話すことより大事なのは「聞き取る」能力

そもそもなぜ学校で英語の勉強をするのか、私たちは改めて考えるべきだ。その上で、もし本当に「英語の習得」を目指すのなら、「英語ができる」とはどういうことかを問い直す必要がある。英語が好きという言う人も、得意分野はそれぞれ異なる。読むのが好きな人もいれば、作文が得意な人もいる。“単語博士”もいれば「発音大好き」という人もいる。

にもかかわらず、「英語ができる」と聞くと、私たちは英語を読んだり書いたりすることより、「ぺらぺら話す」というイメージを思い浮かべる。さわやかな日差しの下、芝生に座り、ちょっと薄着でにこやかにアメリカ英語で談笑する人たち―まさに「美しい英会話」の光景である。

私たち消費者はこうした“絵”に乗せられやすい。仕事や研究でどうしても英語を使う必要があるなら、当然、1人で単語を覚え、聞き取りや音読練習の地道な努力をしなければならない。スピーキングの練習だけをしても効果がない。一番のネックは聞き取りだろう。相手の言っていることを聞き、それに反応してこその会話である。ところが日本語と英語では音のシステムが異なるので、「聞き取れる」ためには相当な訓練が必要だ。海外に留学しても、みんなここで苦労する。だからこそ一番時間をかけねばならない。

だが、ブランド品としての英語が映えるのは、一足飛びに「美しい英会話」としてなのである。実はこれはバブル期の1980年代前後に流行したイメージだ。今、そのイメージが50代のバブル世代に再利用され、いつの間にか「スピーキングテストこそ大事だ」という流れになった。

これからも日本人は「英語ができない」

今回の早急な入試改革の推進派の中には、英語を社内公用語とした楽天の三木谷浩史社長もいる。三木谷氏をはじめ「学校英語は仕事では使えない」と批判する経営者がいるが、そもそも学校英語ではまず土台となり幹となる単語を学ぶのだから、当然、限界がある。あらゆる状況に即した単語を高校までに学べるわけがない。だから自分の必要に応じ、学んだ幹の上に継ぎ足す形で自ら単語数を増やす努力をする。「これからは即戦力のある実用英語だ」などという口車に乗せられて、形だけ「実用英語」風に仕立てた試験を受けても、肝心の基礎となる単語を身に付けなければ役に立たない。学校の授業以外の時間でたくさんの英語を聞き、読まなければだめなのだ。

他にも「話せる」ために必要なのは、状況の把握、他者に対する想像力、それからもちろん話す中身だ。ところが2020年に向けた今回の入試改革は、表層的に英語を話す練習さえすれば「話せるようになる」との誤ったメッセージを発してきた。実に無責任だ。むしろ「スピーキング」などという独立した技能はないと考えるべきなのだ。

英語教育に関わる重大な政策が、一部の人の思惑で推し進められたのは問題だが、それを許した私たちにも責任がある。こんなことでは、この先も日本人は「英語ができない」ままだろう。

(2018年5月21日 記)

バナー写真=英語のリスニング機器が配られる大学入試センター試験の会場(2018年1月13日、東京都文京区の東京大学[代表撮影]/時事)