隠れて競馬紙を読んだ少年時代

——初めて馬に乗ったのは何歳頃? 小さい頃から騎手になろうと思っていましたか?

5歳かな。父が障害競走のジョッキーだったから、馬には小さい頃から親しんでいたんだ。最初はポニーだけどね(笑)。早く本当の馬に乗ってスピードを出したい、ジョッキーになるんだって思ったよ。でも10歳のとき父が引退すると、しばらく競馬熱は冷めてしまった。14歳の頃、一家が南仏に引っ越して、父が競馬番組のコメンテーターをするようになったのをきっかけに、またレースに夢中になった。父に内緒で、こっそりと競馬新聞を見ていた(笑)。ある日、父に『ジョッキーの学校に行きたい』って打ち明けたら、目を丸くしていたよ。普通の高校に行けと言われ、騎手の養成学校には行かせてもらえなかった。それでも16歳で初めてレースに出た。フランスにはアマチュアの大会があるから、普通の高校に行きながらでもレースの経験は積めたんだ。

——初めての来日は2002年ですね? 日本に来ようと思ったのはなぜですか?

僕は20歳になる前の3年間、米国とドバイとインドにそれぞれ3カ月ずつ修業に行った。若いうちに国外に遠征して、いろいろな経験を積んだほうがいいからね。感性が豊かになるし、違うトレーニング方法や騎乗の仕方を学ぶことができる。レースを冷静に読む力もつく。だから、チャンスがあれば日本にも行きたかった。先輩のオリビエ・ペリエ(*3)が日本のレースに出ていたので、よく話は聞いていたんだ。ただ当時、日本は条件が厳しくて、実績がないと免許が下りなかった。だからフランスでいい成績をあげて基準を満たすと、すぐにJRAに短期免許を申請した。それから毎年冬に来るようになって、もう14年。初めて日本の街をこの目で見たときは『マンガのまんまだ!』という印象だったね(笑)。

ディープを破った伝説のGI初制覇

——日本でルメール騎手を一躍有名にしたのは、ハーツクライに騎乗してディープインパクトを破った2005年の有馬記念でした。

その1カ月前のジャパンカップのことから話さないとね。このときはハーツクライに乗って数センチ差で2着に終わった。序盤にスピードが出なくて、かなり後方から追い上げたけど捕まえきれなかった。あとちょっとのところで日本のGI初制覇を逃したのだから、もうガックリしたよ。

第50回有馬記念(GI)を制したクリストフ・ルメール騎手(左から2頭目黄、黒縦じま勝負服)騎乗のハーツクライ。右端は2着に終わった武豊騎手騎乗のディープインパクト=2005年12月25日、千葉・中山競馬場(時事)

——さっき「負けは引きずらない」って言ってましたけど?

このときだけは別。悔しさから立ち直るのに2週間かかった(笑)。でもこのレースでハーツクライのレベルの高さを確信したから、次はもっとアグレッシブに勝負すると誓った。有馬記念の前、メディアはみんなディープインパクトで大騒ぎだったけど、自信はあったんだ。スタート直前、ハーツクライには最初から行くぞって気合いを入れた。いつも最後尾にいる馬がいきなり三番手につけたのだから、みんな驚いたろう、『ルメールの野郎、何をしてやがる!』ってね(笑)。でも僕にしたら作戦通り。最後の直線でディープインパクトが追い上げてきたけど逃げ切った。これが2005年末の日本競馬界を襲った大激震(笑)。ジャパンカップのリベンジができて、日本のGI初制覇、おまけに相手は無敗のディープインパクト! 僕にとって忘れられない一戦になったよ。

——2年前、落馬して大ケガもしたこともありましたね。

ケガをしてもポジティブに考えればいい。入院の期間を利用して日本語を勉強したよ!(*4) 僕たち騎手は、普段まったく休みなく訓練している。何年もその生活を続けていると、精神にも肉体にも疲れがたまってくる。ケガをすれば、いやでもその生活が完全に止まるよね。レースを離れ、プレッシャーから解放されて、心身ともにリフレッシュできるんだ。ケガから復帰した直後の騎手が、好成績を上げることはよくあるんだよ。