美しい姿勢、フィギュアスケートの賜物
今後佳子内親王は、天皇家の一員として多くの公務にお力を尽くさなければならない。それは一般市民の想像よりもはるかに難しい。しかし、佳子さまはお小さい時から、天皇皇后両陛下の皇居で行う稲作や、歴代の皇后がお仕事として手掛けてこられた御親蚕もお手伝いしてこられた。
また、趣味のフィギュアスケートやダンスを通じて集中力も養われ、特にフィギュアスケートについては、2007年に「スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会」ノービスB女子小学6年以上の部で優勝している。
今日の佳子さまの美しい姿勢はフィギュアスケートの賜物であろう。伝統を守りながらも新たな風を吹き込む存在の佳子さまは活発なプリンセスとして知られ、稀有な行動力の持ち主だ。昨年はご自身で学習院大学の中退をお決めになり、国際基督教大学にご入学。理由は幼稚園から大学まで学習院という変化のない環境を変えたかったからだという。
2015年4月2日、入学式の前に行われた会見では、濃紺のブレザースーツに白いブラウス。「新しい学生生活を始められることに感謝しつつ、有意義に過ごしていきたい」と語った。
身近な女性をお手本に気品を身につける
気品とは、ただ良家に生まれたからといって備わるものではなく、身近なお手本と厳しい教育のもとに醸成されるものだと思う。今年は秋篠宮ご成婚25年。6月末には銀婚式をお迎えになる。振り返ってみると、婚約発表は昭和天皇の喪中であった1989年9月。
川嶋紀子さんのご両親の記者会見を思い出す。そのとき、父の川嶋辰彦・学習院大学教授は「オールウェイズスマイルで自由闊達に育てた」と語り、母である和代夫人は「あまり自由すぎるのはどうかと存じます。私はある程度の規制をもって育ててまいりました」とおっしゃった。母上のこのお言葉こそが今日の紀子さまの控え目の美につながっている。
佳子さまは母である紀子さまを大変尊敬なさっており、佳子さまの「お仕事を頂く」という発言も、おそらくご自分一人で考えたものではなく、ご両親の意見を発言に取り入れられたのだろう。
影響を与える二人の「プリンセス」・叔母と姉
よく「娘は母の作品である」というが、佳子さまは、母である紀子さまはもとより、祖母の皇后美智子さま、叔母さまの黒田清子夫人、姉である眞子さまなど身近な女性をお手本にすることで自ら気品が備わってきたと思う。
姉である眞子さまは、国際基督教大学在学中に博物館学芸員の資格を取得し、現在は英国レスター大学の修士課程で博物館学を学んでいらっしゃる。意志が強く、佳子さまにとっては頼りになるお姉さまである。姉上のひたすら前進する姿は佳子さまの身近なお手本といえよう。
叔母さまの黒田清子さん(元紀宮さま)は、初めて公務に取り組まれた内親王だ。紀宮さまの成年以降の15年間で、宮殿や御所での行事ご出席は国内740回、海外8回に及ぶ。阪神・淡路大震災6周年の「ひょうごメモリアル・ウォーク」に参加の際、「スタート地点まで車で」と促すスタッフに、「それでは意味がない。歩くために来たのです」と、被災者と共に暗い夜道を歩き通し、誠実な姿勢を貫いた。眞子さまも佳子さまも叔母さまを「ねえね」と呼んでお慕いになり、公務に積極的な姿勢をお手本として成長された。
皇后美智子さまの精神を受け継いで
皇后美智子さまは、1955年、聖心女子大学2年生の時、読売新聞の成人の日の記念論文「はたちのねがい」に応募して、4185人中2位入賞を果たした。しかも美智子さまは、その賞金2000円のうち半分を読売新聞に、残りの半分を母校聖心女子大のマザー・ブリット学長に奨学資金として寄付なさった。
この事実は史上初の民間出身の皇太子妃としてメディアに登場する2年も前のこと。その精神はあまりにも高貴で、今の皇后の原点といえる。おばあさまのお気遣いは孫たちにも伝えられている。東日本大震災の折には、学生であった眞子さま佳子さまも、夏休み中現地に泊まり込み、ボランティア活動に励まれたのである。
5年後の東京オリンピックでは、語学堪能なプリンセスの御活躍が期待される。佳子さまは、姉上とともに国民に一層元気を与える存在になるであろう。日本一の旧家として伝統を守りながらも、国際社会に向けて新しい風を発信する存在になるのが楽しみだ。
(2015年4月17日 記 / タイトル写真=時事)
