今週の歴史を振り返る:This Week in Japanese History

今週の歴史を振り返る:3月9~15日

3月9日

世界初の海底道路、関門国道トンネルが開通

1958(昭和33)年 本州の下関市(山口県)と九州の門司市(現北九州市門司区)を結ぶ「関門国道トンネル」が開通。名称に「国道」が付くのは国道2号線の一部として造られたためだ。全長3461メートルのうち780メートルが海底。トンネルは2層から成り、幅7.5メートル・2車線の自動車道の下に同3.8メートルの歩行者専用道が設けられた。完成時は世界初の海底道路だった。39年に着工、太平洋戦争による中断もあり19年を要した。自動車通行台数の増加に対応するため、73年には、高速道路規格の吊り橋「関門橋」が開通。両端のインターチェンジは中国自動車道、九州自動車道などとも接続されている。

幅が狭く流れが速い関門海峡を鉄道や道路でつなぐ構想は明治時代からあり、鉄道が先行した。山陽本線の下関-門司間を結ぶ「関門鉄道トンネル」が戦時中の44年に完成し、複線運転が開始された。山陽新幹線の「新関門トンネル」は74年に完成。3トンネル・1橋により北九州市、下関市は一体化し、2県にまたがる関門都市圏として発展した。

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3月10日

東京大空襲、下町で死者10万人

1945(昭和20)年 午前0時8分、米空軍のB29爆撃機344機が東京上空に飛来。住宅が密集し人口密度の高い東部に焼夷弾(しょういだん)1665トンを落とし、下町地区を火の海にした。死者10万人、焼失家屋27万戸におよび、100万人が家を失った。東京の全建物の4分の1が破壊されたといわれる。日本本土への空襲はマリアナ群島に米空軍基地が完成した44年11月から本格化した。3月10日の東京下町大空襲は、これまでの主に軍施設、軍需工場を狙った爆撃ではなく、非戦闘員も対象にした無差別攻撃という点で、様相を異にした。東京はこの日以降も4月13日、5月25日の大空襲を中心に、105回の空襲を受けた。東京都は90(平成2)年、3月10日を「東京都平和の日」と定め、犠牲者を追悼するとともに平和の意義を確認し、平和意識の高揚を図るため、記念行事を行っている。

3月11日

東日本大震災が発生

2011(平成23)年 14時46分に、三陸沖の太平洋を震源とする巨大地震が発生した。地震の規模はマグニチュード9.0で、観測史上最大規模。宮城県栗原市で最大震度7が観測された。陸側のユーラシアプレートが、沈み込む太平洋プレートに引きずられて蓄積したエネルギーが一挙に開放された、典型的なプレート境界地震。三陸海岸を中心とする東北地方の太平洋沿岸を巨大津波が襲った。死者1万5899人、行方不明者2529人、避難生活の長期化などで亡くなった震災関連死3739人に達した。死者の9割は津波に巻き込まれた溺死だった。東京電力福島第一原発が津波により全電源を喪失。注水ポンプが作動できなくなり、原子炉冷却が長時間にわたり停止した。圧力容器内の水位が下がり、炉心溶融(メルトダウン)の過酷事故となった。国際原子力事象評価尺度(INES)で、ウクライナ(旧ソ連)のチェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」と最悪の事故に認定された。溶融した核燃料や被覆管および原子炉構造物などが、冷えて固まった「燃料デブリ」の取り出しにもめどがつかず、事故の収束が遅れている。

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3月12日

維新の立役者、勝海舟が誕生

1823年(旧暦・文政6年1月30日) 江戸時代末期の政治家勝海舟が、旗本小普請組勝小吉の長男として出生。海舟は号。本名義邦、のち安芳と改名。蘭学、兵学を学び、長崎の海軍伝習所で航海術を修めた。咸臨丸艦長として遣米特派使節に随行。神戸海軍操練所をひらき、坂本竜馬ら諸藩の志士にも慕われ影響を与えた。新政府軍との衝突で江戸が火の海になる事態を回避するため、西郷隆盛と会談し、江戸城無血開城を実現させた。維新後は新政府の参議・海軍卿などに迎えられたが、欧米追随の政府を批判して辞任した。87(明治20)年伯爵に叙せられた。

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3月13日

青函トンネルが開業、本州と北海道が鉄路でつながる

1988(昭和63)年 本州の青森と北海道の函館を鉄道で結ぶ青函トンネルが開通した。日本鉄道建設公団(鉄道建設・運輸施設整備支援機構の前身)がトンネル建設技術の粋を集めて難工事に取り組んだ。完成後の管理は、前年の87年4月に国鉄分割民営化により設立されたJR北海道が管理を担う。津軽海峡の海底下100メートルを掘削し、全長53.85キロ、海底部だけでも23.30キロと、英仏海峡トンネルができるまで世界最長の海底トンネルだった。同海峡を運航した青函連絡船は80年の歴史に幕を閉じた。

54年の同連絡船洞爺丸事故をきっかけに建設機運が高まり、64年工事に着手。総額6890億円を投じて完成した。当初は新幹線用に建設されたが、国鉄の経営悪化で計画凍結となり、在来線特急や貨物列車が運行。2016(平成28)年3月26日の新青森―新函館北斗間の部分開通で目的どおりの活用が始まった。ただ、老朽化が進んでおり、JR北海道の財政を悪化させる要因となっている。

3月14日

大阪万博が開幕、高度成長期の一大イベント

1970(昭和45)年 「日本万国博覧会(大阪万博)」の開幕式が大阪府吹田市千里丘陵の会場で行われた。アジア初の万博。掲げたテーマは「人類の進歩と調和」。高度成長期の日本を象徴する一大イベントで、輝かしい未来を表す展示が目立った。翌15日に一般公開が始まり、9月13日まで183日間の会期中に万博史上最多の6421万人が入場した。期間中、日本国内は万博一色となった。展示参加は海外から76カ国・1地域、4国際機関など、国内32団体。アメリカ館が、アポロ12号の持ち帰った「月の石」を展示。これを見たさに入場者が長蛇の列をつくった。日本船舶振興会(現日本財団)、日本自転車振興会、日本小型自動車振興会などの団体が資金面などで支援したこともあり、国際万博史上初の収支黒字を達成した。

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3月15日

平安神宮、京都復興願い創建

1895(明治28)年 平安遷都1100年を記念して、遷都を行った第50代桓武天皇をまつる神社として、京都に平安神宮が創建された。都が東京に移された後、京都は荒廃・沈滞していた。その復興策でもあった「内国勧業博覧会」の開催に合わせて、平安京時代の建物を模す形で京都府岡崎村(現京都市左京区岡崎)の地で神宮が建設された。皇紀2600年にあたる1940(昭和15)年には、平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられた。76(昭和51)年、放火事件で本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失した。全国からの募金により、本殿や内拝殿が3年後に再建された。神事では京都三大祭に数えられる10月22日の時代祭が有名。

バナー写真:震災から5年を迎えた宮城県石巻市。「3.11追悼」の文字がキャンドルで浮かび上がる。2016年3月11日撮影(時事)

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