台湾での初めて学術研究報告

この時に訪台活動は、全体としては依然として歴史研究者モードであった。「文化人派遣」という枠であったし、興味を抱いて勉強し始めていたとはいえ、当時の私にまだ人前で台湾政治を云々(うんぬん)する力は無く、まして台湾はいまだ1949年からの戒厳令の施行中であった(1987年7月解除)。

ではどういうことをしたかと言うと、これも下荒地氏が台湾大学法学院の許介麟教授(東大法学博士)に依頼して、台北の台湾史研究者を集めて小さな研究会をセットしていただき、許教授の司会で私が研究報告した。「公立台中中学校設立問題(1912-1914年):総督政治與台湾土着地主資産階級」という当時論文にまとめつつあったテーマで、中国語でレジュメ案を作り出発前に東京で知り合いにネイティヴチェックをしてもらい起案用紙に清書してコピーして配布した。日本語の引用史料はゼロックスコピーを貼り付けたりして用意した。パソコンはもちろんのことワープロもまだ普及していない時期である。

場所は確か台湾大学図書館の一室で、今残っている写真を見ると、出席は、司会の許教授の他に、曽永和(台湾大学研究図書室主任、後に中央研究院院士。敬称略、以下同)、王啓宗(台湾師範大学歴史学科教授)、黄富三(台湾大学歴史系教授)の教授クラス、呉密察(台湾大学歴史系助教)の他、呉文星(台湾師範大学)、李筱峰(淡江大学)、翁佳音(台湾大学)、張正昌(台湾師範大学)などの院生も参加した。当時の教授だった人の中にはすでに鬼籍に入られた方もおられる。助教、院生だった人はその後の台湾史研究の隆盛の中でそれぞれの分野の重鎮となり、近年皆退職の年齢を迎えている。張正昌氏は後に出版社を営んでいたと聞く。