見事な西域の神将像が誕生しました。彼らが力を合わせて制作する姿は、1300年前の平城京の国際色豊かな仏像工房の幻影を見る思いでした。本像は、来年春には奈良東大寺に収められます。今から一般公開される日が楽しみです。

<2020年 一般公開>

『籔内佐斗司退任記念展 私が伝えたかったことー文化財保存学保存修復彫刻研究室2004-2020の歩みー』

(執金剛神立像他、選りすぐりの仏像や籔内教授の作品も展示)

  • 場所:東京藝術大学大学美術館地下2階展示室1.2
  • 東京都台東区上野公園12-8
  • 時間:2020年11月19日(木)~11月29日(日)
  • 10:00-17:00 会期中無休(入館は16:30まで)
  • 料金:観覧料無料 事前予約不要
  • オンラインパンフレットフライヤーPDF
  • 備考:執金剛神立像は、来年3月奈良東大寺に奉納され一般公開予定。

後列左から、小島久典助教、籔内佐斗司教授、山田亜紀助手、張彬文さん、前列左から飯沼春子講師、重松優志さん。撮影=川本 聖哉
後列左から、小島久典助教、籔内佐斗司教授、山田亜紀助手、張彬文さん、前列左から飯沼春子講師、重松優志さん。撮影=川本 聖哉

バナー写真=執金剛神立像に彩色を施す張彬文さん。撮影=川本 聖哉

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