「ご主人、大丈夫なの?」

卒論では、1920年代中頃の台湾文化協会「左右分裂」を背景に展開した「中国改造論争」をトピックにして書き、それを審査に提出して大学院は東大の社会学研究科の国際関係論専門コースに進んだ。国際関係論専門コースと言っても、当時はまだ地域研究と同居のような感じで、ソ連・東欧研究や中国研究、そして現代国際政治史研究を目指す人もここに進んだ。台湾研究もやりたければ先生はいないが勝手にやってよろしいというわけであった。

大学院で台湾研究を始めるのだから、まずは台湾を見ておこうというので、修士課程1年目の終わりに1か月ほど台湾に旅行した。戴先生に紹介状を書いてもらったり、一足先に台湾の土地勘を養っていた河原功さんに引き回してもらったりして人に会ったり、台北、台中、台南、高雄をはじめ、鵝鑾鼻、台東、花蓮、そして太魯閣から中央山脈横貫公路をバスで台中へと、台湾島を一回りした。

その時の見聞や会っていただいた方々の思い出などは、回を改めて書きたい。ただ一つここで述べておきたいことがある。当時は、日本経済の高度成長もピークを終える頃であったが、日本人男性の台湾や韓国旅行「売春」ならぬ「買春観光」などという言葉で取り沙汰されていた頃であった。案の定、台湾の各都市でホテルの部屋に落ち着くやドアにノックがあって、開けるとホテルのボーイが今夜寂しくないかといった類いのことを言う。90年に厦門に行った時も同様なことがあった。83年「改革・開放」間もない頃行った時には想像もできなかったことだった。

帰国後に聞いたことだが、この訪台は新婚間もない頃だったこともあり、家内は知り合いの女性から「ご主人大丈夫なの」という類いのことを言われたそうである。その後、当時を知る商社マンに「北投温泉の夜」の「武勇談」を得々と聞かされて閉口した記憶もある。思い出して愉快な記憶ではないが、当時の日台関係の一端を示す事柄として記しておきたい。確か90年代に入って、日本のテレビコマーシャルに若い女性向けの台湾ツアーの宣伝が出るようになったのを見て、時代は変わったものだと感心した。