自分がずっと生きて語ることは不可能
冒頭の細光さんに体験を引き継いだ笠岡さんは、事業を知った時、喜びが沸きあがってきたという。当時、資料館の証言者として活動を始めていて、その語りを同館のビデオにも収めていたが、ビデオとは違う価値を見出したからだ。
「そりゃあ、精神が違いますよね。私が最初に(聴講する)子どもたちに話をするのは、『心で聞いてください』ということ。『眠っとってもいいからね、胸の中で納めてよ』と。(伝承者の講話は対話もでき)ビデオメッセージとは全く違うんです」
笠岡さんは原爆投下の翌年、体に吹き出物ができて、右腕には3つも大きな穴が開いた。貧血にも悩まされ続けた。被爆が障害になったからか、お見合いをしても結婚に至らなかった。その後結ばれた夫は被爆者で、脊髄にガンができ35歳で他界。笠岡さんは働きながら、2人の子どもを育てた。
自らも講話で一般向けに話す一方、養成事業のミーティングに出かけ体験を話す。これまでに6人が笠岡さんの証言を引き継いた。講話原稿に「だめ出し」をすることも少なくないが、自分がずっと生きて語ることは不可能だからこそ、伝承者に真実を伝えていってほしいと願っている。
大事なのは「心の受け継ぎ」
「危機感がすごくあったんです」
伝承者の細光さんは、この事業に参加するきっかけをこう語る。
以前から平和活動を行うNPOに参加していた。若い人に原爆の話をしても他人事のような反応をされることが多く、胸を痛めていた。事業を知った時、養成期間の長さや、被爆者の体験を引き継ぐという責任の重さにたじろいだが、途中で脱落することになっても、今やっている活動に何らかのプラスになるはずと考え、1期生として参加を決めた。
仕事をしながらではあったが、多い時で月に4回、笠岡さんら証言者に会い続けた。受講者のために、胸が締め付けられるような出来事を語り続けてくれる証言者を前にして、徐々に使命感が強まっていった。細光さんも「えぐるように」質問し、最短の3年で、笠岡さんを含む2人の証言を引き継ぎ、2015年4月に伝承者となった。
現在、およそ1カ月半に1度、資料館での定時講話で語る。次の講話まで時間が空いてしまっても、講話原稿を読み直すなど “トレーニング”は特にしない。「受け継いだ証言は、証言者の方の感情と一緒に、体にしみ込んでいます。頭を使って思い出させる必要はないんです」
伝承者の中では最も長いキャリアを持つ一人。体験は精神と共に体に染みついている、という自負もある。しかし、体験していないことを語る作業に、葛藤はないだろうか。
「怖さは当然ある。乗り越えていません。完全になり替わって話すことはできないし、本当のつらさは本人でないと分からないと思います」
細光さんは率直に認めた後、言葉を続けた。
「体験だけを伝えるのであれば、朗読技術に長けた人が原稿を読む方が、よく伝わるかもしれません。本人によるビデオ証言も同じ。でも、情報の行間であったり、映像に残っていないような本人のちょっとした表情だったり、感情に関する部分は、本人から直接、何度も話を聞いた人だからこそ伝えられることもある。心の受け継ぎ。そういうところを受け継ぐのが大事だと思っています」
「被爆してつらかった笠岡さんをいとおしく思えた、ということが根っこにある」と細光さんは微笑んだ。証言者との心の交流が、彼女の伝承活動を支えている。
写真:堂畝 紘子
バナー写真:広島市の原爆ドーム。年間を通して多くの修学旅行生が訪れ、ガイドの説明に耳を傾けている




