「バターン原発」は稼働できるか

BBMは「父は政治の天才、母は一族最高の政治家」と語ったことがある。だが、本人は選挙期間中、報道メディアの取材に応じなかったばかりか、候補者による公開討論会にも欠席し続けた。政治家としての政策遂行能力や外交手腕は、まだはっきり見えてこない。

しかし、唯一ともいえる「公約」はある。原子力発電の推進だ。具体的にはマルコス政権時代の1984年に完工した「バターン原子力発電所(BNPP)」を稼働させるかどうかだ。

BNPPは首都マニラから北西約100キロのルソン島バターン州に建設された。灰色の施設は南シナ海に臨む海岸に立つ。東南アジア初の原発として商業運転が計画されていたが、86年2月にマルコス政権が崩壊、同年4月にはチョルノービリ(チェルノブイリ)事故が発生したことで、当時のアキノ政権は稼働を見送った。

筆者は89年11月25日、船上からBNPPを撮影したことがある。周囲には海水浴場などリゾートが多い。当時も「米国から稼働に『待った』がかかっている」などと安全性、信頼性を疑問視する声がささやかれていた。

フィリピンのバターン原子力発電所=1989年11月(筆者撮影)
フィリピンのバターン原子力発電所=1989年11月(筆者撮影)

BBMにしてみれば、父親の「レガシー(遺産)」でもあり、何とか蘇らせたい思いだろう。しかし、核燃料を投入したこともない休眠状態のBNPPを稼働させるにはコスト面を含めてハードルは極めて高い。

南シナ海めぐる対中外交が焦点

もともとはマレー系の人々が住んでいたフィリピンの歴史は複雑だ。今でこそカトリック教徒が人口の8割以上を占めるが、14~15世紀に伝わったのはイスラム教だった。16世紀後半から300年余りのスペイン植民地時代にカトリックが定着した。米西戦争を経て1898年には米国領となった。華僑ら中国系の人々も少なくない。

第二次世界大戦中、フィリピンでは日米が激しい戦闘を繰り広げた。フィリピン人も戦争に巻き込まれ、犠牲者は100万人以上にのぼったといわれる。

1942年4月、ルソン島バターン半島を攻略した旧日本軍が米軍とフィリピン軍の将兵ら捕虜約7万人を収容所まで約100キロも歩かせ、1万人ともいわれる死傷者を出した「バターン死の行進」事件も起きた。今年はこの非人道的な事件から80年の節目でもある。

こうした歴史の積み重ねのうえに、フィリピンは主要国との外交関係を築いてきた。米国とは同盟関係にあり、中国は最大の貿易相手国だ。

ドゥテルテ政権は米国とは微妙に距離を置く一方で、中国には融和的な姿勢を取ってきた。中国から経済的な支援を引き出そうとの思惑から、懸案の南シナ海の領有権問題は事実上棚上げにしてきたのだ。

これに対し、BBMは5月26日、インターネット上で公開した動画で「われわれの海洋権益が踏みにじられることは許さない」と言明。南シナ海の領有権問題については「一貫して毅然とした態度で話し合う」との決意を示した。

南シナ海は安全保障上、米中対立の最前線でもある。マルコス新政権がこの問題でどのような舵取りをするかが、対中外交の焦点になろう。

日本は経済、安全保障で連携せよ

過去の不幸な歴史を乗り越え、日本とフィリピンの関係は現在、「戦略的パートナーシップ」というキーワードで示されるように基本的に良好である。フィリピンにとって日本は最大の援助供与国であり、主要な貿易相手国でもある。2008年11月には「日本フィリピン経済連携協定(EPA)」が発効している。

安全保障上も重要なパートナーだ。両国は今年4月9日、東京で第1回外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)を開いた。南シナ海や東シナ海での中国の現状変更の動きを念頭に「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けた協力を一層強化していくことを申し合わせた。

フィリピンは東南アジア諸国の中で、地理的に日本に最も近い。フィリピンの人口が日本を追い抜くのは時間の問題ともいわれている。若い国フィリピンの労働力人口の増加は今世紀半ばまで続く見通しだ。日本が超高齢化社会を迎える中で、フィリピン人看護師や介護士は貴重な助っ人となる。

BBMは大統領選圧勝後の5月中に、バイデン米大統領(12日)、習近平・中国国家主席(18日)、岸田文雄首相(20日)と相次いで電話会談し、事実上の外交デビューを果たした。この順番は何かを示唆しているのかもしれない。日本は新マルコス政権と経済、安全保障での連携を一層強めることが国益にもつながる。

バナー写真:フィリピン国会で大統領選挙での勝利を認定され、両手を挙げるフェルディナンド・マルコス・ジュニア氏=2022年5月25日(AFP=時事)