ゲリラと人質が一緒に食べた「どら焼き」

そのほかの600人以上いた人質たちはどうだったのだろうか。

「完全にパニックですよ。私が何を言おうと全然聞かない。静かになったのはやはり銃の力でしょうね。最初はゲリラのメンバーも『顔を見るな』と言うなど威圧的な態度でした。人質はみんな床に伏せたままの姿勢でいたんですが、それは外から無差別に飛んでくる警官隊の銃撃の方が怖かったからです」

あらゆる方向から銃声が聞こえてきたが、それはすべて公邸の外からだった。

「青木大使がメガホンで外に向かって、撃つなと言った。反対側からも撃ってくるので、私が出ていこうとしたら『いいよ、俺が行く』と言ってくれたのが赤十字の職員でした。映画の中で、交渉人として出てくる赤十字の職員は、翌朝に送られてきますけど、実際の事件では、最初からレセプションの招待客の中にいたんです」

人質の大半を解放して、2日目に残った人々の部屋割りを決める頃には、公邸内の雰囲気はだいぶ落ち着いたという。小倉氏は、大使館員としての職務を自覚し、ラジオで現地のニュースを聴いては、大使に報告することを日課としていた。特にやることもない人々は、いつ逃げ出す場面が来てもいいように運動を欠かさぬほかは、ゲームで時間を潰していたという。監禁生活が長引いてくる中で、平静を保ち続けるのは容易でなかったに違いない。

「民間の方々の中には、無気力になってしまった人もいますよ。『何で自分が残されたんだ』と不満を言ってね。でも総じて、皆さん淡々と過ごしていましたね。楽しみと言ったら、日本人の人質の奥様方がご主人の誕生日になると、どら焼きを大量に作って送ってくれて、ペルー人も、ゲリラも、みんなで食べるんですよ」

小倉氏は専門家として、解決には半年から1年かかってもおかしくないと見ていた。MRTAが人殺しを目的とした組織ではないゆえ、根気よく交渉を続けるだろうと推測したのだ。

「日本の民間企業の方々は早く出たいという思いが特に強かったようですね。遅くとも3月の決算期の前には終わってほしいと(笑)。私が『長引くぞ』なんて言おうものなら、腹を立てられました。決着がつかずに新年度を迎えたときには、落ち込んでいる人が結構いましたね」

革命を志した若いゲリラたちの最期

97年4月22日午後3時すぎ、爆発音が続けざまに響いたという。ペルー軍特殊部隊による武力突入作戦が強行されたのだった。小倉氏は寝起きしていた2階の職員部屋で、寝転がって本を読んでいた。このときゲリラが通りかかって部屋を覗いたものの、一発も銃を発射することなく立ち去ったという。特殊部隊員の先導で脱出する際、小倉氏は何人かのMRTAメンバーが身柄を拘束される光景を目撃した。

大使公邸横の階段から脱出する人質たち=97年4月22日、ペルー・リマ(時事)
大使公邸横の階段から脱出する人質たち=97年4月22日、ペルー・リマ(時事)

「私は『超法規的殺害』の場面を見たわけではありませんよ。ただ生きて捕まっているのは見た。しかし、その人たちが戦闘中に死亡したということになっている。私は後に、この場面について証言していますが、それに対して軍と国家情報局の関係者が非常に反発を示しました。今でも私の名前をローマ字でネット検索すれば、スペイン語で書かれた誹謗中傷がたくさん出てきますよ」

この件は、米州人権委員会で取り上げられ、ペルーに対して軍事法廷ではなく通常の法廷で裁くよう勧告が出されたが、国内の裁判では最高裁まで争われながら、証拠不十分のまま「処刑疑惑」は不問に付された。4カ月にわたって奇妙な共同生活を続けながら、対話してきた若者たちの無残な死に、小倉氏の胸中は複雑だったろう。98年12月に外務省を退職するに至った背景には、この事件の結末に対する判然としない思いがあった。

「MRTAのメンバーとは議論をしたこともあります。冷戦構造が終わって左翼運動は世界的に失速していった。ペルーもそうでした。かつての左翼勢力を支えた層が空白になっていた。なぜ、そこを取り込めるように合法的な組織に転じていかないのかと。リーダーのセルパは言いました。『理論的にはそうかもしれないが、フジモリを相手にしている限りそれはできない』と。20世紀末になっても、労働者階層だけが社会変革の主体になるような主張をしていたところに、彼らの限界があったわけですね」

救出直後に安堵した表情を見せる日本人人質たち。中央の黒いシャツの男性が小倉氏=97年4月22日、ペルー・リマ(時事)
救出直後に安堵した表情を見せる日本人人質たち。中央の黒いシャツの男性が小倉氏=97年4月22日、ペルー・リマ(時事)

映画『ベル・カント とらわれのアリア』は米国で2018年9月に公開された。米映画は通常、日本に入ってくるより半年ほど早く南米諸国で公開されるが、小倉氏が知り合いに聞いたところでは、ペルーではいまだ上映されてはいないようだ。やはり軍関係者による抵抗は根強いのではないだろうか。

「この映画をきっかけに、あの事件や、その背景にある南米の政治や歴史に、より多くの人々が関心を持ってくれたらよいなとは思います。後になって思うと、私はゲリラと過ごしたあの日々によって、時代の流れを強く実感しました。身をもってマルクス主義運動の限界を知ることができた。それから外務省の限界も(笑)。労働者階層の多様化を踏まえた上で、『多種多様性』と言い得る新しい社会変革の主体が形成されない限り、世の中は変わっていかないのだと。2010年以降の、クラウド型の社会運動は、その方向で進んでいると見ています。日本だけが乗り遅れている。人々が保守的過ぎるんでしょうね」

取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)

©2017 BC Pictures LLC All rights reserved.
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作品情報

  • 監督:ポール・ワイツ
  • 原作:アン・パチェット(『ベル・カント』 早川書房)
  • 出演:ジュリアン・ムーア、渡辺 謙、セバスチャン・コッホ、クリストファー・ランバート、加瀬 亮
  • 配給:キノフィルムズ/木下グループ
  • 製作年:2017年
  • 製作国:アメリカ
  • 上映時間:101分
  • 公式サイト:http://belcanto-movie.jp/
  • 11月15日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

予告編