船の絵と伝承が解明のかぎ?

2019年のシマフサラは11月11日に行われた。八重山地方では、地域の伝統的な神事や儀式を神司(つかさ)と呼ばれる神役の女性が執り行うことが通例で、この日は3人の神司が村内の聖地である干立御嶽で祈願を行った。例年なら、この季節は北寄りの季節風が強まり、雲が低く垂れこめるものだが、この年は好天に恵まれ、干立御嶽前に広がる海は青空に映えていた。

午前8時すぎから、神司が干立御嶽で祈願を始め、これと並行して飯田館長ら村の人たち約30人が村内の集会施設で供え物などの準備を進める。小さないかだを組むのに必要なバショウやクバは集落内で切り出すことになっており、干立公民館行事部長の斉藤幸平さん(41)ら3人の担当だ。

干立御嶽でシマフサラの祈願を行う神司たち。祭壇の上にマーラン船の絵が掲げられている=2019年11月11日、竹富町西表島の干立村(筆者撮影)
干立御嶽でシマフサラの祈願を行う神司たち。祭壇の上にマーラン船の絵が掲げられている=2019年11月11日、竹富町西表島の干立村(筆者撮影)

いかだは「バサフニ」と呼ばれる。「バサ」は「バショウ」を意味し、「フニ」は「船」のこと。バショウの幹を7本横に並べ、竹で串刺しにつないで作る。前寄りの真ん中にクバの葉を立てて帆の代わりとし、風を受けて海面を走る仕組みだ。今回のいかだは、長さ1.7メートルほど。長時間波に揺られて無事でいられるような構造ではなく、好条件に恵まれたとしても台湾に到達することは難しいだろう。潮流や風の影響によって近くの村に流れ着くことがあり、最近ではこれを防ぐため、いかだを波打ち際で海に浮かべた後、カヌーで沖まで引いていって放すということが行われている。今回のシマフサラではカヌーで10分余り沖へ引いていき、リーフの手前辺りで放した。

その行先が「ガバラぬ島」だ。

神司のひとり、石垣哲美さん(64)に言葉の意味を尋ねると、「『ガバラぬ島』というのは幻の島ということ」と説明した。さらに、干立御嶽を設立したと伝えられる宇保(うほ)家について、石垣さんは「宇保の先祖は、与那国島経由で台湾と交易をしていたと聞いています」と言った。

では、「ガバラぬ島」が台湾を指している可能性はあるのか。石垣さんは「ある」と答えた。「ガバラぬ島」と特定することはできないが、台湾である可能性は排除できないということになる。

シマフサラの祈願が行われる干立御嶽は、航海安全の祈願と深いかかわりがあると考えられており、その根拠としてマーラン船(ジャンク船)の絵が祭壇に掲げられていることが挙げられている。この絵が奉納されたのは道光7(1827)年のことである。

当時、台湾がどのような状況だったのか調べてみると、嘉慶元(1796)年に福建出身の呉沙という人物が大勢の移民を引き連れてカバランの開墾を始めた。その後15年間で、宜蘭平原を東西に流れる蘭陽溪の北側は荒地から良田に変わったという。清朝は民衆の管理や海賊の予防などを目的として、嘉慶15(1810)年、それまで化外の地としていたカバランを版図に組み入れることにした。

干立御嶽にマーラン船の絵が飾られたのは、この17年後である。干立御嶽を訪れた当時の船乗りたちが「カバラン」という地名にまったく疎かったとまでは言い切れないのではないか。「ガバラぬ島」という言葉が台湾からもたらされた可能性はここにも残されている。