牡丹社事件から導く手掛かり
石垣島は、沖縄県の八重山地方に属する。八重山地方に含まれる与那国島は黒潮を挟んで台湾と接し、その距離は最短で111キロ(石垣島とは約230キロ)。台湾側で最も与那国島に近いのが蘇澳鎮である。黒潮の流路はフィリピン東方付近から台湾東方を経て、東シナ海に入り、房総半島沖に達し、気象庁は「世界有数の流れの強い海流」と説明する。その強さとは「黒潮の流速は通常、海面から深さ200メートル付近までの間で最大となり、秒速最大2.0~2.5メートルに達することもある」というもので、時速にすると最大で7~9キロ。一見遅いようだが、1日で200キロ前後移動すると考えれば、なかなかなものだ。
こうした黒潮の流れは、南西側から北東へと向かうメイン・ストリームの他に、「反流」と呼ばれる逆向きの流れがあり、漂流のルートを複雑にしている。さらにそこへ風という要素も加わる。
1871年11月に台湾南東岸の八搖湾に漂着した沖縄県宮古島からの船を例に挙げよう。琉球王府への献納を終えて宮古へ戻ろうとしていた乗組員69人の船は台風のために漂流し、3人が海岸で溺死し、66人が生き残るもこのうちの54人が殺害された。3年後の74年に明治政府が行った台湾出兵につながる牡丹社事件である。
同事件について研究している琉球大学法文学部准教授の大浜郁子氏は「日本は、出兵が日本の領土内の民が殺害されたことに対する義挙だとの主張を通すことによって、琉球の所属が日本にあるということを清国に認めさせ、いわゆる『琉球処分』の契機となった」と指摘する。
この船は、琉球王府のある沖縄本島から台湾まで流されてきたので、台風のエネルギーによって黒潮をさかのぼったことになる。黒潮をかわして台湾にやってきた漂着者の運命が、後に東アジアの版図を変え、台湾、中国、沖縄、日本の歴史に大きなインパクトを与えたことになる。
