放射線量低下のペースは減速

かなり早い段階で、子どものいる家庭は長泥に戻らないことがはっきりした。長泥十字路に設置されたモニタリングポストの放射線量は毎時約4~5マイクロシーベルトまで下がったが、それでも年間では35~50ミリシーベルトだ。 

長泥十字路に設置された掲示板に赤いテープで張り付けられたタッパーの中に放射量計測器が入っている。

さらに、今後は放射線量の低下ペースが大幅に減速しそうだ。これは、長泥に降った3つの主な同位元素の半減期が異なるからである。ヨウ素131の半減期は8日、セシウム134は2年、セシウム137は30年である。皮肉なことに、避難実施前の80日間はヨウ素131の10回分の半減期に相当するため、村民は避難する前にすでにヨウ素の悪影響を受けてしまっていたとみられる。事故後2カ月ほどで線量が毎時約90マイクロシーベルトから約20マイクロシーベルトに急減したのは、それが理由だった。また、この4年間でセシウム134が2回の半減期を経て当初水準の4分の1まで減少し、そのために現在の線量は毎時5マイクロシーベルト前後まで低下している。しかし、残留放射線の大半は半減期30年のセシウム137であり、今後の線量の減少ははるかにゆっくりとしたペースになる。

現実の厳しさが次第にはっきりしてきた。子どもたちや若い世代が帰還しなければ、長泥の定住者は激減する。おそらくは事故前の71世帯を大きく下回る10世帯程度にとどまり、しかもほぼ全員が高齢者である。原発事故の前でさえ、長泥は人口減少に直面していた。地区の最後の店が2010年に閉店し、ひとつしかなかったガソリンスタンドも閉店した。バス便はほとんどなく、車がないと長泥では暮らせなかった。

ふるさとを諦める選択肢しかない

4年の歳月は、高橋正人のような高齢者の事情を大きく変えた。現在79歳の彼はさまざまな持病を抱えている。長泥の近くに病院はなく、飯舘村で一番近い医院が再開したとしても、10キロメートル以上離れている。これから何年、車の運転ができるのか? 運転できなくなったとき、誰が病院に連れていってくれるのか?近所に住む世帯はまばらで、年金受給者しかいない過疎の村に住んで、いったいどんな楽しみがあるというのだろう。

正人は状況をよく見極めたうえで、福島市で一緒に暮らそうという息子の申し入れを受け入れたのだ。それは家族をとるか、ふるさとをとるかの選択だった。ふるさとへの愛着は断ちがたくても、最終的には家族が一番大事だ。

正人は幸運なほうだった。長泥の高齢者の誰もが一緒に住もうと言ってくれる子どもや孫をもつわけではない。多くは将来の生活のめどが立たないまま、ひとり暮らしや年老いた配偶者と2人で暮らしている。

飯舘村では大規模な除染作業が進んでいる。ほぼ毎日、1000人以上の作業員が表土を剥ぎ取り、黒い袋に入れて村のあちこちに積み上げている。これらはやがて、福島第1原発の立地である双葉町と大熊町の中間貯蔵施設に送られる。飯舘村の20の行政区のうち、長泥区だけが除染対象になっていない。政府の方針では、放射線量が最も高い地域を最後まで後回しにするとしている。飯舘村の菅野村長は長泥区に除染の早期開始を正式に要請するよう区民に促しているが、区民たちの大半にはその意志がない。現時点ではどの除染計画も放射線量の50%以上削減できていない状況だし、例え半減したとしても、長泥で安心して生活できる環境だとは思えないからだ。

消えゆく長泥の運命が示唆すること

長泥区には、少なくともあと30年は誰も住まないし、原発事故以前の住民が戻ることはないだろう。

飯舘村の他の地区、いや、他の被災地のコミュニティの多くが、長泥と同じ運命をたどるのではないか。再定住の計画は立ち消えになり、コミュニティは失われる。

放射線を浴びたコミュニティに2年程度で戻れていたら、事情は違ったかもしれない。しかし、すでに4年が過ぎた。多くの人々が、避難先で新たな生活を確立し始めている。

農業の問題もある。農地は除染されても、周囲の山や森は除染されていない。雨が降れば放射能が山から谷筋を通って、再び土地を汚染する。すでに複数の地域で「再除染」の必要性が取り沙汰されている。また、農地を使用可能な状態に戻せたとしても(被災地では多くの肥沃な表土が剥ぎ取られ、土壌が深くないことを考えると容易ではないが)、放射能汚染という汚名をきせられた地域の農産物を消費者は歓迎しないはずだ。いわゆる「風評被害」がずっと残るだろう。

避難指示が解除されても、子どもたちは戻らない。戻りたいのは高齢者だけとなり、店舗や医院などのサービスを再開できるほどの定住者は確保できない。結局、年配者も村に戻るのを断念するだろう。

長泥区の運命は他のコミュニティに対する警鐘だ。長泥が見捨てられるなら、原発周辺の多くのコミュニティにも同様の運命が待ち受けているだろう。そんな私の懸念が正しければ、入念な除染計画に対する数千億円の支出は、とんでもない資金の浪費に終わってしまう可能性がある。

(2015年5月18日 記・原文英語)