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【動画】ダウン症の天才書家・金澤翔子:祈りの造形

文化

ダウン症の書家・金澤翔子さんは9月23日から30日まで、上野の森美術館で『金澤翔子書展』を開催した。20歳で書家としてデビューしてから12年間、国内外含めて280カ所以上で個展を開催し、延べ100万以上の観客を集めてきた。

金澤 翔子 KANAZAWA Shōko

書家、雅号「小蘭」。1985年東京生まれ。書家である母に師事し、5歳で書を始める。2005年、初の個展「翔子 書の世界」を開催。その後、鎌倉建長寺、京都建仁寺、奈良東大寺などで個展を開催。2015年、ニューヨークで初の海外展を開催し、同9月にピルゼンおよび11月にプラハ(チェコ共和国)で個展を開いた。母との共著に、『魂の書 金澤翔子作品集』、『海のうた 山のこえ―書家・金澤翔子 祈りの旅』ほか多数。

ダウン症の書家として活躍している金澤翔子さんは、書を通じて日本のみならず世界中に「元気とハッピーと感動」を与えている。2017年9月23日~30日、上野の森美術館で開催された『ダウン症の書家・金澤翔子書展』では、書家としてデビューしてから10余年の間に書いた約60点の代表作を中心に公開し、2度の席上揮毫(きごう)を行った。7日間という短い開催期間にもかかわらず4万人の観客が訪れた。今回の個展は、翔子さんと母・泰子さんによる二人三脚の集大成だ。

同個展のハイライトの一つは、京都の建仁寺(けんにんじ)にある国宝・俵屋宗達(1558~1637)の『風神雷神図屏風』の隣に飾られている翔子さんの『風神雷神の書』(2009年)だ。『風神雷神』の揮毫にまつわるエピソードを母・泰子さんは、次のように著書で語っている。「1枚目は単調で良くも悪くもない出来でしたが、2枚目はうまく書けました。安心した私は『3枚目は自由に書いていいよ』と翔子に告げたのです。その最後の3枚目の書に、私は目を見張りました。それはまさに、かの天才絵師・俵屋宗達が描いた『風神雷神図屏風』の、風神と雷神のそれぞれの配置と同じでした。『あっ、宗達が降りた!』とその時、私は思いました」(『金澤翔子、涙の般若心経』[世界文化社]より抜粋)

翔子さんがこの世に生を受けて32年。30歳を契機にひとり暮らしを始め、とてもうまくいっている。泰子さんは、今回の個展を一つの区切りと考え「感謝とおわびとお礼の個展」と言う。「翔子が生まれてから、ずっとひたすら私のしてきたことは祈りでした。年月と共に祈りの形は変わりましたが、今は感謝の言葉しかありません」そして「祈ることが私たち2人の仕事でした」と今の心境を語った。

制作・著作:ニッポンドットコム
構成:杉山 幸子
撮影:吉田 秀夫
技術:仲田 良平
編集: 望月 博文
音響効果:田中 啓子

(バナー写真:『ダウン症の書家・金澤翔子書展』で俵屋宗達の『風神雷神図屏風』と『風神雷神の書』[2009年]の前で席上揮毫を終えた金澤翔子さんと母・泰子さん)

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