未知の領域に挑む楽しさ

東大阪市で生まれた川村は、5歳の時にぶどう膜炎を患い弱視になった。小学1年でサッカーを始め、6年の時に「プロサッカー選手になる」と宣言したものの、中学に入学すると、両親や担任から「危険」と諭され陸上部に。高校でも陸上を続けた。嫌々取り組んだ中距離だったが、そこで鍛えた脚力が後の川村の武器の一つになる。

「高校は英語科でした。漢字はぐにゃぐにゃして見えるので国語は苦手だったけど、アルファベットや数字は認識しやすいので好き」

高校時代は環境に恵まれていた、と川村は述懐する。先生が成績優秀な生徒や字のきれいな子を選び、川村のサポートに当たらせた。そんな周りの支援もあり、国立の筑波技術大学に合格。東洋医学を学びながら、大学で弱視クラスのロービジョンフットサルを始める。大学1年の夏、隣のコートでブラインドサッカーに興じている一人の選手にくぎ付けになった。当時のブラインドサッカー日本代表だった田村友一である。

「アイマスクを付けているのに、ドリブルでディフェンスをかわし、キーパーと駆け引きしてゴールを決める。心が激しく震えました。あの人のようなプレーがしたい、って。あの一瞬が僕の人生のターニングポイントになったのです」

当初、アイマスクをしてプレーすることが恐怖だったが、2013年に全盲と診断され覚悟ができた。大学卒業後、アクサ生命でセラピストとして働きながら、ブラインドサッカーの練習に励む。視覚に代わる情報収集器官として聴覚を磨いてきたが、まだまだ能力は開発できるはずという。

「2020年の僕を100とするなら、今はまだ50ぐらいの段階でしかない。表彰台でどんな景色が見えるのか、それにはこの2年間でどんな能力を身に付けなければならないのか、自分を実験台にして未知の領域に挑戦することが面白くてたまらない」

人間の未知なる能力を求めて、川村は今日も転がるサッカーボールの音に耳を澄ましている。

インタビュー撮影:川本 聖哉