今回法改正は、定見なき「その場しのぎ」
粗雑で乱暴な改正は、今後に重大な禍根を残すこととなった。その一つは、今後も続くであろう都道府県間の人口変動とそれへの対応策について定見を欠いていることである。このたびは合区対象が鳥取県と島根県、徳島県と高知県というように、たまたま隣接する「相棒」があったので、それぞれを簡単にくっつけることができた。では、いつの日か例えば佐賀県や山梨県が合区の対象になったとき、どうするのか。
まさか、これら二つの県を飛び地のままで一つの選挙区にするわけにもいかないだろう。当面は適当な「相棒」がいないからそのままにしておき、いずれ隣接する県が「合区落ち」するのをひたすら待つことにするのか。でも、それでは1票の格差が開いたままでらちが明かないから、佐賀県の場合なら福岡県か長崎県か隣接するどこかの県と是が非でも合区させるのか。
このように隣接する県が複数ある場合、合区先はどのようなルールで決めるのか。こんなことがなにも決められていないので、そうした事態が生じた時の見通しも何も立たない。そうなったらそうなったで、その時に場当たり的に決めればいいということなのだろうか。
実は、今回の合区に当たっても、隣り合わせで互いに「合区落ち」した2県を単純に合わせるのではなく、異なるやり方もあったはずだ。例えば、鳥取県と岡山県、島根県と広島県をそれぞれ合区する案だって考えられる。1票の格差のことだけを念頭においた解決策としてなら、それも十分成り立ち得る。国会はこうした代替案も含めて該当県の住民から意見を聴くべきで、せめてそれを踏まえた上で結論を出すべきだったと思う。
いささかローカルな歴史にふれると、鳥取県はかつて島根県に併合されていたことがある。明治9年から14年までの5年間である。併合の当初から、東西に細長い地理的特性による交通不便などから、旧鳥取県の東部地域を中心に強い独立運動が起こり、それが功を奏して再び鳥取県が置かれたのが明治14年9月12日のことである。ちなみに、鳥取県ではこの9月12日を「県民の日」と定め、毎年県内各地でさまざまな催しが開かれている。こうした微妙な歴史を、いったいどれほどの国会議員が知っていただろうか。