「予期以上」が崩し始めた

先に台北の街中に入った時の第一印象として「予期以上」の活気を挙げたが、この時の「予期以上」という台湾社会との初対面の感触を、私は以後ずっと反すうし続けてきた気がする。「予期」とは私の台湾に対する先入観であったわけである。経済史的に振り返れば、台北の街に活気があったのは当然だったろう。台湾経済は60年代から80年代の途中まで高度成長の途上にあった。たまたま石油ショックに見舞われて73年はマイナス成長になるのだが、それもすぐに回復してしまうような、しっかりしたダイナミズムの中にまだあったのである。

それが「予期以上」に見えたのは、私が影響を受けてきた日本の知識界の「台湾は蒋介石反動派が逃げこんだ島」といったイメージの故ではなかったかと思う。当時の日本知識界の左派的な発想からすれば、蒋介石らは「中国革命に敗れた反革命の残党」であり、そんな彼らに未来は無いはずで、その一派の支配下の社会は活気に欠け重苦しい雰囲気であるはずだ、という思い込みであった。誰かがそう言っていたというのではない。当時の雰囲気からそれがいつの間にか私の先入主になっていたということだろう。

前回触れたように、私は呉濁流の小説に触れて台湾についての自分の無知に目覚めたのだったが、その「無知」はまた意識せざる先入観に彩られていたのだった。そして、目の前に見た「予期以上」や「落選する為に立候補しているぞ」という自己主張は、いつの間にか私の先入観を崩し始めていたのかもしれない。

バナー写真=筆者(野嶋剛撮影)