“欧米並み”である必要はない

今回の日本の決断は、日本が将来的に移民を受け入れる国家 (country of immigration)になるのかという観点からも注目されている。多くの外国人を受け入れている欧米諸国に対して日本は外国人の割合が比較的小さい(3%前後)ことを批判する論評もあるが、外国人の受け入れを発展論的に捉えるこうした見方には根拠がないばかりか、多く受け入れる国家が良い国家であるような印象を読者に与えるという点でミスリードである。受け入れはあくまで国家の民主的な判断によって行われるべきだ。差別や偏見を助長してはならないのは当然だが、だからといってより多くを受け入れる国が平和や安定を享受するというような信条は誤っているし、事実ではない。

米国の移民研究者ジェームズ・ホリフィールドは、現代の多くの国家は「移民管理国家(Migration State)」であると言う。その含意は、多くの国は政治経済的な要因から外国人労働力を必要としているが、他方で政治社会的な要因から本国民とのバランス調整に苦慮しているというものである。出入国管理 (immigration control) という言葉に代わり、「マイグレーション・マネジメント」「マイグレーション・ガバナンス」という言葉が頻繁に登場するようになったのも同様の経緯による。

外国人の受け入れは日本社会にとって多くの恩恵となる。当然、経済的には即戦力の充実が見込まれるし、外国人誘致のための政策、日本語教育などは、外国人が日本への理解を深める一助にもなる。社会的には多様性への理解、人権尊重などの考え方が一層根付く可能性もある。外国人への理解や人権を尊重することは、日本人の人権や多様性に配慮した福祉の向上にもつながる。

一方、これまで欧州諸国だけでなく伝統的な移民国といわれる米国やオーストラリアなどでも、外国人(移民)とのトラブルが社会不安を生んでいる。「移民政策」を採らない日本に対する批判的論調が諸外国からいかに寄せられようとも、移民政策は国際競争をするような性質のものではない。あくまで国家にとって必要な措置かどうかを国家が理性的に判断すべきだ。

外国人・日本人双方の弱者に寄り添えるか

「受け入れたかったのは労働力だったのに、やって来たのは人間だった」という表現が最近よく登場する。品物なら不要になれば輸入対象から外せばいい。しかし人間の場合は「ポイ捨て」というわけにはいかない。また、本国民と外国人の共生をいかに図るかというとき、忘れられがちなのは本国民への待遇である。多様性の尊重は確かに大切だ。しかし、政策に落とし込むのは非常に難しい。本来は、国家の中で一丸となれるようなイデオロギーや理念が必要で、多様性はその下にコントロールされる方が国家の運営がはるかに容易だ。

統一的な理念なき多文化社会においては、米政治学者フランシス・フクヤマらの言う「アイデンティティー・ポリティクス」(人種や民族など属性に基づいた政治)が生じる可能性がある。国民がエスニシティによって分断され、「外国人など特定の集団だけでなく、本国民にも国内に属する集団として便宜を図るべきだ」という主張が生まれてくる。その発露が英国のEU離脱(Brexit)であり、トランプ政権の誕生であり、ハンガリー、オーストリアなどでの反移民政権の誕生である。これらの動きを、その詳細な実情を踏まえずに過度な右傾化、反理性的な対応として切り捨てることは、日本の安定的な社会形成を考える上で不適切であるばかりではなく危険でさえある。

重要なことは、遅かれ早かれ、また規模の大小の違いこそあれ、外国人受け入れ「先進国」で起こっているのと同様の社会的動乱を日本も経験することになるということである。これからは、おそらくアイデンティティー・ポリティクスを無難に駆使できるバランス感覚が政治に求められる。しかし仮にそれが実現できたとしても、その後にはモラルの低下が生じるのではないかという懸念が残る。なぜなら、これまでは日本人のモラルとして守るべきとされてきた諸々の規範が、外国人人口の拡大により明文化されることになれば、法に触れさえしなければ問題ないとする考えや振る舞いが顕在化する事態も考え得るからだ。それまで「暗黙の了解」の下に保たれてきた日本社会の秩序が揺らぐ可能性はゼロではないのである。

日本は諸外国に比べて外国人受け入れの規模は少ないかもしれないが、決して排他的ではない。しかし、外国人問題が顕在化した後の日本は本当に排他的になる可能性も捨てきれない。それまで外国人を受け入れてきた多くの諸外国で起こっている現象である。その根底には、実態の正否はともあれ、移民の存在が自分の人生を台無しにしたと感じる本国民が増えたことが関係している。外国人が本国民の生活の質を低下させている、というような言説も実態も、決して歓迎できるものではない。外国人労働力が、中長期的に日本経済社会にとって有益なものであるならば、少なくとも短期的なショックを容認できるように本国民に説明できるような政治力が問われることとなるだろう。外国人と日本人の双方に存在する弱者に政治がどの程度真摯(しんし)に寄り添うことができるかどうか。それがこの新しい政策の成功の鍵となる。

(2018年9月 記)

バナー写真:建設現場で作業を行うベトナム人の技能実習生(2016年11月11日東京都新宿区)読売新聞/アフロ